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平成25年度調査事業計画“何が見つかる?今年の遺跡”

発掘調査

東野遺跡(ひがしのいせき)

  • 所在地:加茂郡坂祝町大針・黒岩
  • 主な時代:縄文・弥生・古墳・古代・中世・近世

当遺跡は加茂野台地東端、美濃加茂盆地を眼下に望む段丘の縁に位置します。
平成15・16年度に6,470m2の調査を実施し、旧石器時代、縄文時代中期、古墳時代前期、古墳時代後期及び古代の遺構約3,840基を検出し、遺物約23,000点を確認しました。これらの成果から古墳時代前期に地域の中で中心的な役割を担う集落の一つであったことが判明しました。
平成24年度は、東野遺跡南端部2,564m2の調査を行い、竪穴建物跡28軒、掘立柱建物跡6棟、方形周溝墓3基、墓坑2基、井戸跡1基など、縄文時代から近世の遺構を2,240基検出し、遺物約10,000点を確認しました。竪穴建物跡の時期は、縄文時代中期2軒、弥生時代7軒、古墳時代前期12軒、古墳時代後期3軒、古代4軒です。掘立柱建物跡は、梁行2間桁行5間(約4m50cm、9m)、梁行3間桁行5間(約4m5cm、7m)のものなどを確認しました。方形周溝墓は弥生後期のもので、当遺跡では初めて確認しました。これらの成果から、当遺跡は断続的ではありますが居住域として利用され、弥生時代後期には墓域としても機能していたことが判明しました。
平成25年度は、24年度の東隣と北隣を調査します。集落域や墓域の広がりがさらに明らかになることが期待できます。

  • 事業者:国土交通省中部地方整備局多治見砂防国道事務所
  • 事業名:平成25年度一般国道21号坂祝バイパスに伴う埋蔵文化財発掘調査

平成24年度の発掘区です
平成24年度の発掘区(今年度は線で囲った範囲を調査します)

梅替古墳(うめがえこふん)

  • 所在地:加茂郡坂祝町深萱
  • 主な時代:古墳

梅替古墳は、坂祝中学校のある郷部山(ごぶやま)という丘陵の西側斜面の裾に立地しています。平成23年度に国道の建設予定地内で新たに発見された古墳です。直径約20m、高さ約3mの墳丘が良好に残っていますが、いつ頃造られた古墳なのかなど、詳しいことはまだわかっていません。今年度の調査で埋葬施設の状態や造られた時代などを明らかにしていきます。

  • 事業者:国土交通省中部地方整備局多治見砂防国道事務所
  • 事業名:平成25年度一般国道21号坂祝バイパスに伴う埋蔵文化財発掘調査

今渡遺跡(いまわたりいせき)

  • 所在地:可児市今渡
  • 主な時代:中世〜近世

今渡遺跡は、木曽川左岸の土田・今渡段丘上にあります。昭和58年度に岐阜県教育委員会が720m2の調査を実施し、中世から近世の火葬墓29基と土坑墓57基、大型の溝状遺構を2条検出しました。墓の一部からは縫針、銭貨、山茶碗、近世陶器などが出土しました。また、平成23年度に県文化財保護センターが行った96m2の調査では、溝状遺構5条を検出しました。これらの調査で検出した溝状遺構は、その方位や位置が明治時代の地籍図と一致することから、地割の境界として掘られたものであることが判明しました。また、溝状遺構と平行する位置で検出した隅丸方形の土坑から山茶碗が出土し、これらの溝状遺構が室町時代まで遡る可能性が高まりました。今年度の発掘調査では、過去2回の発掘区に隣接する346m2を調査します。今渡地区における、土地区画の成立年代や旧地形との関係における土地利用について明らかになることが期待できます。

  • 事業者:県可茂土木事務所
  • 事業名:平成25年度公共地域自主戦略交付金事業(街路事業)に伴う埋蔵文化財発掘調査

昭和58年度今渡遺跡発掘調査の様子(今年度は白線で囲った範囲を調査します)
昭和58年度今渡遺跡発掘調査の様子(岐阜県教育委員会1984『今渡遺跡』から転載。今年度は白線で囲った範囲を調査します)

興福地遺跡(こうふくじいせき)

  • 所在地:大垣市興福地町
  • 主な時代:古代・中世

興福地遺跡は、杭瀬川と揖斐川に挟まれた低地部に位置します。平成元年の大垣市教育委員会による都市計画道路昼飯・大島線立体交差事業に伴う発掘調査の場所は、当遺跡範囲の南東端にあたり、奈良時代の掘立柱建物跡1棟と鎌倉時代の掘立柱建物跡1棟が検出されています。また、この調査では須恵器、土師器、灰釉陶器、緑釉陶器、山茶碗、土錘、瓦、青磁、木製品等が出土しています。文献史料にごくわずかにあらわれる「中河御厨(なかがわのみくりや)」は、大垣市北西部に比定されていますが、御厨(みくりや)とは神に捧げる供物を整える場所のことや、そのための土地のことなどを言います。過去の調査で確認された建物跡は、伊勢神宮が所有する耕作地を管理する施設である可能性も考えられるようです。今年度の発掘区は、平成元年の調査場所から北西へ約100mの位置にあり、580m2を調査します。平成24年度に実施された試掘・確認調査では、土坑が検出され、灰釉陶器や山茶碗等が出土しています。今回の調査でも、建物跡が検出される可能性が考えられます。

