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悟渓国師墓[ごけいこくしのはか]

■分類 史跡
■指定別
■所在地 岐阜市寺町
■所有者 瑞龍寺
■指定年月日 昭和47年3月17日
悟渓国師墓
 悟溪国師の墓は、瑞龍寺山門の西側にある。墓域は、南北14.5m、東西25.2mで高さ2.1mの築地塀で囲まれている。この奥まった所に、3.6m四方、高さ1.3mで囲まれた墓がある。墓には、墓石がなく、高さ40cmはど土盛りされている。
悟溪宗頓は、尾張国丹羽郡山名村の出身である。応仁元年(1467)悟溪が、斎藤妙椿を訪ねた際に、稲葉山の南麓に廃寺があることを聞き、再興を志し、妙椿の援助を受けて堂宇を完成させた。その時、後花園上皇から「金宝山瑞龍寺」の額を賜ったとされる。
その後文明11年(1479)京都大徳寺の第52世となり、同16年(1484)には妙心寺に入り、東海庵を興した。明応9年(1492)9月6日85才で没し、瑞龍寺に葬られた。門弟が多く、特に悟溪門下の八哲は、美濃国内寺院の開山または開祖となり、禅風の興隆につくした。