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H25調査ファイル随縁寺裏B地点遺跡発掘調査成果

随縁寺裏B地点遺跡の発掘調査の成果をお知らせします

随縁寺裏B地点について

随縁寺裏B地点遺跡は、高山市市街地の北西丘陵地帯に位置(詳細場所はここをクリック<外部リンク>)します。今年度は南地点と北地点に分けて1,100m2の発掘調査を行い、竪穴建物跡7軒、溝跡5条、土坑199基などを確認しました。
平成25年度随縁寺裏B地点遺跡発掘区を南西から撮影した写真
平成25年度発掘区遠景(南西から)

古代の建物跡を確認

竪穴建物跡は南地点の山麓傾斜地から重複して見つかりました。竪穴建物跡はそこから出土した遺物や他の遺構との先後関係から7軒とも8世紀頃の建物跡であり、同じ場所で建てかえられたと考えられます。
竪穴建物跡の東側には砂礫層が堆積した谷があり、その上面で建物跡が確認できたことから、谷がほぼ埋まり、なだらかな地形になった後に竪穴建物が建てられたと考えられます。また、一部の建物跡では、壁際にカマドを設置した痕跡を示す焼土・炭化物を北側の壁の中央で確認しました。
平安時代前期になると、当遺跡の南西方向に隣接して、役所との関わりを示す集落跡である野内遺跡(B地区)が山麓傾斜地に大規模に展開します。今回確認した建物跡は、この遺跡よりも古い時代に山麓傾斜地に営まれた小規模な集落跡と考えられます。
壁付近で焼土を確認した竪穴建物跡の写真
竪穴建物跡(南から)奥の壁付近で焼土(白線部分)を確認しました。

弥生時代や縄文時代の遺物を発見

建物跡を確認した谷部分を掘り下げると、堆積層の上層から弥生時代の土器が、中層から縄文時代後期の土器や石器がまとまって出土しました。土器の摩耗が少ないことから、出土地点から近い場所に弥生時代や縄文時代の集落跡があった可能性が考えられます。
谷の堆積物の中層で確認した縄文土器と石器の写真
谷の堆積物の中層で確認した縄文土器と石器

調査を終えて

今回の調査を行った谷では、縄文時代からこの地を利用した人々の痕跡が認められます。その後、山から流れた谷水と土石流により数度にわたって土砂が堆積し、徐々に谷が埋没したと考えられます。古代になって、谷が埋没した山麓傾斜地に竪穴建物が建てられ、小規模な集落が営まれたと考えらます。

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