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第45集諸家(3)1天池家

岐阜県歴史資料館 所在史料目録

第45集 諸家文書目録(3)

廿屋村天池家文書

年月日 文書名 文書番号
万治2年2月20日 廿屋村中組御検地野帳(原本) 地引庄ヤ彦四郎外2人・浅野九郎右衛門外3人 1冊 1
万治2年2月22日 廿屋村中村御検地野帳(原本) 1冊 2
万治2年2月24日 廿屋村上村御検地野帳(原本) 1冊 3
万治2年2月26日 廿屋村中村居屋敷御検地野帳(原本) 1冊 4
万治2年 下廿屋村名寄下書帳(下書) 1冊 5
(万治2年) (廿屋村名寄帳)(表紙欠)(原本) 1冊 6
(寛文2年3月) 寛文弐年壬寅参月 濃州加茂郡津々屋村民家絵図(単色)(写)(一枚には年号なけれども家数は同じ) 1冊 7
天和元年11月 加茂郡廿屋村定免之事(原本) 杉田九郎兵衛から廿屋村庄屋・惣百姓中宛 1通 8
天和2年11月 加茂郡廿屋村免定之事(原本) 杉田九郎兵衛から廿屋村庄屋・惣百姓中宛 1通 9
天和3年11月 加茂郡廿屋村免定之事(原本) 杉田八郎左衛門から廿屋村庄屋・年寄・惣百姓中宛 1通 10
貞享元年10月・23 加茂郡廿屋村子年免定之事(原本) 甲斐庄四郎右衛門から廿屋村庄ヤ・年寄・惣百姓中宛 1通 11
貞享2年11月 加茂郡廿屋村丑年免定之事(原本) 岩出藤左衛門から廿屋村庄屋・惣百姓中宛(寅(貞享3年)年正月付、岩出藤左衛門から廿屋村庄屋・惣百姓中宛の裏書がある) 1通 12
貞享3年2月 濃州加茂郡廿屋村牢人手形(原本) 廿ヤ村庄屋 徳左衛門・年寄 甚右衛門から岩出藤左衛門宛 1冊 13
貞享4年11月 加茂郡廿屋村卯年免定之事(原本) 岩出藤左衛門から廿屋村庄屋・惣百姓中宛 1通 14
元禄元年11月 加茂郡廿屋村辰年免定之事(原本) 岩出藤左衛門から廿屋村庄屋・惣百姓中宛 1通 15
元禄2年11月 加茂郡廿屋村巳年免定之事(原本) 岩出藤左衛門から廿屋村庄屋・惣百姓中宛 1通 16
元禄3年11月 加茂郡廿屋村午年免定之事(原本) 岩出藤左衛門から廿屋村庄屋・惣百姓中宛 1通 17
元禄4年11月 加茂郡廿屋村未年免定之事(原本) 岩出藤左衛門から廿屋村庄屋・惣百姓中宛 1通 18
元禄5年10月 加茂郡廿屋村申年免定之事(原本) 岩出藤左衛門から廿屋村庄屋・惣百姓中宛 1通 19
元禄6年10月 加茂郡廿屋村酉年免定之事(原本) 岩出藤左衛門から廿屋村庄屋・惣百姓中宛 1通 20
元禄7年10月 加茂郡廿屋村戌年免定之事(原本) 岩出藤左衛門から廿屋村庄屋・惣百姓中宛 1通 21
元禄8年10月 加茂郡廿屋村亥年免定之事(原本) 岩出藤左衛門から廿屋村庄屋・惣百姓中宛 1通 22
元禄9年10月 加茂郡廿屋村子年免定之事(原本) 岩出藤左衛門から廿屋村庄屋・惣百姓中宛 1通 23
元禄10年10月 加茂郡廿屋村丑年免定之事(原本) 岩出藤左衛門から廿屋村庄屋・惣百姓中宛 1通 24
元禄11年10月 加茂郡廿屋村寅年免定之事(原本) 岩出藤左衛門から廿屋村庄屋・惣百姓中宛 1通 25
元禄12年10月 濃州加茂郡廿屋村卯御成ケ割付之事(原本) 辻六郎左衛門から廿屋村庄屋・百姓宛 1通 26
元禄13年11月 濃州加茂郡廿屋村辰御成ケ割付之事(原本) 辻六郎左衛門から廿屋村庄屋・百姓宛 1通 27
元禄14年10月 廿屋村巳御成ケ割付之事(原本) 辻六郎左衛門から廿屋村庄屋・百姓宛 1通 28
宝永元年10月 濃州加茂郡廿屋村申御成ケ割付之事(原本) 辻六郎左衛門 1通 29
宝永2年11月 濃州加茂郡廿屋村酉御成ケ割付之事(原本) 辻六郎左衛門から廿屋村庄屋・百姓宛 1通 30
享保6年.正 美濃国何郡何村高反別指出帳(写) 笠松御郡代所宛 1冊 31
享保6年6月 (去子御年貢米金納払御勘定目録)(前欠)(原本) 廿屋村庄屋 甚右衛門・年寄 勘右衛門から赤坂文蔵宛(丑六月付赤坂文蔵から廿屋村庄屋・年世の中宛子年御年貢米金皆済勘定之仕上候旨の奥書あり) 1通 32
享保7年 (御年貢皆済目録)覚(原本) 岩室伊右衛門から廿屋村名主・組宛 1通 33
享保8年5月 (御年貢皆済目録)覚(原本) 岩室伊右衛門から廿屋村名主・組宛 1通 34
享保9年7月 (御年貢皆済目録)覚(原本) 廿屋村庄屋 伊平次外2人から御代官宛(辰七月付岩伊右衛門の裏書きがある) 1通 35
享保10年5月 (御年貢皆済目録)覚(原本) 廿屋村庄屋 勘右衛門外2人から御代官宛(巳五月付岩伊右衛門の裏書きがある) 1通 36
享保11年5月 (年貢皆済目録)覚(原本) 廿屋村庄屋 勘右衛門外2人から御代官宛(午六月付岩伊右衛門の裏書きがある) 1通 37
延享4年5月 美濃国加茂郡廿屋村寅年御年貢皆済目録(原本) 幸善大夫から廿屋村庄屋・年寄・惣百姓中宛 1通 38
宝暦2年10月 申年御年貢可納割付之事(原本) 柴藤右衛門から廿屋村名主・組頭・惣百姓宛 1通 39
宝暦6年12月 子年御年貢可納割付之事(原本) 上彦右衛門から廿屋村庄屋・年寄・惣百姓宛 1通 40
宝暦7年2月 諸国御代官所御預リ所在御普請之儀ニ付申渡書附き写(写) 下川辺御役所 1冊 41
宝暦8年10月 寅年御年貢可納割付之事(原本) 上彦右衛門から廿屋村庄屋・惣百姓宛 1通 42
宝暦8年11月.中旬 暮露陰家(原本) 遠州浜松 普大寺本則門弟 竹慰 1冊 43
宝暦10年10月 辰年御年貢可納割付之事(原本) 上彦右衛門から廿屋村庄屋・年寄・惣百姓宛 1通 44
宝暦11年8月 村差出明細帳(下書) 濃州加茂郡廿屋村庄屋 七十郎・年寄 長兵衛・百姓代 茂兵衛から笠松御郡代所宛 1冊 45
宝暦11年11月 巳年御年貢可納割付之事(原本) 千清右衛門から廿屋村庄屋・年寄・惣百姓宛 1通 46
宝暦12年10月 午年御年貢可納割付之事(原本) 千清右衛門から廿屋村庄屋・年寄・惣百姓宛 1通 47
宝暦13年10月 未年御年貢可納割付之事(原本) 千清右衛門から廿屋村庄屋・年寄・惣百姓宛 1通 48
戌(明和3年)5月 (琉球人参向帰国之節人馬賃受取申候に付)覚(原本) 笠松御役所から廿屋庄ヤ宛 1通 49
(明和3年) 戌(年貢仮免状)(原本) 加茂郡廿屋村宛 1通 50-1
(明和4年) 亥(年仮免状)(原本) 廿屋村宛 1通 50-2
(明和5年) 子(仮免状)(原本) 廿屋村宛 1通 50-3
(明和6年) 丑年(仮免状)(原本) 廿屋村宛 1通 50-4
(明和7年) 寅年(仮免状)(原本) 廿屋村宛 1通 50-5
(明和8年) (卯年仮免状)(原本) 1通 50-6
(安永元) 辰年(仮免状)(原本) 1通 50-7
(安永2年) 巳年(仮免状)(原本) 廿屋村宛 1通 50-8
(安永3年) 午年(仮免状)(原本) 廿屋村宛 1通 50-9
(安永4年) 当未年御取箇仮免状(原本) 加茂郡廿屋村宛 1通 50-10
(安永5年) 当申仮免状(原本) 廿屋村宛 1通 50-11
(安永6年) 酉仮免状(原本) 廿屋村宛 1通 50-12
(安永7年) 当戌仮免状(原本) 廿屋村宛 1通 50-13
(安永8年) 亥仮免状(原本) 廿屋村宛 1通 50-14
(安永9年) 子仮免状(原本) 廿屋村宛 1通 50-15
(天明元) 丑仮免状(原本) 廿屋村宛 1通 50-16
(天明2年) 寅仮免状(原本) 廿屋村宛 1通 50-17
(天明3年) 卯仮免状(原本) 廿屋村宛 1通 50-18
(天明4年) 辰仮免状(原本) 廿屋村宛 1通 50-19
(天明5年) 巳仮免状(原本) 廿屋村宛 1通 50-20
(天明6年) 午仮免状(原本) 廿屋村宛 1通 50-21
(天明7年) 仮免状(原本) 廿屋村宛 1通 50-22
(天明8年) 申仮免状(原本) 廿屋村宛 1通 50-23
