ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 分類でさがす > 教育・文化・スポーツ・青少年 > 文化・芸術 > 文化財 > > 楽市楽座制札[らくいちらくざせいさつ] 附織田信長百姓帰住制札

本文

楽市楽座制札[らくいちらくざせいさつ] 附織田信長百姓帰住制札

楽市楽座制札[​らくいちらくざせいさつ​ 附織田信長百姓帰住制札

分類 重要文化財
指定別
所在地 ​岐阜市神田町
所有者 ​​円徳寺
指定年月日

平成5年6月10日

 永禄11年(1568)、織田信長は斎藤竜興を滅ぼして岐阜へ入った。城下町経営のために荒廃した岐阜地域の復興に努め、その施策として楽市・楽座の制札を発給した。
(1)永禄十年十月定 織田信長より加納楽市場宛
(2)永禄十一年九月定 織田信長より加納宛
(3)天正十一年六月定 池田元助より加納宛
(4)天正十二年七月定 池田照政三左衛門尉より加納場宛
 上記4枚の制札が円徳寺(旧浄泉坊)に伝存している。(1)は永禄10年(1567)、信長が円徳寺に旧来からの楽市場に特権を保証したものである。(2)は信長が保証した特権を認証した上で「さかり銭」(営業税)の免除を付加した制札である。(3)以下は天正11年(1583)、織田信孝の失脚後に岐阜城主となった池田元助以降のもので、楽市場の基本的性格である来往者の借銭・借米免除、奴隷解放の条項を消したものなどである。これらは、縦約38cm、横約35cm、厚さ1.2cmの檜板に墨書されている。
 加えて円徳寺には、戦乱で荒れた地の復興のために北加納の百姓に帰住を求めた、永禄10年9月の制札も伝存されているために附指定された。
 これらの楽市・楽座の制札4枚(附1枚)は、歴史的に重要な意味をもつ貴重な資料である。​