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斎藤妙椿墓[さいとうみょうちんのはか]

■分類 史跡
■指定別
■所在地 岐阜市寺町
■所有者 瑞龍寺
■指定年月日 昭和47年3月17日
斎藤妙椿墓
 斎藤妙椿は弟越前守利藤と共に、守護土岐成頼に仕えて執権となり、加納城に居住した。利藤の子新四郎利国を養子に迎え、自らは革手城の近くに持是院を建てて住み、持是院大年妙椿と号した。宝徳2年(1450)今泉に日蓮宗常在寺を建て、また、応仁元年(1467)上加納に臨済宗瑞龍寺を建立し、悟溪宗頓を招いて開山とした。
郡上郡篠脇城にいた東常縁が、郷国下総の乱に馳せ参じたすきに、妙椿は篠脇を攻めて占領した。更に、不破郡今須の長江氏を討って滅ぼし勢力を拡張した。
歌人でもあった妙椿は、のち常縁の和歌「あるがうちに斯かる世をしも見たりけり、人の昔のなほも恋しき」に感じ、郡上の地を常縁に返還したことは世に知られている。
文明12年(1480)2月21日70才で没し、瑞龍寺の成頼墓の右側に葬られた。