○50-1〜23はかんぜよりで、一括してあった。
(寛政元) 酉仮免状(原本) 加茂郡廿屋村宛 1通 50-24
(寛政2年) 当戌御年貢仮免状(原本) 下川辺御役所から加茂郡廿屋村宛 1通 50-25
亥(寛政3年)1月0 仮免状(原本) 下川辺御役所から廿屋村宛 1通 50-26
子(寛政4年)9月 子御取箇仮免定(原本) 下川辺御役所から加茂郡廿屋村宛 1通 50-27
丑(寛政5年)9月 丑御取箇仮免状(原本) 下川辺御役所から加茂郡廿屋村宛 1通 50-28止
○50-24〜28止は、かんぜよりで一括してあった。
亥(明和4年)7月 (当亥年分当所持人足賃前割請取申候に付)覚(原本) 笠松御役所から廿屋村庄屋・年寄宛 1通 51
亥(明和4年)1月2 (小役金受取申候に付)覚(原本) (笠松)御役所から廿屋村宛 1通 52
子(明和5年)8月 (小役割請取申候に付)覚(原本) 笠松御役所から廿屋村庄屋宛 1通 53
丑(明和6年)7月3日 (御用人足賃請取申候に付)覚(原本) 笠松御役所から廿屋村宛 1通 54
安永2年12月 巳御年貢可納割附之事(原本) 岩出伊右衛門から廿屋村庄屋・年寄・惣百姓宛 1通 55
安永4年10月 未御年貢可納割付之事(原本) 大彦四郎から廿屋村庄屋・年寄・惣百姓宛 1通 56
安永6年10月 酉御年貢可納割付之事(原本) 大彦四郎から廿屋村庄屋・年寄・惣百姓宛 1通 57
安永7年10月 戌御年貢可納割付之事(原本) 大彦四郎から廿屋村庄屋・年寄・惣百姓宛 1通 58
天明3年6月 (夫食代金奉請取候に付)覚(下書) 加茂郡廿屋村庄屋又次郎外2人から大原亀五郎様下川辺御役所宛 1通 59
寛政元年3月 御林木数書上ヶ帳(下書) 廿屋村庄ヤ 又次郎外2人から下川辺御役所宛 1冊 60
寛政元年11月 (主に御年貢関係)万覚帳(原本) 1冊 61
寛政2年2月 (御年貢ニ差詰り)借用申金子之事(原本) 金かり主 廿屋村庄屋平左衛門外2人から関辻町 四郎左衛門宛 1通 62-1
戌(寛政2年)3月29日 (酉四月分米代受取愛済申候に付)覚(原本) 関 四郎左衛門から廿屋村 又治郎・庄三郎宛 1通 62-2
戌(寛政2年)4月2日 (御米四拾俵代引残金引合)覚(原本) 関 塩屋四郎左衛門から廿屋村庄屋 平左衛門宛 1通 62-3
亥(寛政3年).正.21 (納米廿六俵受取申候に付)覚(原本) せき 四郎左衛門から廿屋村庄屋 平左衛門宛 1通 62-4
辛亥(寛政3年).正.22 (納米弐拾三俵請取)覚(原本) 関本町 市郎右衛門からつヾ屋村庄屋 平左衛門宛 1通 62-5止
○62-1〜5止は、「戌とし関町塩屋四郎左衛門請取入 亥とし噴有」とある包紙に包んであった。
寛政3年3月 禅宗・法華宗・浄土真宗当亥宗門人別帳(控) 美濃国加茂郡廿屋村 1冊 63
亥(寛政3年)11月6日 風折木売札入覚(原本) 1通 64-1
亥(寛政3年)1月1 金請取通(原本) 廿屋村庄屋 平左衛門 1通 64-2
(寛政3年11月) (行者様出来見積書)(原本) 上有知 石屋藤兵衛 1通 64-3
(寛政3年12月か) (当社木代残金御勘定之儀来正月迄御延被下候に付)証文一札之事(原本) 本主 甚三郎・受人 丈右衛門外2人から御村役人衆中宛(「子(寛政4年)年2月22日残金請取相済申候」という文句がある。) 1通 64-4
年月日未詳 (白山神社普請入札綴)(原本) 1綴 64-5
(寛政4年).正.13 (大工衆挽引仕入金二分御かし被成可被下候に付)口上(原本) 丈右衛門から御庄屋 平左衛門宛 1通 64-6
子(寛政4年)2月8日 (宮木代之内へ金五両請取申候に付)覚(原本) 庄屋 平左衛門から七十郎宛 1通 64-7
(寛政4年.閏2月20日) 行者様建立諸事覚(原本) 1通 64-8止
○64-1〜8止は、「寛政3年11月 書物入」とある袋に入っていた。
寛政5年6月 (岡田利八郎様御改)古新御林御改木数撰出シ帳(原本) 1冊 65
寛政5年12月17日 (定式人馬船賃割賦請取之候に付)覚(原本) 笠松堤方御役所から廿屋村庄屋宛 1通 66
寅(寛政6年)10月20日 (当寅年遠所役金請取候に付)覚(原本) 高木忠次郎・岡野龍四郎から廿屋村庄屋・年寄宛 1通 67
寛政6年12月.□ 定式人馬船賃割賦請取之候に付)覚(原本) 笠松堤方御役所から廿屋村庄屋宛 1通 68
寛政7年9月 立山御姥尊布橋奇(寄)進帳(原本)(印刷) 立山寺芦崎 相真坊宛 1冊 69
寛政8年12月18日 定式人馬船賃割賦請取之候に付)覚(原本) 笠松堤方御役所から廿屋村庄屋宛 1通 70
寛政9年3月12日 (当巳年遠所役金請取之候に付)覚(原本) 鈴木門三郎手代 七里左六・同人手付・御普請役元〆格 河嶋彦蔵から廿屋村庄屋宛 1通 71
寛政9年3月 (村方惣作分)売渡之申田地之事(下書) 庄屋 平左衛門外2人から直吉・忠四郎宛 1枚 72
未(寛政11年)11月5日 (1)(未御廻米納入用・去々巳年浅草御蔵出張所入用受取申候に付)覚(原本) 飯塚伊兵衛手代 岡田利八郎から廿屋村宛 1綴 73-1
未.6月9日 (2)(午御廻米納入用不足之分受取切手)(原本) 廿屋村宛 1綴 73-1
未.2月14日 (3)(午御廻米納入用(切手))(原本) 廿屋村宛 1綴 73-1
午(寛政10年)11月9日 (4)(午御廻米納入用大積切手)(原本) 廿屋村宛 1綴 73-1
未.4月14日 (5)(去午太餅買納代受取申候に付)覚(原本) 大井田門蔵から廿屋村庄屋宛 1綴 73-1
申(寛政12年)4月10日 (去ル巳年国役金請取切手)(原本) 大井田門蔵から廿屋村庄屋宛 1通 73-2
申(寛政12年)4月10日 (春納遠所金受取)覚(原本) 下川辺割元 喜右衛門から廿屋村御庄屋衆宛 1通 73-3止
○73-1〜3止は、「御蔵前出張所御入用御請取書入・太餅米石代御請取書入・御廻米納入用御請取書入」とある包紙に包んであった。
寛政11年.正.吉 御用状写帳(原本) 1通 74
寛政12年・閏4月 (其村々此度自分支配所ニ被仰付候に付)致仰渡書写(写) 小大助(申5月付廿屋村庄屋 平左衛門外2人の請書が書かれている。) 1通 75
寛政12年5月 (濃州加茂郡廿屋村明細帳)(下書) 加茂郡廿屋村百姓代 久米二郎・年寄 長兵衛・庄屋 平左衛門 1通 76
寛政12年・12月25日 (定式人馬船賃割賦請取之候に付)覚(原本) 笠松堤方御役所から廿屋村庄屋宛 1通 77
享和元.秋 半鐘建立奉加帳(原本) 大法山福昌禅寺 1通 78
享和元年12月23日 (定式人馬船賃請取之候に付)覚(原本) 笠松堤方御役所から廿屋村庄屋宛 1通 79
享和2年5月 田畑高反別御取米書上ケ帳(控) 加茂郡廿屋村百姓代 久米次郎・年老 長兵衛・庄屋 平左衛門から下川辺御役所宛 1冊 80
享和2年7月 (加茂郡廿屋村)田畑荒所高反別改帳(写) 下川辺御役所にて 庄屋 平左衛門 1冊 81
享和2年12月3日 (当戌年御廻米納諸入用金請取申に付)覚(原本) 小出大助手代 太田文兵衛から濃州加茂郡廿屋村 納人 平左衛門宛 1通 82-1
享和3年.正 (去々酉年江戸御廻米納諸入用之内不納ニ相成候分請取申に付)覚(原本) 小出大助手代 太田文兵衛から濃州加茂郡廿屋村宛 1通 82-2止
○82-1・2止は、「戌之御年貢御通・酉御年貢御通・米廿八石六升八勺酉皆済」とある紙袋に一括してあった。
享和3年12月18日 (定式人馬船賃請取之候に付)覚(原本) 笠松堤方御役所から廿屋村庄屋宛 1通 83-1
辰(文化5年)9月 (当辰春役御普請遠所金上納に付)覚(原本) 三河口太忠手附 百々彦一・鈴木幸次郎・同人手代 椎名数兵衛から加茂郡廿屋村庄屋宛 1通 83-2止
○83-1〜2止は、「亥年堤方小役金、文化五辰年遠所金御切手入」とある包紙に包んであった。
