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平成25年度調査事業報告“発見いっぱい!今年の遺跡”

発掘作業

東野遺跡(ひがしのいせき)

  • 所在地:加茂郡坂祝町黒岩・大針
  • 主な時代:縄文、弥生、古墳、古代、中世、近世

 当遺跡は加茂野台地東端、美濃加茂盆地を眼下に臨む段丘の縁に位置します。
 これまでの調査(平成15・16・24年度)で、縄文時代から近世の遺構を6,080基確認し、遺物約33,000点を発見しました。これらの成果から古墳時代前期には地域の中で中心的な役割を担う集落の一つであったことが判明しました。
 平成25年度は、河岸段丘東端部3地点と平成24年度発掘区の東隣接地を発掘調査し、竪穴建物跡23軒、掘立柱建物跡3棟、方形周溝墓1基、区画溝2条などを確認しました。竪穴建物跡は、縄文時代中期4軒、弥生時代2軒、古墳時代前期13軒、後期2軒、古代1軒、中世1軒です。
 これらの成果から、各時代において断続的に居住域として利用されていたことが判明しました。中でも弥生時代後期の竪穴建物跡の1軒からは、板状の石材、磨製石鏃(せきぞく)未製品、製作用道具類が出土したことから、当該期の磨製石鏃工房であった可能性があり、注目されます。
東野遺跡の発掘区全景写真(南から撮影)
写真:東野遺跡発掘区全景(南から撮影)

  • 事業者:国土交通省中部地方整備局多治見砂防国道事務所
  • 事業名:平成25年度一般国道21号坂祝バイパスに伴う埋蔵文化財発掘調査

梅替古墳(うめがえこふん)

  • 所在地:加茂郡坂祝町深萱
  • 主な時代:縄文、古墳、中世、近世

 梅替古墳は、平成22年度の現地踏査によって新たに発見された古墳です。現地は西向き斜面の尾根上にあり、西に向かって眺望が開けています。当該地は周知の埋蔵文化財包蔵地である「見城寺跡(けんじょうじあと)」(中世寺院)の所在地とされ、平成25年度の発掘調査においても、鎌倉時代以降の中世陶器などが出土しています。
 墳丘は、直径約20mの2段築成の円墳で、それぞれの斜面が葺石(ふきいし)で覆われていました。埋葬主体部は、全長約8mの無袖(むそで)式の横穴式石室であり、西向きに開口していました。
 原位置を保つ副葬品はありませんでしたが、緑色凝灰岩製管玉(りょくしょくぎょうかいがんせいくだたま)10点と滑石製紡錘車(かっせきせいぼうすいしゃ)2点、銅製の耳環(じかん)3点などが出土しています。出土した須恵器から、6世紀中頃に築造され、それ以降、追葬(ついそう)が行われたと推定されますが、詳細については今後検討する予定です。
梅替古墳から木曽川方面の写真(北から撮影)
写真:梅替古墳から木曽川方面を眺む(北から撮影)

  • 事業者:国土交通省中部地方整備局多治見砂防国道事務所
  • 事業名:平成25年度一般国道21号坂祝バイパスに伴う埋蔵文化財発掘調査

今渡遺跡(いまわたりいせき)

  • 所在地:可児市今渡
  • 主な時代:室町、江戸

 当遺跡は、北東から南西方向に段をもつ木曽川左岸の低位段丘第3面上からやや西向きに延びる高台上に位置します。昭和58年度の岐阜県教育委員会による960m2の発掘調査では、土坑墓86基などの中世から近世にかけての遺構約260基と遺物約2,800点がみつかりました。これらの成果から、当遺跡は室町時代中期から始まる庶民の集団墓地であることが明らかとなりました。
 平成23年度は96m2、平成25年度は346m2の調査を行い、土坑墓20基、溝状遺構7条、井戸1基などの中世から近世の遺構237基を確認し、遺物約850点を発見しました。土坑墓は発掘区西端にある大型溝状遺構を境にその東側に造営されていること、また土坑墓と大型溝状遺構の主軸方位がほぼ一致していることから、墓域を計画的に設定してから墓を造営したと考えられます。造営開始時期の15世紀以降には火葬墓が営まれ、17世紀頃に火葬墓から土葬墓への変化が認められます。そして18世紀代には土葬墓へ墓制が完全に変化し、それに伴い造営された墓の数が増加することを確認しました。
今渡遺跡の発掘区遠景写真(西から撮影)
写真:今渡遺跡発掘区遠景(西から撮影)

  • 事業者名:岐阜県県土整備部可茂土木事務所
  • 事業名:平成25年度県単地方特定道路整備事業(街路事業)に伴う埋蔵文化財発掘調査

興福地遺跡(こうふくじいせき)

