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絹本著色斎藤道三像 斎藤義竜像[けんぽんちゃくしょくさいとうどうさんぞう さいとうよしたつぞう]

絹本著色斎藤道三像 斎藤義竜像[​​​けんぽんちゃくしょくさいとうどうさんぞう さいとうよしたつぞう​

分類 重要文化財
指定別
所在地 ​​岐阜市梶川町
(岐阜市歴史博物館寄託)
所有者 常在寺
指定年月日

昭和50年6月12日

 道三斎藤利政は戦国の梟雄として名を馳せた人である。その半生は詳らかではないが、父長井新左衛門尉の美濃一国に築いた地位を基盤として勢力を伸ばした。後に守護土岐氏を亡ぼして稲葉山城主となり、美濃の国主として勢威をふるった。
 道三像は像容から見て剃髪前の姿を描いたものと考えられ、面貌描写には戦国の策士道三の人柄がよく表れている。生彩ある画風から、寿像かあるいは没して間もない頃のものと推定される。
 墨書銘は次のとおりである。
 ・南無妙法蓮華経 弘治第二太歳丙辰四月廿日
 ・過去報州太守道三居士
 玄竜斎藤義竜は道三の子で、弘治2年(1556)4月20日、父道三と美濃国長良川で戦い、勝利した後に剃髪して玄竜と号した。美濃守護として稲葉山に在ったが、永禄4年(1561)5月11日に没した。
 義竜像は道三像と比較すると、描写はやや活趣に乏しく、おそらく没後ある時期(13回忌あるいは17回忌)に追福のため盛時の姿を描かせたものと考えられる。
 墨書は次のとおりである。
 ・南無妙法蓮華経 前左京兆雲峯玄竜居士
 ・永禄四年酉五月十一日

斎藤道三像
斎藤義竜像
(写真提供:常在寺)