享和4年.正 (御林之内御払木数九十四本請取候に付)覚(写) 百姓代 長兵衛・年寄 勘右衛門・庄屋 平左衛門から小出様元御手附 岡田理右衛門宛 1通 84
(文化元か).3月12日 (郷蔵壱ケ所仕様帳通り可仕候に付)覚(原本) 受取人 庄左衛門・忠四郎・世話人 佐玄次から庄屋 平左衛門宛 1通 85
文化元年10月4日 (1)(去々年分御廻米籾浅草御蔵出張所入用割賦金)覚(原本) 田口五郎左衛門手代 太田文兵衛から濃州加茂郡廿屋村宛 1綴 86-1
文化元年11月・20 (2)(当子御廻米江戸納入用)覚(原本) 田口五郎左衛門手代 太田文兵衛から濃州加茂郡廿屋村宛 1綴 86-1
文化元年6月・23 (3)(去亥御廻米江戸納入用金追取立之分請取申に付)覚(原本)田口五郎左衛門手代 太田文兵衛から濃州加茂郡廿屋村宛 1綴 86-1
丑(文化2年)1月1・(5) (去子御廻米江戸納入用不足之分請取申に付)覚(原本) 田口五郎左衛門手代 太田文兵衛から濃州郡上郡(加茂郡)廿屋村宛 1通 86-2
(文化2年11月5日) 廿屋分(子御年貢其外割返と子御廻米納入用不納取立差引残金渡ス覚)(原本) (この文書の筆跡は、太田文兵衛に同じ) 1通 86-3
(文化2年11月5日) 子年御年貢金御通写(写) 田口五郎左衛門手代 太田文兵衛から加茂郡廿屋村宛 1通 86-4止
○86-1〜4止は、「子御役所小手形入」とある紙袋に入っていた。
文化元年7月 田口五郎左衛門様当分御預リ所 美濃国加茂郡廿屋村取調帳(控) 加茂郡廿屋村百姓代 長兵衛・年寄 勘右衛門・庄屋 平左衛門から下川辺御役所宛 1通 87
文化元年7月 貯夫食囲郷蔵普請帳(原本) 1冊 88-1
(文化元) 郷蔵仕様帳(原本)(くら新築の注文書) 1通 88-2止
○88-1〜2止は、一括してあった。
文化元年7月 (廿屋村明細帳)(下書) 百姓代・年寄・庄屋 1通 89
文化2年3月.吉 永代不易太々御神楽講二百人講帳(原本) 津嶋神官 真野門之太夫 藤原綱置 1通 90
文化2年.□ (当丑[ ]納入用請取申に付)覚(原本) □□五郎左衛門手代 太田文兵衛から□□加茂郡廿屋村宛 1通 91-1
文化3年・正 (去丑御廻米[ ]請取申に付)覚(中欠)(原本) □□□郎左衛門手代 太田文兵衛から濃州加茂郡廿屋村宛 1通 91-2止
○91-1〜2止は、「丑年御役所小□□・御□□・御通[ ]」とある包紙(地欠)に包んであった。
寅(文化3年).正.4 (川下米ミの以買替米被仰付候間廿屋村并左衛門様金子御持参御出可被下候に付手紙)(原本) 桑名より 又左衛門からきぬ丸 浅右衛門・廿屋 平左衛門宛 1通 92
文化3年3月 起返り高反別書上ケ帳(写) 廿屋村庄ヤ 佐左衛門外2人から下川辺御役所宛 1冊 93
寅(文化3年か).9月11日 (御立札遠所金受取に付)覚(原本) 下川辺村庄ヤ 友之丞から廿屋村御庄屋 佐左衛門宛 1通 94
寅(文化3年)9月19日 (当寅年御普請遠所金受取之候に付)覚(原本) 三河口太忠手付 下又一から廿屋村宛 1通 95
文化3年11月11日 (当寅御廻米江戸納諸入用請取申に付)覚(原本) 田口五郎左衛門手代 太田文兵衛から廿屋村納人 平左衛門宛 1通 96-1
寅(文化3年か).12 (定式人馬船賃請取候に付)覚(原本) 笠松堤方御役所から廿屋村庄屋宛 1通 96-2止
○96-1〜2止は、包紙と文書とを整理者が合体させた。
文化3年.極 売渡シ申田地之事(下書) 売り主 新右衛門外4人から亀次郎宛 1通 97
文化4年3月5日 (御囲石代金其村出金高之五分賄請取候に付)覚(原本) 田口五郎左衛門手代 太田文兵衛から濃州加茂郡廿屋村宛 1通 98
文化4年5月20日 (去寅年琉球人参府帰国共道中人馬諸入用高役金請取候に付)覚(原本) 田口五郎左衛門手代 太田文兵衛から濃州加茂郡廿屋村宛 1通 99
卯(文化4年か).9 (当卯年遠所金并去寅村預ケ共請取候に付)覚(原本) 笠松堤方御役所から廿屋村庄屋宛 1通 100
文化4年10月5日 (御囲石代五分通残金請取候に付)覚(原本) 田口五郎左衛門手代 太田文兵衛から濃州加茂郡廿屋村宛 1通 101-1
う(文化4年)1月2 (御米百拾五俵船賃引合)覚(原本) 小瀬 問屋喜平次から廿屋村庄屋 佐左衛門宛 1通 101-2
文化5年6月 (美濃国去卯年私領村々国役普請金請取候に付)覚(原本) 田口五郎左衛門手代 太田文兵衛から濃州加茂郡廿屋村宛 1通 101-3止
○101-1から3止は、「文化四年卯之御役所小手形・御切手・御通三冊入」とある包紙に包んであった。
文化4年10月29日 (去々丑年江戸御廻米浅草御蔵出張所入用出金之分請取候に付)覚(原本) 田口五郎左衛門手代 太田文兵衛から濃州加茂郡廿屋村宛 1通 102
文化4年12月3日 (当卯江戸御廻米納入用大積金受取候に付)覚(原本) 田口五郎左衛門手代 太田文兵衛から濃州加茂郡廿屋村宛 1通 103
卯(文化4年)1月2 (当卯春遠所金上納に付)覚(原本) 三河口太忠手付 百々彦一・早川兵内から廿屋村宛 1通 104
文化5年10月5日 (去々寅年分江戸浅草御蔵出張所入用請取候に付)覚(原本) 田口五郎左衛門手代 太田文兵衛から廿屋村宛 1通 105-1
(文化5年)11月29日 (御米百拾四俵之入用之方へ弐朱御預り申候に付)覚(原本) 惣代 勇助から廿屋村御庄屋衆宛 1通 105-2
文化5年11月 (当辰御廻米納諸入用受取候に付)覚(原本) 田口五郎左衛門手代 太田文兵衛から廿屋村宛 1通 105-3
辰(文化5年)1月2 (当辰濃州私領村々国役普請金請取候に付)覚(原本) 田口五郎左衛門手代 本間佐左衛門・富取儀右衛門から廿屋村宛 1通 105-4
巳(文化6年)3月5日 (江戸納入用内割他〆受取相済申候に付)覚(原本) 下川辺割元 官兵衛から廿屋村御庄屋 平左衛門宛 1通 105-5
巳(文化6年)5月3日 (九匁五分八厘請取申候に付)覚(原本) 下川辺割元 官兵衛から廿屋村御庄屋 平左衛門宛 1通 105-6
年月日未詳 (永百拾弐分に付合札)(原本) 廿屋村宛 1通 105-7
年月日未詳 (朝鮮人参国役戻り申候口 百7拾九文)(原本) 1通 105-8止
○105-1から8止は、「文化五年辰年御役所小手形御切手御通入・桑名ニて祐助殿請取書入ル・文化六己巳年御囲籾摺立米御切手入」とある包紙に包んであった。
巳(文化6年)7月29日 (子丑摺替御廻米江戸納入用大積り受取申候に付)覚(原本) 下川辺割元 官兵衛から濃州加茂郡廿屋村御庄屋 平左衛門宛 1通 106-1
文化6年9月 (濃州私領村々国役御普請金寅年分請取申に付小手形)(原本)田口五郎左衛門手代 本間佐次右衛門から廿屋村宛 1通 106-2
文化6年11月 (巳年御年貢江戸御廻米籾浅草御蔵納諸入用請取申に付覚)(原本) 本間佐次右衛門から廿屋村宛 1通 106-3
午(文化7年)2月2日 (去巳御年貢江戸御廻米籾浅草納諸入用請取申に付覚)(原本)本間佐次右衛門から廿屋村宛 1通 106-4
午(文化7年)4月5日 (去辰宮飛脚ちん受取申候に付)覚(原本) 下川辺割元 官兵衛から廿屋村御庄屋 平左衛門宛 1通 106-5止
○106-1〜5止は、「文化六年巳十二月御切手入レ、摺替米巳冬下シ、宮飛脚ちん官兵衛受取入ル」とある包紙につつんであった。
午(文化7年)3月4日 (御廻米籾浅草出張所入用去ル卯年分請取申候に付覚)(原本) 田口五郎左衛門手代 本間佐次右衛門から濃州加茂郡廿屋村宛 1通 107
文化7年4月 (御林之内下草苅取仰付願)(控) 加茂郡廿屋村庄屋 平左衛門から下川辺御役所宛 1通 108
文化7年7月 (当午春国役普請人足賃銀請取申に付覚)(原本) 本間佐次右衛門から廿屋村宛 1通 109-1
