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願興寺本堂[がんこうじほんどう]
願興寺本堂[がんこうじほんどう]
分類 | 重要文化財 |
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指定別 | 国 |
所在地 | 可児郡御嵩町御嵩 |
所有者 | 願興寺 |
指定年月日 |
昭和61年5月24日 |
願興寺は美濃国の東方、中山道の御嵩宿にあり、かつて伝教大師が当地通過の際、施薬院として建てたのが始まりと伝えられている。伽藍[がらん]としてまとまったのは、180年後の長徳4年(998)である。天仁3年(1108)に兵火により焼失し、鎌倉初期には纐纈盛康によって再建されたが、戦国末の元亀3年(1572)、武田信玄の軍勢に再度焼かれた。
天正3年(1575)には、与次郎なる一百姓が発起して再建を図ったが成らず、同9年(1581)、多勢の寄捨及び助力を得て、ようやくにして成ったと伝えられる。
当時としては、天台寺院が庶民の力の結集によって大成されることは、極めて珍しいことであった。また、乏しい財力によって建立されたこともあり、大工は土地の者を使用したとみられ、建物の大きさに比して荒削りで粗放な感を免れない。しかし、かえってそこに当時の生々しい工事記録を読み取れて興味深い。平面計画は、柱1間分四方を回廊とする「四周一間通り」とよばれる、他に類を見ない独特のものであり、天台寺院と真宗寺院の両形式が混在したような印象である。これは当時台頭してきた新興宗派の建築様式が、旧宗派に影響を与えたと考えられ、宗教史的にも重要な変遷とみることができる。
