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宮代廃寺跡[みやしろはいじあと]

■分類 史跡
■指定別
■所在地 不破郡垂井町宮代
■所有者 藤樹寺
■指定年月日 昭和43年8月6日
宮代廃寺跡
 宮代廃寺跡は南宮山の北東山麓、北側に張り出した扇状地の先端に位置している。当廃寺の北西には大領神社および宮処寺跡があり、西方には、南宮神社が所在する。
昭和42年(1967)および昭和47年(1972)の2度にわたる発掘調査が行われ、塔基壇の規模等が明らかになった。基壇は瓦積み基壇であり、東側の長さ10.92m、北側の長さ12.2mであった。
また、塔心礎は、巨大な花崗岩でできており、地上1.1mほど露出しており、大きさは長径2.47m、短径1.6mである。中央に直径65cmの円形柱座があり、その深さは18cmである。
出土した瓦類は、単弁蓮華文や複弁蓮華文の軒丸瓦・軒平瓦・丸瓦・平瓦など白鳳期から平安時代に及んでいる。
また、基壇東部の階段跡から、「開元通宝」(中国の銅銭)が出土した。
この廃寺の創建は白鳳期の初期に遡るとされ、壬申の乱の功臣郡大領宮勝木実の氏寺であったと考えられ、聖武天皇の美濃行幸の時の「宮処寺」にあてる説がある。