文化7年10月 (当午江戸御廻米浅草御蔵納諸入用金請取申に付覚)(原本) 本間佐次右衛門から廿屋村宛 1通 109-2
文化7年10月 (江戸御廻米浅草御蔵納方出張所入用去々辰年分請取申に付覚)(原本) 本間佐次右衛門から廿屋村宛 1通 109-3
文化7年12月 (当午江戸御廻米納入用請取申に付覚)(原本) 本間佐次右衛門から廿屋村宛 1通 109-4
文化7年12月 (当午御廻米江戸納入用残金請取申に付覚)(原本) 本間佐次右衛門から廿屋村宛 1通 109-5
文化7年12月 (定式人馬船賃請取之候に付)覚(原本) 笠松堤方御役所から廿屋村庄屋宛 1通 109-6
(文化7年) (午とし通写)(写) 1通 109-7
年月日未詳 (通扶持米代永引合札)(原本) 廿屋村宛 1通 109-8止
○109-1〜8止は、「文化七年午年御役所御切手類入、笠松御切手入ル」とある包紙に包んであった。
文化7年9月12日 (納古山山論始末御糺有之候に付)差上申一札之事(下書) 下川辺村庄屋 与治右衛門外2人・栃井村庄屋 茂左衛門外2人・石神村庄屋 孫右衛門常助外3人から田口五郎左衛門様御役所宛 1通 110
文化7年10月 (廿屋村庄ヤ平左衛門・積町庄屋彦十郎奥書 納古山内飛州往還欠崩砂石留之立木伐採一件、下川辺村・栃井村・石神村より上河辺村ヲ相手取、下川辺村御役所え御訴訟申上候処御利害居伏仕候間、中之番村より上川辺村え一札差入及和談候に付)為取替申一札之事(下書) 1通 111
未(文化8年)3月4日 (米百拾三俵三斗七升五合四勺の入用銀受取申候に付)覚(原本) 下川辺 官兵衛から廿屋村御庄屋衆中宛 1通 112-1
未(文化8年)3月21日 (拾七人代五人半代惣〆銭相済申候に付)覚(原本) 郷宿 平八から廿屋村御庄屋衆中宛 1通 112-2
未(文化8年)7月11日 (未七月郡中割・宮飛脚賃〆銭受取相済申候に付)覚(原本) 下川辺 官兵衛から廿屋村御庄屋衆中宛 1通 112-3
未(文化8年)9月6日 (荒地高掛り・生高掛り〆銭受取相済申候に付)覚(原本) 下川辺官兵衛から廿屋村御庄屋 佐左衛門宛 1通 112-4
未(文化8年)10月5日 (御役所御普請入用年賦之分請取申候に付)覚(原本) 下川部郡中代 官兵衛から廿屋村御庄屋衆中宛 1通 112-5
未(文化8年)10月5日 (四百文借用申候に付)覚(原本) 官兵衛から廿や 平左衛門宛 1通 112-6
未(文化8年)10月5日 (郡中割差引相済申候に付)覚(原本) 下川辺 官兵衛から廿屋村 佐左衛門宛 1通 112-7
未(文化8年)12月20日 (雑用代〆銭請取申候に付)覚(原本) 下川辺村 七右衛門から廿屋村御庄屋衆中宛 1通 112-8
未(文化8年)12月21日 (笠松人馬ちん受取上納可致候に付)覚(原本) 下川辺割元から廿屋村 佐左衛門宛(割元印は、官兵衛印に同じ) 1通 112-9止
○112-1〜9止は、「郡中代官兵衛・御郷宿平八請取入、文化八未年」とある紙袋に入っていた。
文化8年6月.吉 狂言諸記帳(原本) 1通 113
文化8年6月.吉 狂言諸入用帳(原本) 1通 114
文化11年.正.吉 御用状書写帳(原本) 廿屋村割元当番 1通 115
(文化11年)2月19日 (米代・納ちん預金差引不足引合)覚(原本) 惣代 佐右衛門から廿屋村庄屋衆宛 1通 116-1
戌(文化11年)2月27日 (夕田村之差出分銭七百五拾八文請取申候に付)おほゑ(原本)絹丸村庄屋から廿屋村庄屋衆宛 1通 116-2
戌(文化11年)11月5日 (当戌御廻米江戸納入用大積り受取申候に付)覚(原本) 下川辺割元 官兵衛から廿屋村御庄屋衆中宛 1通 116-3
戌(文化11年)12月21日 (戌暮郡中割他受取相済申候に付)覚(原本) 下川辺わり元 官兵衛から廿屋村御庄屋衆中宛 1通 116-4
戌(文化11年)12月22日 (下用拾弐人半他受取相済申候に付)覚(原本) 下川辺郷宿 近右衛門から廿屋村御庄屋 平左衛門宛(12月21日付官兵衛請取書の内に入っていた。) 1通 116-5
戌(文化11年)1月2 (御米百拾六俵舟ちん引合)覚(原本) 小瀬 問屋喜平治から廿屋村御庄屋 平左衛門宛 1通 116-6
戌(文化11年)7月.3 (郡中割御預り置申候に付)覚(原本) 下川辺割元から廿屋村 平左衛門宛 1通 116-7-1
戌(文化11年)7月.9 (下用代受取勘定相済申候に付)覚(原本) 下川辺村郷宿 近右衛門から廿屋村 佐左衛門宛 1通 116-7-2
年月日未詳 (五貫弐百拾四文引合札)(原本) 1通 116-7-3止
○116-1〜7-3止は、「文化十一戌とし割元書付請取入并郷宿請取入 小瀬問屋運賃請取書入」とある包紙に包んであった。
文化11年11月13日 戌御年貢金請取通写(写) 榊原小兵衛手付 小林祐次郎・同人手代 森本億右衛門 1通 117
文化11年12月 新起返り米銭掛帳(原本) 1冊 118
亥(文化12年)4月18日 (金三両受取申候に付)覚(原本) 下川部割元 官兵衛から廿屋村御庄屋衆宛 1通 119-1
亥(文化12年)7月10日 (郡中割相済申候に付)覚(原本) 割元から廿屋村御庄屋 平左衛門宛 1通 119-2
亥(文化12年)7月11日 (下用三拾五人分他〆金受取申候に付)覚(原本) 下川辺郷宿 近右衛門から廿屋村御庄屋 雨池平左衛門宛 1冊 119-3
(文化12年7月) (七月五ケ村わり引合札)(原本) 廿屋村宛 1通 119-4
亥(文化12年)10月18日 (当亥笠松遠所金預り上納可致候に付覚)(原本) 下川辺 官兵衛から廿屋御庄屋衆宛 1通 119-5
子(文化13年).正.29 (納入用他〆銀請取申候に付)覚(原本) 下川部庄屋 兵左衛門から廿屋村御庄屋衆宛 1通 119-6止
○119-1〜6止は、「文化十二年亥正月、割元官兵衛請取入并ニ郷宿近右衛門受取書入ル」とある包紙に包んであった。
文化12年4月 美濃国加茂郡廿屋村反取帳(下書) 1冊 120
文化12年7月 (美濃国加茂郡廿屋村)田畑石砂入場所書上ケ帳(写) 庄屋 平左衛門・年寄 佐左衛門・百姓代 儀平次から下川辺 御役所宛 1冊 121
文化12年7月 (当六月廿五日夜より廿九日迄出水に付)御普請所ケ所附書上帳(控) 当分御預り所 濃州加茂郡廿屋村庄屋 平左衛門外2人から笠松堤方御役所宛 1冊 122
文化12年12月 御通御切手写(写) 1通 123
(子)(文化13年)1月1 (御年貢米改手形)(原本) 芝与市右衛門手代 安井十蔵から廿屋村庄屋 平左衛門外4人宛 2通 124
子(文化13年)1月2 (下用四十六人半他〆金受取相済申候に付)覚(原本) 近右衛門から廿屋村 天池平左衛門宛 1通 125
丑(文化14年).正.25 (定免願之儀ニ付当晦日郷宿近右衛門方え御出会可被下候に付)急廻文(原本) 下川辺村割元 兵左衛門から栃井村・石神村・上川辺村・鹿塩村・廿屋村村々御庄屋衆宛 1通 126
文化14年.正.吉 廿屋三社録(写) 持主 雨池兵左衛門栄信 1冊 127
卯(文政2年).閏4月 去々丑御年貢米金皆済御届書(写) 御代官所当国御預り所 芝与市右衛門(池田仙九郎の奥書がある) 1通 128
卯(文政2年)5月16日 (宿代相済申候に付)覚(原本) 山県屋伝兵衛から下川辺村御庄屋宛 1通 129-1
(文政2年5月)17日 (壱貫五百文差引残金上ルに付添書)(原本) 官兵衛から平左衛門宛 1通 129-2
卯(文政2年5月) (五月十三日より十六日迄)笠松行覚帳 1通 129-3止
○129-1〜3止は、一括してあった。
文政3年.正.吉 (大福万覚帳)(原本) 雨池平左衛門 1冊 130
辰(文政3年)2月8日 (去卯宮飛脚ちん受取申候に付)覚(原本) 下川辺割元から廿屋村御庄屋衆宛 1通 131-1
辰(文政3年)7月9日 (下用三十四人他〆金受取相済申候に付)覚(原本) 下川辺村郷宿 近右衛門から廿屋村御庄屋衆宛 1通 131-2
