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天正地震(天正13年)

記事ID:0005977 2021年3月31日更新 防災課 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示

(注)本データは、「特集と年表でつづるひだみのの災害岐阜県災害史(平成10年3月)」から抜粋したもので、岐阜新聞社出版局のご協力により原文のまま掲載したものです。文中にわかりにくいと感じる表現などがあるかもしれませんが、当時の新聞記事の表現を尊重しておりますのでご了承願います。

地震に消えた城

岐阜県白川郷のほぼ中央にあたる保木脇地区、帰雲(かえりぐも)と呼ばれる地に、戦国時代白川郷一帯から越中にかけて勢力を振るっていた内ケ島氏の居城帰雲城があった。

天正13年11月29日(1586年1月18日)深夜、突然の大地震によって、大規模な山崩れが起こり、帰雲城は城下町ともども一瞬にして崩落した土砂の地中深くに埋まった。城主内ケ島氏一族を含む領民300人はことごとく遭難し、一夜にして滅亡したと伝えられる。この地震は、北陸から中部、近畿にまたがる広い地域に被害をもたらした大地震であったため、一般には「天正地震」と呼ばれる。飛騨では白川谷が最も激甚であったため「白川地震」ともいわれている。ちなみに天正13年とは、豊臣秀吉が関白となり、金森長近が飛騨攻略を始めた年でもある。

各地の被害

今からおよそ400年ほど前のこの大地震により、美濃の大垣城は全壊した上、出火によって城中すべてを消失した。近江長浜城も大半がつぶれ、城主山内一豊の息女が圧死したという。以下は、各地の主な被害状況を簡単にまとめたものである。

越中

  • 山崩れが起こり、庄川が約20日にわたってせき止められる。
  • 砺波(となみ)郡木船城が崩壊陥没し、城主前田秀継夫妻も死亡。

飛騨

  • 白川村保木脇の帰雲城及び城下が埋没、城主内ケ島氏以下領民全員死亡。
  • 三方崩山ほか多数の山崩れが起こる。
  • 下呂市竹原の威徳寺七堂伽藍が倒壊焼失。

美濃

  • 大垣城が全壊焼失。
  • 白鳥の長滝寺三重塔が大破。

三河

 岡崎城が大破。

尾張

 甚目寺の法性寺、一宮真清田神社などが倒壊。

伊勢

  • 長島城が全壊。
  • 泥土化、湧没が多数起こる。
  • 宇治山田外宮が破損。

近江

 長浜城が全壊、城主山内一豊の息女死亡。

京都

  1. 三十三間堂の仏像が倒れる。
  2. 八坂神社拝殿、鳥居が破損。
  3. 壬生地蔵堂が倒壊。

大和

 多門院築垣が倒れる。
 (「日本地震史料第1巻」東京大学地震研究所編を参考)

このほか、加賀、越前、若狭や、摂津、紀伊など西日本各地でも被害が出たようである。

地震の規模と御母衣断層

地震の被害状況から、この天正地震の規模はマグニチュード7.9あるいは8.0〜8.1だったと推定されている。白川村保木脇では山崩れが起こっているが、地震で「斜面崩壊」がおこる地域は、気象庁の震度階でいうと震度6と7の域であるという。

天正地震は、活断層による直下型の大地震で、濃尾大震災にも匹敵する規模であったと思われる。

一方、震源とされる御母衣断層は、富山県平村から白川村を庄川に沿って南下し、保木脇を経て郡上郡明宝村(現郡上市)北部まで、長さ80kmにわたって連続する大断層である。また、その延長上には、益田郡萩原町(現下呂市)北部から下呂を通り、恵那東部に向かってはしる阿寺断層がある。

最近の調査で、この阿寺断層も同時に動いたとする証拠も見つかっており、さらには烈震地域が極めて広い範囲に散在している点で、天正地震は飛騨と近畿の二つの地震がほぼ同時に起こったとする見方もある。