ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

岐阜県の地震災害

記事ID:0005497 2015年9月11日更新 防災課 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示

 岐阜県内において、有史以来、被害をもたらした地震は次のとおりです(岐阜県地域防災計画から抜粋)。

1内陸型地震災害

西暦年月日(日本歴) 震源 規模 主要被災地 被災概要
745年6月5日
(天平17年4月27日)
美濃西部 M7.9 美濃・摂津 美濃で正倉、仏寺、民家の倒壊多し。
762年6月9日
(天平宝字6年5月9日)
美濃東部 M7.4 美濃・飛騨・信濃 詳細不明なるも被害があったことは疑いなし。
1185年8月13日
(文冶1年7月9日)
琵琶湖西岸 M7.4 近江・山城・大和 美濃にも大地震(京都白川辺の被害大)
1586年1月18日
(天正13年11月29日)
飛騨地震(天正地震)
飛騨白川−長良川の線(伊勢湾?) M7.9 飛騨・美濃・尾張 白川谷で山崩れ、城、民家300余戸倒壊、埋没、多数圧死。大垣壊家多し、益田郡竹原郷大威徳寺全壊。(尾張長島被害大。近江長浜でも数十人圧死)
1662年6月16日
(寛文2年5月1日)
琵琶湖西岸 M7.6 山城・近江・大和 美濃大いに震い、人畜屋舎の被害多し。
1819年8月2日
(文政2年6月12日)
琵琶湖東岸 M7.4 伊勢・美濃・近江 美濃西南部の被害大きく、家屋の倒壊、人畜の死傷あり。高須輪中の堤防破壊するもの多し。高山でも強震(近江八幡、安土付近の被害大)。
1833年5月27日
(天保4年4月9日)
美濃西部 M6.4 美濃西部 郡上郡上牧地方大地震あり。大垣9日より13日まで地震、山崩れ、人畜多く死す。(京都、伊那でも強震)
1847年5月8日
(弘化4年3月24日)
善光寺地震
信濃北部 M7.4 信濃・越後・飛騨・美濃 県下いたるところで感じ、余震連日に及ぶ。地面道路に所々潰裂し、家屋倒壊あるも詳細不明。飛騨保木脇村山崩れ、人家2戸埋没、数十人圧死。(高田、松本、上田付近の被害大)
1855年3月18日
(安政2年2月1日)
飛騨 飛騨西部 飛騨白川、大牧、保木脇に地震。保木脇に地震。保木脇で山崩れ、壊屋2、死者12人
1858年4月9日
(安政5年2月26日)
飛越地震
飛騨 M6.9 飛騨・越前・越中・加賀 飛騨北部で全壊319戸、半壊385戸、死者203人、山崩れ甚だし。(越中立山温泉付近で山崩れ、常願寺川を堰止め、後に決壊して大洪水
1891年10月28日
(明治24年10月28日)
濃尾地震
本巣市根尾水鳥 M8.0 美濃・尾張 美濃で死者4,990人、負傷者12,783人、全壊50,125戸、半壊35,085戸、全半焼4,451戸。飛騨、郡上、恵那郡ではほとんど被害なし。(全国被害:死者7,273人、全壊142,177戸、半壊80,184戸、全焼4,860戸)
1909年8月14日
(明治42年8月14日)
姉川地震
滋賀県姉川流域 M6.9 滋賀県姉川・虎姫付近 岐阜市西部で死者6人、重傷18人、全壊51戸、半壊138戸(滋賀県虎姫付近の被害大。湖岸沈下)
1961年8月19日
(昭和36年8月19日)
北美濃地震
石川県南部 M7.0 岐阜・福井・石川 石徹白地方最も甚しく、山崩れ、崖崩れ、道路損壊あり。死者2人。(全国被害:死者8人、家屋全壊12戸、山崩れ99カ所)

1969年9月9日
(昭和44年9月9日)
岐阜県中部地震(美濃中部地震)

岐阜県中部 M6.6 岐阜県中部 郡上郡、益田郡で山崩れ、崖崩れ多発。落石による道路損壊甚し。死者1人、負傷者10人、全壊1戸。
1984年9月14日
(昭和59年9月14日)
長野県西部地震
長野県西部 M6.8 長野 坂下町、付知町、加子母村、下呂町など近接する町村で家屋の損壊が48戸あった。全壊1戸、王滝村に大きな被害をもたらした。(全国被害:死者29人、負傷者10人、建物全壊・流出14戸、半壊73戸、一部破損565戸、道路損壊258など。死者及び建物流出は主として王滝川の流域などの発生した大規模崖崩れと土石流によるものである。)

2海溝型地震災害

西暦年月日(日本歴) 震源 規模 主要被災地 被災概要
887年8月26日
(仁和3年7月30日)
東海道沖 M8.6 五畿七道 美濃大地震(京都被害大、余震8月末まで)
1096年12月17日
(永長1年11月24日)
東海道沖 M8.4 畿内・東海道・南海道 詳細不明
1498年9月20日
(明応7年8月25日)
東海道沖 M8.6 東海道全般 詳細不明
1707年10月28日
(宝永4年10月4日)
宝永地震
東南海道沖 M8.4 五畿七道 美濃で垣破損6,900余間、潰家400戸、破損家473戸あり。(全国被害:死者4,900人、全壊29,000戸)
1854年12月23日
(嘉永7年11月4日)
安政東海地震
東海道沖 M8.4 東海・東山・南海 4日七ツ頃、高須、大垣、加納、不破郡、土岐郡、恵那郡で家屋倒壊多し。
1854年12月24日
(嘉永7年11月5日)
安政南海地震
南海道沖 M8.4 畿内・南海・東海 5日七ツ過ぎに又地震あり。余震引き続き、1ヶ月にわたり数十回あり。両日の地震被害は、美濃南部でひどく、美濃北部へいくほど軽かった。(全国被害:死者4,000人、全壊18,300戸、震火水による損害家屋60,000戸以上)
1944年12月7日
(昭和19年12月7日)
東南海地震
熊野灘 M8.0 静岡・愛知・三重・岐阜 西南濃地方を中心に死者13人、全壊900余戸。(全国被害:死者998人、全壊26,130戸、流出3,059戸)
1946年12月21日
(昭和21年12月21日)
南海道地震(昭和南海地震)
潮ノ岬沖 M8.1 中部以西各地 西南濃地方を中心に死者14人、全壊586戸。(全国被害:死者1,339人、全壊9,070戸、流出1,451戸、焼失2,598戸)