辰(文政3年)7月9日 (納入用他〆差引勘定相済申候に付)覚(原本) 下川辺 官兵衛から廿屋村 平左衛門宛 1通 131-3
辰(文政3年)7月25日 (去寅御年貢浅草出張所入用受取上納いたし候に付)覚(原本) 下川辺割元から廿屋村御庄屋宛 1通 131-4
(文政3年7月) (盆立割小切手)(原本) 廿屋村宛 1通 131-5
辰(文政3年)10月5日 (当辰御検見入用前取替金受取申候に付)覚(原本) 下川辺村割元から廿屋村御庄屋衆宛 1通 131-6
(文政3年)11月16日 (御長屋御入用割請取申候に付)覚(原本) 下川辺割元 官兵衛から廿屋村 庄左衛門宛 1通 131-7
辰(文政3年)11月27日 (当辰御廻米壱番船江戸納入用大積り金受取申候に付)覚(原本) 下川辺割元から廿屋村御庄屋衆中宛 1通 131-8
辰(文政3年)12月21日 (辰暮郡中割・辰御廻米廻村桑名礼割受取相済申候に付)覚(原本) 下川辺割元から廿屋村御庄屋衆宛 1通 131-9
辰(文政3年)12月22日 (下用三十三人分他〆金勘定相済申候に付)覚(原本) 郷宿 近右衛門から廿屋村御庄屋衆宛 1通 131-10
(文政3年12月) (辰暮五ケ村わり小切手)(原本) 廿屋村宛 1通 131-11止
○131-1〜11止は、「文政三年辰之年請取入郷宿・割元」とあるに包紙に包んであった。
文政3年12月 積下シ申御城米之事(下書) 廿屋村庄屋 平左衛門から御奉行宛 1通 132
文政3年12月 (上廿ヤ分いのこ・加代に付)覚(原本) 1通 133
(文政4年)1月16日 (去辰太餅米買納代他受取相済申候に付)覚(原本) 下川辺割元 官兵衛から廿屋村庄屋 平左衛門宛 1通 134-1
巳(文政4年)2月6日 (去辰宮飛脚賃受取申候に付)覚(原本) 下川辺割元から廿屋村庄屋 平左衛門宛 1通 134-2
巳(文政4年)11月15日 (当巳納入用大積り受取申候に付)覚(原本) 下川辺割元から廿屋村御庄屋衆宛 1通 134-3止
○134-1〜3止は、「文政四年巳年請取入 郷宿近右衛門・割元官兵衛」とある包紙に包んであった。
辛巳(文政4年).正.吉 割木受取覚(原本) 文之字屋甚兵衛からつゝや 平左衛門宛 1通 135
文政4年8月 当巳田方立毛内見合い附帳(写) 濃州加茂郡廿屋村庄屋 平左衛門外3人から下川辺御役所宛 1冊 136
文政4年11月.吉 伊勢御初穂米請取帳(原本) 加茂郡廿屋村 1冊 137
文政5年.閏正.21 (廿屋村忠四郎・太田宿問屋□□□より疵請候一件、御吟味下ケ被仰渡に付)差上ケ申一札之事(写) 尾州殿領分濃州加茂郡太田宿 問屋□□□外5人・芝与市右衛門支配所 同郡下川辺村庄屋 割元官兵衛外3人から下川辺御役所宛 1通 138
文政5年4月 新四国の道中付(原本) 加茂郡つゞヤ御札納所 1通 139
文政5年8月 当午田方立毛内見合附帳(控) 1冊 140
午(文政5年)1月0 (御年貢米改手形)(原本) 芝与市右衛門手代 安井十蔵から廿屋村庄屋 平左衛門外4人宛 1通 141
年月日未詳 (「文政五年午之御年貢御通入并御切手類入り・御仮免状入り 加茂郡廿屋村」とある張り紙)(原本) 1枚 142
(文政7年.春) 名医撰方麻疹毒禁養生書(写) 1冊 143
申(文政7年)1月0 積下之申御米之事(下書) 廿屋村庄屋 平左衛門から長良川御役所宛 1通 144
酉(文政8年)1月0 (御年貢米改手形)(原本) 芝与市右衛門手代 玉木逸平から絹丸村庄屋 又左衛門外3人宛 2通 145
子.4月21日 (下川辺御役所より御廻状壱通請取申候に付)おぼゑ(原本) 絹丸村庄屋 平助から廿屋村御庄屋 平左衛門宛 1通 146
子.5 (去亥年遠所金請取候に付)覚(原本) 笠松堤方御役所から廿屋村庄屋宛 1通 147
(子) 子御年貢米金高掛納払御勘定目録(原本) 1通 148
丑.正.27 (木曽川出水材木拾ひ上申候に付)乍恐以書付御届申上候御事(写) 酒倉村庄屋 陽蔵外2人から下川辺御役所宛 1通 149
丑.4月10日 (唐物抜荷之儀に付御触書)(写) 1通 150
丑.6月27日 (官兵衛方・郡中割来ル朔日大割・二日小割拙者宅ニ而仕度に付)急キ廻文(原本) 下川辺村割本 兵左衛門から栃井村・石神村・上川辺村・鹿塩村・廿屋村村々御庄屋衆宛 1通 151
丑.11月2日 (御米五俵代請取申候に付)覚(原本) セキ 塩屋四郎左衛門から廿屋村庄屋 平左衛門宛 1通 152
丑.11月8日 (納不足之分金壱両弐分余受取申候に付)覚(原本) 下川辺村割元 兵左衛門から廿屋村御庄屋衆宛 1通 153
丑.11月晦 (六駄之内御役所他2人分請取書三枚被遣可被下候に付覚)(原本) 佐郷作兵衛から庄屋 平左衛門宛 1通 154
(丑) (御廻米に付)乍恐書付を以奉申上候御事(下書) 1通 155
寅.10月 (年月日未詳)加茂郡廿屋村御材木類証文(写) 1冊 156
卯.12月6日 (先般周蔵より御願申上候金子之儀御かし可被下候様御願申上候に付手紙)(原本) 森孫兵衛から中廿屋村 天池平左衛門宛 1通 157
(辰.2) 辰年二月始メししかりおほへ(原本) 1通 158
辰.3 (南宮威徳院)頼母子講仕法帳(写) 1冊 159
(辰.10月4日,11月2日) 辰之御年貢御通(反故) 庄屋 平左衛門から久次郎宛 1通 160
たつ.11・10 (御米壱駄預申候に付)覚(原本) 美濃小瀬 問屋喜平次から廿屋村御庄屋 平左衛門宛 1通 161-1
辰.11月・10 (御米六駄受取申候に付)覚(原本) 美濃小セ 問屋喜平次から廿屋村御庄屋 平左衛門宛 1通 161-2
たつ.11・11 (御米四駄受取申候に付)覚(原本) 問屋喜平次から廿屋村御庄屋 平左衛門宛 1通 161-3
たつ.11・11 (御米壱駄受取申候に付)覚(原本) 問屋喜平二から廿屋村御庄屋 平左衛門宛 1通 161-4
たつ.11・13 (御米弐駄受取申候に付)覚(原本) 問屋喜平二から廿屋村御庄屋 平左衛門宛 1通 161-5
たつ.11・15 (御米八駄預申候に付)覚(原本) 問屋喜平二から廿屋村御庄屋平左衛門宛 1通 161-6
たつ.11・16 (御米四駄預申候に付)覚(原本) 問屋喜平次から廿屋村御庄屋平左衛門宛 1通 161-7
たつ.11・16 (御米四駄預申候に付)覚(原本) 問屋喜平二から廿屋村御庄 平左衛門宛 1通 161-8
たつ.11・17 (御米壱駄受取申候に付)覚(原本) 問屋喜平二から廿屋村御庄屋 平左衛門宛 1通 161-9
たつ.11・18止 (御米九駄預申候に付)覚(原本) 問屋喜平次から廿屋村御庄 平左衛門宛 1通 161-10止
○161-1〜10止は、一括してあった。
(辰か) (御廻米郡中諸入用割賦書)(写) (辰巳屋勘兵衛の名前が出ている。) 1通 162
巳.6・20 (高札請取可罷出候に付)書付(原本) 下川辺御役所から廿屋村庄屋・年寄宛 1通 163
巳.9・16 (御郡代様明十七日夜上川辺村御止宿十八日上川辺・石神・則光・栃井・下川辺御検見に付)廻文(原本) 下川辺割元から栃井村・石神村・上川辺村・鹿塩村・廿屋村御庄屋衆宛 1通 164
午.3 (御役所御廻文受取申候に付)覚(下書) 廿屋庄屋所ゆうたから御庄屋衆宛 1通 165
(午.7) (盆前郡中割・宮御飛脚賃引合札)(原本) 廿屋村宛 1通 166
(午.7) (盆前割引合札)(原本) 廿屋村宛 1通 167
午.11月・23 瑞林寺転位勧化帳(控) 1通 168
午.12月 (御米百弐拾壱俵 運賃八貫七百拾二文、受取申候に付)覚(原本) 小セ 問屋喜平治から廿屋村御庄屋 平左衛門宛 1通 169
未.5・22 (会所割銀請取申候に付)覚(原本) 三□村庄屋から廿屋村御庄屋宛 1通 170
