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春王・安王の墓[はるおう・やすおうのはか]

■分類 史跡
■指定別
■所在地 不破郡垂井町
■所有者 垂井町
■指定年月日 昭和43年8月6日
春王・安王の墓
永享年問(1429〜1441)、鎌倉公方足利持氏は、関東管領上杉憲実と争った。幕府は上杉憲実を援護し持氏を討った。持氏の子春王・安王は女房に伴われ、日光山に落ち延びた。下総の結城氏朝は、永享12年(1440)3月、持氏の遺子春王・安王を迎えて挙兵し、結城城にこもったが、幕府の攻撃にあい翌嘉吉元年(1441)落城した。春王・安王は捕らえられ、京都への護送中、垂井の金蓮寺において斬首され、京都で首実験に供された後、同寺に埋葬された。その時、春王13才、安王11才であった。現在、国道21号線脇に、石柵に囲まれて建つ3基の宝篋印塔がある。やや小さくほぼ同じ高さの2基の宝篋印塔が春王・安王の墓とされる。また、大きいのは乳母の供養塔だという。