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20.濃州方県郡木田村御縄打水帳

濃州方県郡木田村御縄打水帳
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資料名:濃州方県郡木田村御縄打水帳
資料名(ふりがな):のうしゅうかたがたぐんきだむらおんなわうちみずちょう
年代:慶長14年(1609)
資料番号:坂口通雄家文書2-(1)-2

解説:
加納藩領方県郡木田村(岐阜市)の検地帳。幕府が大久保長安を惣奉行として実施した美濃一国検地(石見検地)によるもの。
表紙と末尾から領主の加納藩(「松平飛驒殿」)でなく、大野郡などの代官林丹波守が作成したことがわかる。
この検地は、その土地の領主や代官以外の譜代大名・代官を担当者として実施された。

石見検地―徳川氏の美濃一国検地―
慶長14年(1609)から翌年にかけて、徳川氏は美濃で、自身の直轄領や大名・旗本領の区別なく検地を実施した。この検地は、惣奉行大久保長安の官名(石見守)から石見検地と呼ばれる。
美濃全域で実施された検地は、天正17-18年(1589-90)の太閤検地から20年ぶりであり、美濃全域の検地は、これが最後となった。
検地は、大久保配下と美濃国内の譜代大名(加納藩・岩村藩)や隣国の譜代大名(三河岡崎藩、三河吉田藩、伊勢桑名藩、近江彦根藩)が担当し、それぞれの関係地以外を検地した。こうした措置は、土地生産力を正確に把握するためと考えられる。
石見検地により、徳川氏は美濃国内の生産力を把握した。さらに、この検地に基づき、慶長15年に美濃国内の寺社領を安堵し、また同17年に尾張藩に美濃で初めて7,500石余りの領地を与えた。
表 石見検地の担当者および担当地の例 [PDFファイル/124KB]

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