未.7月4日 (丁ちん六ツ他代請取申候に付)覚(原本) 油屋甚左衛門みせから廿屋村若御連中・庄右衛門宛 1通 171
未.9・18 (笠松遠所金 御預りに付)覚(原本) 下川辺 官兵衛から御庄屋 佐左衛門宛 1通 172
未.12月 午未進方覚帳(下書) 1枚 173
未.正.8 (郡上郡より預り候、籾代米代御受取可被下候に付)覚(原本) 割元から廿屋村 佐左衛門宛 1通 174
申.2月9日 (杉四分五間代御受取可被下候に付)覚(写) 廿や 平左衛門から加治田 善八宛 1通 175-1
申.12月 (御米四拾八俵運賃引合)覚(原本) 小瀬 問屋喜平治から廿屋村庄屋 平左衛門宛 1通 175-2
酉.8 (染物・仕立ちん引合)おほへ(原本) 松井屋弥左衛門から廿屋 嘉藤治宛 1通 175-3
酉.12月・23 (宮次郎へ遣分払底に付、金壱両此人ニ御渡被下候様ニ御頼上候に付)口上(原本) 福昌寺から天池平左衛門宛 1通 175-4
酉.12月・26 (〆一貫五百五拾九文ヘハ八百廿五文相渡し申候に付)覚(下書) 平左衛門から嘉藤治宛 1通 175-5
年未詳.7月6日 (そうめん・らうそく他代請取申候に付)覚(原本) まつ屋甚兵衛から廿屋 平左衛門宛 1通 175-6
年未詳.12月・10 (先達て御預ケ置申候金子并ニ山代も申請度に付口上書)(原本)福昌寺から平左衛門宛 1通 175-7
年未詳.□・29 (ぬか壱俵代引合)覚(原本) 松井屋から廿屋 平左衛門宛 1通 175-8
年月日未詳 (今晩与兵ヘ・忠右衛門・おるひ・貴公様御立合御噂申度に付口上書)(原本) 寺から平左衛門宛 1通 175-9
年月日未詳 (二月七日切たちん切手綴)(原本) 1通 175-10止
○175-1〜10止は、「酉とし書出入」とある紙袋に入っていた。
申.2・26 (喜右衛門殿廻文壱通請取申候に付)覚(原本) 絹丸村庄屋 又左衛門から廿屋村御庄屋衆中宛 1通 176
申.3・21 (御役所廻状壱通請取申候に付)覚(原本) 絹丸村庄屋から廿屋村御庄屋衆中宛 1通 177
申.2 (1)(御廻米弐拾弐俵かへ代金引合)覚(原本) 関 四郎左衛門から廿屋村御庄屋宛 1綴 178
申.3・21 (2)(御米代金請取申候)覚(原本) 塩屋四郎左衛門から廿屋村 庄三郎宛 1綴 178
申.2 (2)(御米五拾俵替代残金引合)覚(原本) 塩屋四郎左衛門から廿屋村 庄三郎宛 1綴 178
申.2・21 (4)(御廻米代金請取申候に付)覚(原本) 関 四郎左衛門から廿屋村庄屋 庄三郎宛 1綴 178
申.3・27 (御役所御廻状受取申候に付)覚(原本) 絹丸村庄屋から廿屋村御庄屋衆中宛 1通 179
申.4 (元伐杉五拾本御通シ被遊候様)(下書) 廿屋村荷主 浅右衛門・同村庄屋 平左衛門から太田御番所宛 1通 180
申.11月・12 (1)(御米弐拾俵替代金愛渡し此表無出入愛済申候)覚(原本) 塩屋四郎左衛門から廿屋村庄屋 庄三郎宛 1綴 181
申.4・13 (2)(金五両請取申候に付)覚(原本) セキ 四郎左衛門から廿屋村 又次郎宛 1綴 181
申.11月・27 (御廻米二番船御割賦被仰付候間今日より付送り申候に付手紙)(下書) 廿屋村から足立喜平次宛 1通 182
申.11月・28 (川上ケ他代引合に付)覚(原本) 桑名本町 佐兵衛から廿屋村・絹丸村・タ田村御宿 甚兵衛宛 1通 183
申.12月・15 (1)(十月迄残り金受取相済申候)覚(原本) 関 四郎左衛門から廿屋村 庄三郎宛 1綴 184
年月日未詳 (2)(御米四拾俵之内金拾両請取に付)覚 1綴 184
酉.正・晦 (皆済御年貢金上納日限之儀来ル二月二十九日限間間違無之急度上納可致に付差紙)(原本) 下川辺御役所から廿屋村庄屋・年寄・百姓代宛 1通 185
酉.4・10 (御城詰米上乗日用・三郡村々より御礼差上申候に付)覚(原本) 庄屋 平兵衛から天池平左衛門宛 1通 186
酉.7月8日 (村入用金差上仕候に付覚)(前欠)(原本) 平兵衛から平左衛門宛 1通 187
酉.7月9日 (酉七月郡中割他勘定相済申候)覚(原本) 下川辺わり元 官兵衛から廿屋村御庄屋衆中宛 1通 188
酉.7・10 (七人半雑用〆代相済申候に付)覚(原本) 下川辺村 七右衛門から廿屋村 御庄屋衆中宛 1通 189
酉.盆前・13 (染代相済申候に付)覚(原本) 桔梗屋庄兵衛から廿屋 平左衛門宛 1通 190
酉.9・25 (当酉年遠所金受取に付)覚(原本) 下川辺割元 官兵衛から廿屋村御庄屋 佐左衛門宛 1通 191
酉.10月5日 (午之浅草出張所入用上納金)覚(原本) わり元下川辺 官兵衛から御庄屋 佐左衛門宛 1通 192
酉.12月・21 (酉暮郡中割外〆金受取申候に付)覚(原本) わり元下川辺 官兵衛から廿屋村御庄屋中宛 1通 193
酉.極・22 (八人雑用〆代請取申候に付)覚(原本) 下川辺 七右衛門から廿屋村 御庄屋衆中宛 1通 194
丑.11月2日 (そば六升代相済申候に付)覚(原本) セキ 四郎左衛門から廿屋村 平左衛門宛 1通 195-1
戌.3・27 (塩代受取申候に付)覚(原本) セキ 四郎左衛門から廿屋村 平左衛門宛 1通 195-2
戌.9・29 (金弐両二朱受取申候に付)覚(原本) セキ 四郎左衛門から廿屋村御庄屋中宛 1通 195-3
(戌).10・29 (残金四両請取申候に付)覚(原本) 塩屋四郎左衛門から廿屋村御庄屋中宛 1通 195-4
(戌.10月・29) (戌春米下シ米三拾四俵代支払)覚(原本) 1通 195-5
戌.12月 (御米掛りもの相済申候に付)覚(原本) 関 四郎左衛門から廿屋村庄屋中宛 1通 195-6止
○195-1〜6止は、一括してあった。
戌.4・26 (去酉太餅米代金他受取相済申候に付)覚(原本) 下川辺割元からタ田村御庄屋 平左衛門宛 1通 196
戌.6 (餅米白ク・かます代引合)覚(原本) かちた 新兵衛から上つづや 平左衛門宛 1通 197-1
戌.7・晦 (餅米白ク代・かます代請取申候に付)覚(原本) 濃州加治田 新兵衛から上つゝや 平左衛門宛 1通 197-2
戌.8月6日 (酒代指引相渡申候に付)覚(原本) ミノツボ 藤川や専助から廿屋村 喜代七宛 1通 197-3
年未詳.6月・20 (直紙他代引合)覚(原本) きむらや五兵衛から平左衛門宛 1通 197-4
年月日未詳 (鳥屋市・上之保・舟山・小那比当各所の施主名)登り(幟)覚(原本) 1通 197-5止
○197-1〜5止は、「戌2月吉日御鍬様諸□用帳入」とある紙袋に入っていた。
戌.7・19 (旱損御届ケ書差上申度明朝御出可被成候に付)廻文(原本) 下川辺庄屋 喜右衛門から栃井村外4か村御庄屋衆中宛 1通 198
戌.12月 (くわ代相済に付)覚(原本) 濃州絹丸 鍛冶屋彦蔵から廿屋 平左衛門宛 1通 199-1
年未詳.3月・19 (大こん代他引合)覚(原本) 納□か市から廿屋村 平左衛門宛 1通 199-2
年未詳.4月・19 (千尋井九升九合引合)覚(原本) 文之字屋甚兵衛から廿屋村 柴田平左衛門宛 1通 199-3
年未詳.11月9日 (来ル十七日七会相勤申候間、御出席可被下候・少々口数不足ニ相成り候に付)覚(原本) 龍福寺から廿屋村 平左衛門・平兵衛宛 1通 199-4
年月日未詳 (十一月廿三日納米引合札)(原本) 平左衛門宛 1通 199-5
年月日未詳 (十二月廿日切金弐分弐朱弐百文引合札)(原本) 平左衛門宛 1通 199-6
年月日未詳 (一月晦日切津嶋奉加銭引合札)(原本) 平左衛門宛 1通 199-7止
○199-1〜7止は、一括してあった。
亥.9 (新古御林之内木数九拾四本払木雛形)覚(原本) 1通 200
亥.12月6日 (造用他代勘定相済に付)覚(原本) 桑名絵馬町御廻□□□宿 辰巳屋勘兵衛から絹丸村・廿屋村 左兵衛宛 1通 201-1
