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浅鉢形土器[あさばちがたどき] 附土器残欠、石器類

浅鉢形土器[あさばちがたどき​ 附土器残欠、石器類

分類 重要文化財
指定別
所在地 高山市上一之町 飛騨高山まちの博物館
所有者 高山市
指定年月日

昭和63年6月6日

 糖塚遺跡は高山市街地の南東約2km、大西山山麓の北西方向に広がる穏やかな扇状地に位置している。昭和57年(1982)、圃場整備に先立つ発掘調査でその全容が明らかになった。調査の結果、縄文時代の住居跡2軒、土坑5基、集石遺構2基をはじめ、7世紀末から8世紀初頭の住居跡15軒や時期不明の建物跡2軒などが発見された。
 浅鉢型土器は第1号住居跡の床面ほぼ中央から、並列させたような状態で大小2点が出土した。大きい土器は扁平な円盤状で、口縁部が強く内湾し、底部を中心に同心円状に三段に屈曲し、口縁部に沿って40個の小円孔がめぐる。胴部の文様構成は、格段屈曲部に綾杉[あやすぎ]状の連続師と刺突文を施して文様帯が区画され、文様帯内には連続爪形文によって三角形とS字状を交互に組み合わせた文様が描かれている。土器外面は赤色顔料および黒色の樹脂状物質が斑状に残されている。小さな土器には小円孔が等間隔に21個めぐり、強く張り出した胴部以下は、二段の屈曲部を経て丸底状の底部に至る。
 東日本文化の伝播が残した縄文時代前期後半の遺物である。

浅鉢形土器 附土器残欠、石器類