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お茶屋屋敷跡[おちゃややしきあと]

■分類 史跡
■指定別
■所在地 大垣市
■所有者 矢橋ホールディングス株式会社矢橋工業株式会社個人
■指定年月日 昭和51年9月3日
お茶屋屋敷跡
 お茶屋屋敷跡は、徳川家康が上洛の往還にあたって、休泊のため慶長10年(1605)ころに設けた専用の施設である。『大垣藩地方雑記』によると、ほぼ方形の縄張りをもつ城郭形式で、竹薮に囲まれた総郭内と、薮外の馬場跡とがあり、四隅に櫓を備え、正面(東)に大手門があった。
全体を土塁・空濠で囲んだ豪壮な構えであったようである。寛永5年(1628)に岡田将監が管理に当たったときには、その破損が著しく、大半が取り壊されて、やがて廃絶化した。
廃藩置県の後、赤坂宿の名主矢橋宗太郎が払い下げをうけ、広大な内部を畑地としてきた。その後、昭和24年(1949)の中学絞建設に伴い遺構の西半分を校地としたため、現在東半分に、土塁・空濠の一部・井戸跡などが遺構として残っている。
現在は、牡丹園として一般に開放され、地方の一名所となっている。