亥.12月・23 (桑名入用割賦仕過金遣シ申候に付手紙)(原本) 絹丸村庄屋 又左衛門から廿屋村庄屋 平左衛門宛 1通 201-2
亥.暮 (御城米四拾五俵、桑名廻米賃引合に付)覚(原本) 小瀬 喜平次から廿屋庄屋 平左衛門宛 1通 201-3
子.11月・26 (こも代他相済に付)覚(原本) 桑名絵馬町御廻米御用宿 辰巳屋勘兵衛から廿屋村宛 1通 201-4
子.11月・26 (川上ケ下かけ代引合に付)覚(原本) 桑名本町 佐兵衛から廿屋村組合御宿 勘兵衛宛 1通 201-5止
○201-1〜5止は、一括してあった。
亥.12月・13 (小セ取他代引合)覚(原本) 桑名本町 佐兵衛から廿屋村御宿勘蔵宛 1通 202-1
亥.12月・14 (こも代他受取勘定相済申候に付)覚(原本) 桑名湊納会所 辰巳屋三十郎から廿屋村御庄屋宛 1通 202-2
亥.12月・27 (小セ運ちん之方え御預り申候に付)覚(原本) 絹丸村庄屋 又左衛門から廿屋村庄屋 平左衛門宛 1通 202-3
亥.12月 (御米百拾六俵運ちん請取申候に付)覚(原本) 美濃小瀬 問屋喜平次から廿屋村御庄屋 平左衛門宛 1通 202-4
子.2月6日 (御城米四俵預り申候に付)覚(原本) 衣丸村庄ヤ 平助から廿屋村御庄屋 平左衛門宛 1通 202-5
子.3月5日 (小瀬え米駄ちん他え金壱分預り候間残金弐朱ト三百六拾文不足ト相見申候に付)覚(原本) 絹丸村庄屋 平助から廿屋村御庄屋 平左衛門宛 1通 202-6
年月日未詳 (壱両壱分請取残弐朱余御返し申候に付)覚(原本) 絹丸村庄ヤ又左衛門から廿屋村御庄屋 平左衛門宛 1通 202-7止
○202-1〜7止は、「亥とし桑名文書内」とある包紙に包んであった。
亥.12月 (定式人馬船賃請取候に付)覚(原本) 笠松堤方御役所から廿屋村庄屋宛 1通 203
年未詳.1月10日 (年始御祝詞申上度に付手紙)(原本) 小瀬村 足立喜平治から廿屋村御庄屋 平左衛門宛 1通 204
年未詳.1月11日 (御廻米川下ケ之儀被仰下承知仕候に付手紙)(原本) 小瀬村 問屋喜平治から廿屋村御庄屋 天池平左衛門宛 1通 205
年未詳.正.23 (兼テ金子遂々延引仕甚ダ申訳け無御座候間大ぞく大ぼうと申方之名筆御預り置可被下候に付手紙)(原本) 上古井 溝口秀持から中廿屋村庄屋 平左衛門宛 1通 206
年未詳.正.23 (下川辺行之儀承知仕候に付手紙)(下書) 天池平左衛門から柴田佐左衛門宛 1通 207
年未詳.正.25 (此度桑名納大六ツケしにて御座候・中札いんきう金子弐両今夕持参可被下候に付)口上(原本) きぬ丸庄屋 浅右衛門から廿屋御庄屋 平左衛門宛 1通 208
年未詳.2月12日 (早春は御尊来・先頃ハ御参詣途中ニて御目ニ懸かり御無礼に付御礼旁御断手紙)(原本) 嶺川近右衛門から天池平左衛門宛 1通 209
年未詳.3月20日 (栃井村茂左衛門殿より御廻文壱通並ニ上川辺村より御添面受取申候に付)覚(原本) 廿ヤ村庄やから鹿塩村御庄屋衆中宛 1通 210
年未詳.3月23日 (御出講可被成候様御頼申上候に付手紙)(前欠)(原本) 惣代 茂左衛門から上川辺村・鹿塩村・廿屋村宛 1通 211
年未詳.3月29日 (茯苓代金勘定相渡申候に付)覚(原本) 松前屋 又兵衛から廿屋 平八宛 1通 212
年未詳.3月29日 (借用仕候金子之儀極月迄御かし可被下候に付手紙)(原本) 茂左衛門から辰五郎宛 1通 213
年未詳.3月30日 (私村わり之儀御印形被成此者ニ御こし可被下候に付手紙)(原本) せきより おもかや清助から庄屋 平左衛門宛 1通 214
年未詳.4月3日 (殿村弥吉殿取立之頼母子講金不足分何卒当月晦日迄差延被下置候様御願申上候に付手紙)(原本) くつわの 森孫兵衛から中廿屋村 平左衛門宛 1通 215
年未詳.4月3日 (だしぬき御廻りとして、只今栃井村迄森下様御出役ニ御座候に付)極内々代急キ(廻文)(原本) 下川辺割元御存から孫右衛門・長十郎・吉左衛門・兵三郎・柳蔵・清左衛門・平左衛門宛 1通 216
年未詳.閏4月1日 (殿弥吉殿取立金六講金壱分弐朱御請取可被下候に付手紙)(原本) くつわの 森孫兵衛から中廿屋 平左衛門宛 1通 217
自年未詳.5月12日至年未詳.5月・28 夏草苅之覚(原本) 1綴 218
年未詳.5月15日 (御役所御入用炭三・四駄も御入用被仰付候に付手紙)口上(原本) 割元 官兵衛から廿屋御庄屋 平左衛門宛 1通 219
年未詳.5月20日 (上納金弐分弐朱百三拾三文引合に付)覚(下書) 平左衛門から佐左衛門宛 1通 220
年未詳.5月.吉 (村方御初穂金神納いたし候・例年之通岡本佐兵衛差遣し申候に付折紙)(原本) 御師□橋 小林大夫から御庄屋衆中宛 1通 221
年未詳.5月.吉 (去年御初穂金神納候・家来佐兵衛差遣申候に付折紙)(原本) □橋 小林大夫から御庄屋衆中・御旦那衆中宛 1通 222
年未詳.5月.吉 (岡本佐兵衛差遣申候・去年御初尾金到来に付折紙)(原本) 御師□橋 小林大夫から廿屋村御庄屋衆中・御旦那衆中宛 1通 223
年未詳.林鐘(6).8 (廿屋村俄工業之振付大夫ハ此人と相談被成中切忠五郎殿へ御欠合被下度に付手紙)(原本) 間見御存から下つ□中村伊十宛 1通 224
年未詳.6月15日 (一寸御みまいニ御いて被成可被下候に付手紙)(原本) 山崎よりくらち村 松助から下つすヤ村 与三次宛(この文書は女性の筆跡なり) 1通 225
年未詳.6月19日 (茯苓受渡之儀今暫之所御延引被成下候様致度に付手紙)(原本) ギフより 奥住屋惣助から関 松前屋又兵衛宛 1通 226
年未詳.7月12日 (人数〆四拾六人半代相済申候に付)覚(原本) 郷宿 平八郎から廿屋村御庄屋衆中宛 1通 227
年未詳.7月13日 (材木一件之儀代金不足之分当月中御延し可被下候に付手紙)(原本) 従比久見村・福嶋村 渡辺万蔵・長谷川栄治から廿屋ニて 与惣治宛 1通 228
年未詳.7月17日 (鹿塩村まく、みす引のれん不残御渡可下候に付手紙)(原本) 川浦村より 酒向与平から廿屋 天池平左衛門宛 1通 229
年未詳.7月17日 (道之儀来ル廿一日内見いたし道巾等も相定メ可申積りニ御座候に付手紙)(反故) 従廿屋村 天池平左衛門・柴田長兵衛から神渕村 間見甚右衛門・松蔵宛 1通 230
年未詳.8月11日 (当月十二日より神事祭礼ニ付御出可被下候に付手紙)(原本) なぼら 大矢佐治右衛門から廿屋村 天池平左衛門宛 1通 231
年未詳.(8月28日) 八月廿八日祝儀献立(原本) 1通 232
○233は、欠番である。
年未詳.閏8月12日 (陣屋忠八殿より杉の葉之灰御差送り被下候様申聞候に付)口演(原本) 下川辺村郷宿 近右衛門から廿屋村御庄屋 平左衛門宛 1通 234
年未詳.9月2日 (御安否御尋問旁長々滞留御礼可申上本意に付手紙)(原本) 内宮 孫福九大夫から廿屋村 雨池甚右衛門宛 1通 235
年未詳.9月21日 (御郡代様今廿一日高山御出立廿三日下川辺御着ニ御座候間御通行御道筋村々之儀に付)廻文(原本) 下川辺割元 官兵衛から栃井村・石神村・上川辺村・鹿塩村・廿屋村宛 1通 236
年未詳.9月24日 (おはん儀当月廿九日ニ一夜泊リニ遣し申度候に付手紙)(下書)天池平左衛門から下之保村上野 木村彦右衛門宛 1通 237
年未詳.9月27日 (ちようちん他被遣可被下候に付)覚(下書) 廿屋平左衛門から加治田 治兵衛宛 1通 238
年未詳.9月.吉 (去年御初穂金致神納候・岡本佐兵衛差遣申候に付折紙)(原本)□橋 小林大夫から雨池平左衛門宛 1通 239
年未詳.9月.吉 (御初穂金致神納候・例年之通岡本佐兵衛差遣し申候に付折紙)(原本) 御師□橋 小林大夫から雨池平左衛門宛 1通 240
年未詳.9月.吉 (御初尾金致神納候に付折紙)(原本) 御師□橋 小林大夫から雨池平左衛門宛 1通 241