  • 所在地:大垣市興福地町
  • 主な時代:古代、中世

 当遺跡は、杭瀬川と揖斐川にはさまれた氾濫低地上にある集落跡です。遺跡は南北方向に長く広がり、遺跡の南東端を平成元年に大垣市教育委員会が道路建設工事に伴って調査しています。奈良時代と鎌倉時代の掘立柱建物跡が確認され、須恵器、灰釉陶器、緑釉陶器、山茶碗、瓦、青磁、木製品等が出土しました。これらの遺構や遺物は、「中河御厨(なかがわのみくりや)」(平成25年度調査事業計画「興福地遺跡」参照)に関連する可能性が考えられています。
 平成25年度の発掘調査地点は過去の調査地から約100m北に位置し、5月末から8月末の期間に583m2を調査しました。発掘区は養老鉄道の東と西にわかれ、鎌倉時代と平安時代の2面の調査面があり、掘立柱建物跡、掘立柱塀、井戸、溝状遺構などを確認しました。鎌倉時代の井戸からは完形の山茶碗が約30点出土し、墨書があるものが約10点あります。他に小型片口鉢や笊(ざる)、下駄、扇子の骨、斎串(いぐし)などの木製品も出土し、井戸を閉じる祭祀(さいし)に使用した道具をまとめて捨てたと考えられます。小型片口鉢は一般集落からの出土例があまり無いもので、片口付近を故意に打ち欠いています。出土遺物は土師器、須恵器、灰釉陶器、山茶碗、中近世陶磁器等の土器が約4,000点、石器が約30点、木製品が約100点出土しています。東地区からは井戸があり遺物が多く出土していることから生活の場であったと考えられますが、西地区から出土した遺物は極少数で非日常の場であったと考えられます。西地区の柱穴の中には、柱痕跡が直径約30cmのものもあり、神社建物跡のようなものか役所に関連するものである可能性があります。
興福寺遺跡の西側発掘区の遠景写真(東から撮影)
写真:発掘区(西地区)遠景(東から撮影)

  • 事業者:国土交通省中部地方整備局岐阜国道事務所
  • 事業名:平成25年度東海環状自動車道(大垣西IC〜大野神戸IC)に伴う埋蔵文化財発掘調査

北方京水遺跡(きたがたきょうずいいせき)

  • 所在地:大垣市北方町
  • 主な時代:中世

 平成25年度の発掘調査区は東西に分けられます。東側は旧中州にあたる微高地となり、機能が明確ではないものの、鎌倉時代を中心とする土坑や溝状遺構、柱穴を確認しました。また、土器や石器も多く出土したことから、集落域の一部にあたると考えられます。
 西側は旧河道にあたる低地部となり、2面の調査面のいずれからも水田跡を確認しました。第1面の水田跡では、推定される条里型地割に沿った大畦畔を確認しました。第2面の水田跡は、ほぼ全面を洪水堆積層に覆われており、畦畔や田面など当時の姿をよく残すものでした。水田小区画の平面形を比較すると、第1面では人為的に地形を平坦にしてほぼ方形の区画がつくられていたのに対し、第2面では自然地形の高低に沿った不定形の区画がつくられていました。
 また、発掘区の北部では自然流路の水流をせき止める2基の堰(せき)を確認しましたが、いずれも土と植物を積み重ねていく敷葉(しきは)工法を用いて構築されていました。堰の1つからは、構築時に祭祀を行ったと考えられる遺物(斎串)が出土しました。
北方京水遺跡の発掘区遠景写真(北東から撮影)
写真:発掘区遠景(北東から撮影)

  • 事業者:国土交通省中部地方整備局岐阜国道事務所
  • 事業名:平成25年度東海環状自動車道(大垣西IC〜大野神戸IC)に伴う埋蔵文化財発掘調査

随縁寺裏B地点遺跡(ずいえんじうらBちてんいせき)

  • 所在地:高山市上切町
  • 主な時代:縄文、弥生、古代、中世、近世

 随縁寺裏B地点遺跡は、高山市市街地北西の丘陵地帯に位置します。平成25年度は南地点と北地点に分けて1,100m2の発掘調査を行い、竪穴建物跡7軒、溝状遺構5条、土坑199基などを確認しました。竪穴建物跡は南地点の傾斜地で重複して確認し、出土した遺物及び遺構の先後関係から、7軒とも8世紀頃の建物と考えられます。これらの建物跡は南東側の谷地に堆積した砂礫層の上面で確認したことから、谷地がほぼ埋まった段階で建物が建てられたことが判明しました。また、谷地の堆積層の上層からは弥生時代の土器が、中層から縄文時代後期の土器や石器がまとまって出土しました。土器の摩耗が少ないことから、出土地点から近い場所のものが流れ込んだか、廃棄されたと考えられます。
隨縁寺裏B地点遺跡の発掘区遠景写真(南西から撮影)
写真:発掘区遠景(南西から撮影)

