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長屋神社本殿[ながやじんじゃほんでん]附棟札古文書

分類 重要文化財
指定別
所在地 本巣市長屋
所有者 長屋神社
指定年月日 昭和63年3月8日

長屋神社本殿

 この神社の創建について明確なところはわからない。天正11年(1583)兵火にかかり、記録類は焼失したといわれる。伝承によれば、永正頃(1504-21)の創建で天文の頃(1532-55)当地へ遷座されたものとされている。江戸時代においては、牛頭天王と呼ばれ、大垣藩主の崇敬が篤く、祭札の折りにはその代参があり、供米が寄進され、さらに代官からも供料が奉納されたという。明治2年(1869)、長屋神社と改称された。祭神は櫛名田比売命、建速須佐之男命、大穴牟遅神の三神である。
社殿は、元禄3年(1690)6月の火災によって焼失したが、直ちに再建に着手され、翌元禄4年に完成している。現存する本殿はこのときの建築である。
本殿の建築は桁行5.15m、梁行5.88mで、基本的には三間社流造[ながれづくり]の形式をとるが、正面庇に唐破風を付け、さらに屋根上には千鳥破風を上げて装飾性の強い形態を示している。主要な神社の大規模な流造本殿に見られる形式で、やや時代の遡る大矢田神社(美濃市)も同様な形式をとっている。正面及び両側面に腰組付の縁が廻らされている。正面には庇の下に浜床[はまゆか]が張られ、7階の木階[もっかい]が具えられている。縁は後部(内陣内部)で一段高くなり、奥は彫刻付の脇障子が建っている。
長屋神社本殿は、基本的には三間社流造であるが、規模が比較的大きく、正面に唐破風と千鳥破風を付け、また、豊富な彫刻で飾るなど、江戸初期の華麗な神社建築の系譜につながるものであるが、一方、ここでは彫刻に彩色がなされておらず、素木による彫刻装飾が卓越する江戸後期の建築への過渡的な形態とみることができる。また建築的にも優れており、一部に新補材による修理も認められるが、全般的にみて、当初の形態をよくとどめている。

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