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照蓮寺本堂[しょうれんじほんどう] 附棟札
照蓮寺本堂[しょうれんじほんどう] 附棟札
分類 | 重要文化財 |
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指定別 | 国 |
所在地 | 高山市堀端町 |
所有者 | 照蓮寺 |
指定年月日 |
昭和31年6月28日 |
光耀山照蓮寺は後鳥羽天皇第12皇子と伝える嘉念坊善俊を開基とする。もとは白川村中野にあって中野御坊と呼ばれてきた。この地が御母衣ダムの湖底に水没することとなったため、昭和35年に高山市城山に移築された。今の本堂の建立は、長享2年(1488)とも永正元年(1504)ともいわれているが、延宝6年(1678) 大修築の棟札がある。桁行7間、梁間9間、正面1間通りを広縁とし、さらに落ち縁を巡らしてある。尾根は極めて緩勾配にした入母屋造[いりもやづくり]、とち葺形銅板葺。柱はすべて大面取で、外回りは1間ごとにたてて舟肘木[ふなひじき]をのせ、その柱間は3本溝として舞良戸[まいらど]と明障子をはめてある。軒は疎垂木[まばらたるき]、小舞[こまい]うら。内部の天井は棹縁[さおぶち]を猿頬[さるぼう]とし、おさ欄間をはめて内陣の間仕切りを襖とするなど、従来の寺院とは異なる住宅建築の要素を多分にもっており、内外陣の間仕切りなども、江戸時代に完成した今日の浄土真宗寺院にみる様式と同様であり、その先駆をなすものといえる。