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二木長嘯収集石器類[にきちょうしょうしゅうしゅうせっきるい] 附神代石図、二木長嘯・木内石亭書状

二木長嘯収集石器類[にきちょうしょうしゅうしゅうせっきるい​​ 附神代石図、二木長嘯・木内石亭書状

分類 重要文化財
指定別
所在地 高山市上一之町 飛騨高山まちの博物館
所有者 高山市
指定年月日

昭和62年6月6日

 二木長嘯は、名は俊恭、字[あざな]は子敬という。文化11年(1814)に享年60歳で没した。飛騨高山の漢学者赤田臥牛を師として漢詩を学び、当時盛んであった「心学」を講じ、神代石(石器・石製品)の収集に尽力した。特に近江の木内石亭とは深く交遊し、天明8年(1788)より享和元年(1801)までの書状52通が現存している。
 各地を訪れる時に携行したと思われる「神代石図」1巻に収められた石器類は、長嘯収集品として確かなものと考えられ、ここに描かれた62個のうち、50個が現存する。
 石器類は磨製石斧、石冠、石棒の一種で片側に猪首形を彫刻した石棒、硬玉製大珠などがある。特殊な用途に用いられたものが多く、長嘯の神代石に対する執心の一端がよく表れている。
 なお「木内石亭書状」は、石亭の石に対する愛着の強さや弄石家仲間の動静などが記されていて重要なものであり、「神代石図」とともに附指定を受けている。

二木長嘯収集石器類 附神代石図、二木長嘯・木内石亭書状