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国分寺本堂[こくぶんじほんどう]

国分寺本堂​​​こくぶんじほんどう​

分類 重要文化財
指定別
所在地 高山市総和町
所有者 国分寺
指定年月日 ​明治42年4月5日

 医王山国分寺の現寺城は巨大な塔心礎[とうしんそ](納骨用の舎利孔をもつ大型円柱座がある)や国分寺瓦の出土などによって、奈良時代の飛騨国分寺跡であることに疑いはない。
 本堂は桁行5間、梁間4間、屋根は入母屋[いりもや]、銅板葺、正面1間には向拝[ごはい]をつける。軒は二軒繁垂木[ふたのきしげたるき]、組物[くみもの]は三斗[みっと]として柱間には蓑束[みのつか]をおく。正面左右及び側面一部の連子[れんじ]には緑青を塗り、各木口は黄土を塗るほかはすべて丹塗[にぬり]とした木割の大きな建築である。この他、隅頭貫[かしらぬき]に「増し」をつけ隅柱に延びのある点、内部虹梁[こうりょう]の上にある形のよい板蟇股[いたかえるまた]など、明らかに室町のものであるが、向拝の方柱(13分の1の面取)木鼻[きばな]、手挟[たばさみ]などは桃山のものである。この本堂は近郊山田村にあった薬師堂を金森長近が移築させたといわれ、その伝承が正しいとすれば、桃山の向拝などはその改築当時の遺産と考えられる。

国分寺本堂