年未詳.10月12日 (御廻米明後十四日出航仕候間御上乗様御越可被下候に付手紙)(原本) 小瀬村 足立喜平治から廿屋村 雨池甚右衛門宛 1通 242
年未詳.10月17日 (上川辺村神坂洞一件事済仕候様御苦風可被下候に付手紙)(原本) 下川辺 縁静から天池平左衛門宛 1通 243
年未詳.10月18日 (布・筆・あげ・ひじき他代引合)覚(原本) 叶屋嘉右衛門から廿や 平八宛(受取日は11月七日) 1通 244
年未詳.11月10日 (御廻米川下ケ被仰付候に付御請手紙)(原本) 小セ 問屋足立喜平次から廿屋村御庄屋 雨池平左衛門宛 1通 245
年未詳.11月26日 (何より之品贈被下候に付御礼手紙)(後欠)(下書) 廿屋村 平左衛門から夕田村 御庄屋佐右衛門・次郎右衛門宛 1通 246
年未詳.11月29日 (すみ壱駄被仰付嘉被下候に付手紙)(原本) 下川辺 木下官兵衛からつゝやニて 雨池平左衛門宛 1通 247
年未詳.12月2日 (御廻米川下ケ被仰付今日より御付払被下候に付手紙)(原本) 小瀬 足立喜平次から廿屋村 天池平左衛門宛 1通 248
年未詳.極.4 (金五両計御勘考可被下候に付手紙)(原本) 羽生村 福田辰蔵から中廿屋村 天池平左衛門宛 1通 249
年未詳.12月14日 (御回米上乗様之儀御越被下則桑名差出御渡シ申上候に付手紙)(原本) 小セ 足立喜平次から廿屋村 天池平左衛門宛 1通 250
年未詳.12月23日 (御村形忠四郎殿私居宅普請建前相渡置候処、何等之御沙汰無之候間、御糺被下度に付手紙)(原本) 太田宿 磯谷屋新左衛門から廿屋村御庄屋 天池平左衛門宛 1通 251
年未詳.12月24日 (江戸廻シ御籾之義ニ付明廿五日拙宅え御出会可被下候に付)廻文(原本) 栃井村庄屋 茂左衛門から石神村・上川辺村・鹿塩村・廿屋村村々御庄屋衆中宛 1通 252
年未詳.12月26日 (手ぬくい他品代内金受取)覚(原本) 左内から廿屋 正五郎宛 1通 253
年未詳.(12) (年暮割小切手)(原本) 1通 254
年月未詳.6月 (私儀も今日ハ帰郷仕度夫ニ付御門前通御取寄に付手紙)(原本) 安藤八兵衛から雨池平左衛門宛 1通 255
年月未詳.26月 (蕎麦切夕飯ニしんじ申度候間印形御持参被成手形ニ御頼申入に付口上書)(原本) 幸から平左衛門宛 1通 256
年月未詳.28月 (御内々御相談申上度儀も御座候間本日昼後御休之間拙方まで御越可被成下候御頼申上度に付手紙)(原本) 佐左衛門から天池平左衛門宛 1通 257
年月日未詳 (千人役井七升三合相済に付)覚(原本) 甚兵衛から平左衛門宛 1通 258
年月日未詳 (御城米三升余帳面ニ御印可被下候に付)覚(原本) 下組 多兵衛から御庄屋 平左衛門宛 1通 259
年月日未詳 (当御廻米二番船嘉穂下ケ被仰付候間、今日より付送り申候に付手紙)(下書) 1通 260
年月日未詳 (御廻米津出し上乗之儀に付手紙)(下書) (宛名は絹丸村) 1通 261
年月日未詳 (一昨日御送り被下候御籾御割賦之御廻状書穢レニ付御貴村えも御届申候に付手紙)(下書) 1通 262
年月日未詳 (桑名上乗之儀三ケ村御一所ニて私シ被遣可被下候哉に付手紙)(下書) 1通 263
年月日未詳 (其御村方御廻米津出し之儀明日迄ニ御出し切被成候哉承り度に付手紙)(下書) 1通 264
年月日未詳 (御廻米二番船御割附仰付候間別紙送り之通り今日より付送り申候に付手紙)(下書) 1通 265
年月日未詳 (1)(江戸納入用御割賦金弐分為持遣之申候に付手紙)(下書) 1枚 266
年月日未詳 (2)(二番船川下ケ上乗之儀も御一所被成下候様奉頼上候に付手紙)(下書)((1)(2)は、同一紙面に書かれている) 1枚 266
年月日未詳 (此間御申こし被成候宗門之儀今年ハ御見合可被下候に付手紙)(下書) 1通 267
年月日未詳 (当宗門帳出来仕候、私宅迄御越被遊御印形御済被遊候に付)口上(下書) 1通 268
年月日未詳 (当宗門帳出来仕候間、御印形御済シ被遊可被下候に付)口上(原本) (忰) 1通 269
年月日未詳 (当村普請作料不足の件に付手紙)(下書) 1通 270
年月日未詳 (先達て下川辺ニて御頼ミ御座候一件金子払底ニて相調不申候間相断申候に付手紙)(下書) 3通 271
年月日未詳 (彦四郎殿方木銭ハ其元御下シ被置候帳面とハ拾貫不足ニ御座候に付手紙)(下書) 1通 272
年月日未詳 (百拾かへ正み六百四拾目代・百廿匁かへ正み九百弐拾目代の釣り銭廿文遣し過候に付)覚(下書) 1通 273
年月日未詳 (延享之子年宝暦二申年割附本紙持参可致様被仰付候間御断)乍恐書付ょ以奉申上候(下書) 1通 274
年月日未詳 (加茂郡廿屋村稲作稼方)乍恐以書付を奉申上候御事(下書) 1通 275
年月日未詳 (当村谷川通リ井水差障リニ相成申候間八十八夜より彼岸迄入へからす候旨村中相定申候)定(下書) 2通 276
年月日未詳 (六ケ村入会納古山秣場之内砂留場入組和談仕候に付)差出シ申一札之事(下書) 1通 277
年月日未詳 (宝永五年五月上川辺村山論之節御絵図御裏書証文之写)(前欠)(写) 鳥幡磨外10人 1通 278
年月日未詳 (飯塚伊兵衛御預所濃州加茂郡廿屋村堤普請目論見書)(下書) 1冊 279
年月日未詳 (廿屋村民家絵図)(下書) 1枚 280
近世・年月日未詳 (廿屋村民家絵図)(着色・破損)(下書) 1枚 281
  (笠松御郡代・飛騨御郡代・御勘定・御普請役役人名前覚)(原本) (松下内匠・芝与市右衛門郡代の名前有り) 1部 282
年月日未詳 (五ケ村わり七百五拾四文引合札)(原本) 廿屋村宛 1通 283
年月日未詳 中廿屋村木紙覚(原本) 1綴 284
年月日未詳 (進上重之内・産衣に付熨斗)(下書) 廿屋村 雨池平左衛門 1枚 285
年月日未詳 (祈啓陸多種子昆虫災退散所畑神符)(原本) 洲原宮(か) 1枚 286
年月日未詳 (富鬮札か)(原本) 10枚 287
年月日未詳 (墨包紙)(原本)(印刷) 皇都 伊藤嘉兵衛 1通 288
年月日未詳 安神散(薬包紙)(原本)(印刷) 越中富山旅籠町播磨屋 八右衛門 1枚 289
年月日未詳 (目薬包紙)(原本) 名古屋市堀川町葭町 伊勢屋御塩六兵衛弘善 1枚 290
年月日未詳 金紅丹毒消(効能書)(原本) 和州吉野ふもと上市村さくらの渡し場 堀内三席・東国取次所岐阜長良 村瀬金右衛門 1枚 291
年月日未詳 美濃国大名旗本高附(帳)(原本) 1冊 292
年月日未詳 弘法大師奉加帳(原本) 上蜂屋村 広橋願主 1冊 293
明治2年6月 美濃国加茂郡廿屋村差出明細帳(下書) 加茂郡廿屋村庄屋 定右衛門・佐左衛門外2人から笠松県御役所宛 1冊 294
明治9年3月31日 (皇大神宮初穂料受取候に付)記(原本) 下川辺村 桜井亀三郎から廿屋村正副戸長宛 1通 295
明治9年 明治九子年地券税通(原本) 川浦村戸長所から廿屋 天池平八宛 1通 296
(明治10年)5月27日 (金五円)借用証(原本) 下川辺村 借主 嶺川友三郎から廿屋村 柴田定右衛門宛 1通 297
明治11年1月24日 (元金三百円口之内へ元利金請取申候に付)記(原本) 滝兵から美濃国加茂郡廿屋村 木沢金右衛門宛 1通 298
明治期.8月16日 (当月廿四日限り百五十円必以テ御返金相成候様仕度に付手紙)(原本) 井坂から天池平三郎・柴田定右衛門宛 1通 299
昭和2年4月28日 (中組円通庵総施餓鬼賜金寄附に付)感謝状(控) 三和村廿屋中組から中組 池田常五郎宛 1通 300
明治 (金九円半請取書)(原本) 左官 熊十から廿屋戸長宛 1通 301
年月日未詳 (相撲取(名刺判)写真)(九ケ錦回し姿)(単色)(原本) 1通 302止

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