ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

岐阜県会会議日誌

21.岐阜県会会議日誌

岐阜県会会議日誌の画像
<上の画像をクリックすると大きな画像を見ることができます>

資料名:岐阜県会会議日誌
資料名(ふりがな):ぎふけんかいかいぎにっし
年代:明治12年(1879)
資料番号:赤座家文書10‐(5)‐1

解説:
第1回岐阜県会の会議日誌。4月24-26日分。
第1回県会は、4月22-24日の準備を経て、同月25日に開場式が開催され、6月3日に閉会した。
県会では、提出された議案について質疑が行われた。特に、明治12年度地方税支出予定表への堤防費計上をめぐり、賛成する美濃西南部(水場)選出議員と反対する飛騨・東濃(山岳)選出議員との議論は、のちの山岳・水場論争の端緒となった。

山岳・水場論争とは:
初期の岐阜県会における、飛騨・東濃(山岳)選出議員と美濃西南部(水場)選出議員との対立。
地方税支出をめぐり、前者は道路・橋梁費の、後者は治水費のそれぞれ増額を主張した。対立は激化し、明治16年(1883)には、飛騨三郡の地方税分離運動が展開された。このため岐阜県令小崎利準は、同年度予算において、道路・橋梁費と治水費を均衡させた。以後、この均衡は維持され、対立は収束していった。

戻る