  • 事業者:国土交通省中部地方整備局岐阜国道事務所
  • 事業名:平成25年度東海環状自動車道(大垣西IC〜大野神戸IC)に伴う埋蔵文化財発掘調査

山茶碗が出土した様子
試掘・確認調査での山茶碗出土状況

北方京水遺跡(きたがたきょうずいいせき)

  • 所在地:大垣市北方町
  • 主な時代:古代〜中世

北方京水遺跡は、大垣市の北部、標高9mほどの低地部に位置し、埋没した旧中州と旧河道上に立地する遺跡と考えられています。試掘・確認調査や過去の大垣市教育委員会の調査の結果から、旧中州の部分には、溝状遺構、土坑、さらに柱根や根石、礎石が残る柱穴も確認されており、集落域であることが予想されます。また旧河道の部分では、溝状遺構や水田の畦畔と思われるものが確認されており、水田遺構が残存していると思われます。
今年度は、旧中州から旧河道にかけての範囲を調査します。旧地形が当時の人々の土地利用にどのように影響を与えているのか、発掘の成果が楽しみです。

  • 事業者:国土交通省中部地方整備局岐阜国道事務所
  • 事業名:平成25年度東海環状自動車道(大垣西IC〜大野神戸IC)に伴う埋蔵文化財発掘調査

白磁や土師器の破片が出土しました
試掘・確認調査で出土した土器(白磁や土師器)

随縁寺裏B地点遺跡(ずいえんじうらBちてんいせき)

  • 所在地:高山市上切町
  • 主な時代:古代

随縁寺裏B地点遺跡は、高山市市街地の北西丘陵地帯に位置します。今回の発掘区は、当遺跡の西側を流れる、高曽洞(こそぼら)川に向かって開けた丘陵上に立地しています。現状では宅地や農地として造成が進み、いくつかの平坦面をもつ階段状の地形となっています。
平成20年度の試掘・確認調査において、古代の遺物、竪穴建物跡と考えられる遺構、土坑・柱穴などを検出しています。また、平成19年度に実施した隣接する与島C地点遺跡の発掘調査では、古代の遺物や柱根が残る古代の柱穴を検出しています。このことから、周囲の遺跡を含めて、古代の土地利用のありかたを検討できる遺構や遺物が確認できることを期待しています。

  • 事業者:国土交通省中部地方整備局高山国道事務所
  • 事業名:平成25年度中部縦貫自動車道高山清見道路に伴う埋蔵文化財発掘調査

整理等作業

今渡遺跡(いまわたりいせき)

発掘調査に引き続き、今年度中に整理作業を実施します。

荒尾南遺跡(あらおみなみいせき)

  • 所在地:大垣市荒尾町・桧町
  • 主な時代:弥生時代前期〜古墳時代前期

荒尾南遺跡は、平成18年度から平成23年度にかけて発掘調査を行い、主に弥生時代から古墳時代にかけての集落域と墓域が営まれていたことが判明しました。A地区では、弥生時代中期の周溝墓の配置状況が時期によって異なること、中世の土地の地割りをほぼ踏襲した水田跡が近世から近代にかけて営まれたことなどを確認しました。B地区では、弥生時代前期から中期の墓域や、弥生時代後期から古墳時代前期の集落域などを確認しました。弥生時代中期の方形周溝墓からは、供献土器と考えられる壺などが残りのよい状態で出土しています。また、集落域の東側に掘削された大溝からは多量の土器とともに青銅製の鏡(倭鏡)や石製の玉類などの特殊な遺物も出土しています。遺跡西側には河川が流れており、当時の人々が堰などを構築し、水を巧みに利用している様子がわかりつつあります。C地区では、弥生時代から古墳時代前期の方形周溝墓群を地区全体に、弥生時代末から古墳時代初頭頃の集落跡を一部に確認しました。また、古代と思われる水田遺構を検出し、河川跡や大溝からは、縄文時代晩期から古墳時代前期の多量の遺物が出土しました。木製品や石製品の加工を行っていたことを示す多くの遺物が出土したことからも、集落として利用された場所は限られていますが、多様な生産活動が行われていたことが考えられます。

  • 事業者:国土交通省中部地方整備局岐阜国道事務所
  • 事業名:平成25年度東海環状自動車道(大垣西IC〜大野神戸IC)に伴う埋蔵文化財発掘調査

B地区の方形周溝墓から出土した土器の画像
B地区の方形周溝墓から出土した土器

下切遺跡(しもぎりいせき)

  • 所在地:下呂市金山町中切
  • 主な時代:縄文〜近世

下切遺跡は、飛騨川右岸の河岸段丘上に立地します。平成20年度から平成21年度に発掘調査を行い、縄文時代や古代の竪穴建物跡や、中世から近世の掘立柱建物跡を検出しました。縄文時代の竪穴建物跡は、すべて縄文時代前期後半のものですが、その中でも古い時期のものは調査区の南側に、新しい時期のものは調査区の北側に立地することがわかってきました。古代の遺構では、竪穴建物跡の時期が、8世紀後半から9世紀前半に限られることを確認しました。当遺跡付近と推定される東山道飛騨支路と関連がある集落と考えられます。出土遺物・遺構の相互の関係を検討していくなかで、中世や近世の集落の具体的な様子を解明していきます。

  • 事業者:国土交通省中部地方整備局高山国道事務所
  • 事業名:平成25年度国道41号下原改良に伴う埋蔵文化財発掘調査

出土した近世陶器です
平成20年度の発掘調査で出土した近世陶器

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