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土岐頼芸の墓[ときよりよしのはか]

分類 史跡
指定別
所在地 揖斐郡揖斐川町谷汲岐礼
所有者 法雲寺
指定年月日 昭和49年11月13日

土岐頼芸の墓

 土岐頼芸は土岐氏最後の美濃国守護である。大永7年(1527)家臣の西村勘九郎(後の斎藤道三)の進言により、革手城に居住する兄の美濃守護政頼を攻めて守護となった。頼芸は、山県郡大桑城に移ったが、道三に操られ次第に勢力を弱め、遂に天文11年(1542)大桑城を追われ、ここに守護12代、約200年にわたり美濃を支配した土岐氏は没落した。
その後、土岐氏の旧臣稲葉一鉄が頼芸を岐礼に迎え、東春庵を設けて住まわせた。天正10年(1582)に同庵にて病死した。享年82才であった。
頼芸の墓石は、高さ約2mの自然石で、碑面には「東春院殿左京兆文官宗芸大居士」と刻まれている。さらに、右側の碑面には「天正十壬午年十二月初四日」と刻まれている。この自然石の下に宝篋印塔の一部が残っている。