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明鏡寺観音堂[みょうきょうじかんのんどう]

明鏡寺観音堂[​みょうきょうじかんのんどう​

分類 重要文化財
指定別
所在地 加茂郡八百津町伊岐津志
所有者 ​明鏡寺
指定年月日

昭和52年6月27日

 霊光山明鏡寺は臨済宗妙心寺派で、開創は頑石曇生、開山を玉堂曇球とする。観音堂は貞治7年(1368)に建立したものと伝える。
 方3間、寄棟造、茅葺で、軒は一軒疎垂木[ひとのきまばらだるき]とする。組物[くみもの]は外部を柱上出三斗[でみっと]として中備平三斗、内部は出組[でぐみ]の詰組[つめぐみ]とし、欄間には浪連子[なみれんじ]をはめ、柱上部には粽[ちまき]、下部には礎盤[きばん]をつけるなど、ほぼ唐様[からよう]によっている。正面(西側)3間は、柱に残る小穴や内法貫[うちのりぬき]にみる方立の痕跡から唐戸であったと推測され、平成5年10月からの解体修理において、蔀戸[しとみど]を撤去し、各間に方立・小脇板・藁座を復して、中央間を桟唐戸[さんからと]両開、両脇間を桟唐戸片開とした。正面及び両側面3方も切目縁[きりめえん]に復された。この縁の上に礎盤[きばん]をおくのは珍しい例である。南北側面も前1間を桟唐戸片開とし、中央間は花頭窓[かとうまど]、他はすべて縦羽目板張になっている。礎盤も北側に残り、かつての総丹塗[にぬり]のあとが北側にのみうかがえるのは風蝕の大小による。
 内部は来迎柱背後に張り出した仏壇構えを撤去して来迎柱を復し、須弥壇[しゅみだん]にも勾欄[こうらん]が復された。床は拭板敷床をあらわし、天井は中央部を鏡天井とし、側廻りは化粧屋根裏とする。この観音堂は細部意匠にも優れており、貴重な遺構である。

明鏡寺観音堂