  • 事業者:国土交通省中部地方整備局高山国道事務所
  • 事業名:平成25年度中部縦貫自動車道高山清見道路に伴う埋蔵文化財発掘調査

整理等作業

荒尾南遺跡(あらおみなみいせき)

  • 所在地:大垣市荒尾町・桧町
  • 主な時代:弥生時代前期から古墳時代前期

 荒尾南遺跡は、平成18年度から平成23年度にかけて発掘調査を行い、主に弥生時代から古墳時代にかけての集落域と墓域、水田が営まれていたことなどが判明しました。平成25年度はB地区出土遺物の補強・復元作業、実測作業、実測図トレース作業、遺物写真撮影や報告書作成作業などを実施しました。
 弥生時代前期から中期では主に墓域を確認し、土器棺墓や木棺墓、方形周溝墓など多様な墓制が展開したことが分かりました。方形周溝墓からは細頸壺や甕(かめ)など遺存状態のよい供献土器が多数見つかっています。遺跡西側の自然流路と東側の大溝に挟まれた微高地上では、弥生時代後期から古墳時代前期にかけて集落が大規模に展開し、特に弥生時代末から古墳時代初頭の時期には竪穴建物が最も多く建ち並んでいたことを確認しました。土器、石器、金属製品、木製品など出土遺物も多岐にわたり、当時の人々の暮らしぶりをうかがい知ることができます。中には青銅製の鏡(倭鏡)や玉類など特殊な遺物も出土しており、居住空間のみならず、祭祀等を行う特殊な空間も確認しました。
方形周溝墓から出土した供献土器の写真
写真:方形周溝墓から出土した供献(きょうけん)土器

  • 事業者:国土交通省中部地方整備局岐阜国道事務所
  • 事業名:平成25年度東海環状自動車道(大垣西IC〜大野神戸IC)に伴う埋蔵文化財発掘調査

今渡遺跡(いまわたりいせき)

  • 所在地:可児市今渡
  • 主な時代:縄文、弥生、古墳、奈良、中世、近世

 平成25年度は遺物図版作成、遺構図版作成、文章執筆の整理作業を行い、報告書(第130集)を刊行しました。当遺跡は、室町時代中期から江戸時代までの庶民の集団墓地です。群集する土坑墓群の東側にある溝状遺構は明治時代の地割と一致します。昭和58年度調査では、この溝状遺構から江戸時代の遺物が出土しているため比較的新しいものと考えられていました。平成25年度の調査では、15世紀の火葬墓と溝状遺構の主軸方向がほぼ一致し、土坑墓の分布が溝状遺構の西側に偏在していることから、この地で造墓を行う当初から墓域の東側を区切るための区画溝であると考えられます。
墓跡などから出土した遺物の写真
写真:墓跡などから出土した遺物(中近世陶器、金属製品ほか)

  • 事業者名:岐阜県県土整備部可茂土木事務所
  • 事業名:平成25年度県単地方特定道路整備事業(街路事業)に伴う埋蔵文化財発掘調査

下切遺跡(しもぎりいせき)

  • 所在地:下呂市金山町中切
  • 主な時代:縄文、古代、中世、近世

 下切遺跡は縄文時代から近世の集落跡です。平成25年度は出土遺物の実測作業、実測図トレース作業、報告書編集作業等を実施しました。
 縄文時代では、竪穴建物跡4軒のほかに竪穴建物跡の可能性がある環状に廻る土坑群2か所を確認しました。古代では竪穴建物跡の時期が8世紀後葉から10世紀前半に限られることを、中世では四面庇(しめんびさし)建物跡が所在することを、近世では民家に近い間取りをもつ建物跡が所在することを確認しました。南側の発掘区では、17世紀後半から18世紀前半の鍛冶関連遺構、倉庫と推定できる建物跡群を確認し、近隣に同時期に営まれた飛州下原中綱場(県史跡)との関連性をうかがい知ることができる調査結果となりました。
砂岩製の鞴羽口の写真
写真:砂岩製の鞴羽口(ふいごはぐち)

  • 事業者:国土交通省中部地方整備局高山国道事務所
  • 事業名:平成25年度国道41号下原改良に伴う埋蔵文化財発掘調査

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