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美濃中部地震(昭和44年9月9日)

岐阜県郡上郡・益田郡を中心に震度5(当時)を経験した地震災害。以後、今日にいたるまで岐阜県内では震度5以上の地震を経験していません。(注:本解説文は、昭和44年当時の岐阜気象台の資料から抜粋したもので、地名、震度階など当時の標記を使用しております)

 

地震の概要

 昭和44年9月9日14時15分、岐阜県中部の北緯35.9度、東経137.0度、深さ20kmを震源とするマグニチュード7の地震が発生しました。震源地は郡上郡北部で、郡上郡と益田郡では震度5(強震)でした。この地震動は中部・関東・関西地方全域と東北・中国・四国地方の一部で人体に感じました。

 本震に引き続き、震源地付近では震度3(弱震)程度を最大とする余震が頻発しました。

 

管内の状況

 岐阜県内の状況は、郡上郡明方村と和良村及び益田郡馬瀬村の南部、金山町北部、萩原町の一部では震度5(強震)、震源地からやや離れた美濃地方南西部と飛騨北部では震度3(弱震)、その他の大部分の地域では震度4(中震)でした。

 

被害概況

 地震による被害は、山岳地震に特有な山崩れ、崖崩れが至るところで発生し、このため道路損壊などの土木被害が目立った。負傷者や家屋被害は、ほとんど落石が原因によるものでした。震源地とみられる奥明方村では、幸い人的被害はなかったものの家屋の小破損や土木被害は、県内で最も大きく、道路途絶による小川・寒水・畑佐地区は一時孤立した。ところどころで鳥居・墓石・石垣の変位が見られたが家屋の倒壊・半壊は少なかった。

 和良村・馬瀬村・八幡町・金山町などでも、負傷者や道路の被害が発生しました。

 

県のとった防災体制

 県は、郡上、益田県事務所ならびに管内各町村に対して次のような一斉指令を行い、注意を喚起しました。

 

 10日16時15分岐阜県消防防災課発表

 「きのうの地震は、その被害が郡上・益田両郡に集中し、震源に近い町村では、いまだおりおり余震があるようでもあるが、過去の地震の例からみて相当期間余震が続くものと思われる。余震は本震に比べて小さいといわれており、したがって住民がいたずらに不安動揺のないように、かねて示してある「大地震のときの住民の心得」を活用の上、広報活動を実施し民心の安定に努められたい。なお、ここ一両日天候もぐずつくといわれているので、今後テレビ・ラジオ等の気象情報に注意するかたわら雨量の把握に努め、崖くずれの注意と避難対策など災害の防止に留意するよう願いたい」

 ・10日13時から11日17時県総務部次長はジープで奥明方・和良・馬瀬・金山・下呂の各町村を視察した。

 ・11日10時30分、9.9地震災害対策連絡会議(事務局:消防防災課)を設置した。

 ・11日11時〜17時副知事は、ヘリコプターで奥明方・和良両村に飛び現地視察を行った。

 土砂に埋まった156号線

↑土砂に埋まった156号線(箱坂で9.9)

 道路に岩が座った堀越峠

↑道路に岩が座った堀越峠(八幡〜金山線)

 地震により交通不能となった県道八幡〜金山線

↑地震により交通不能となった県道八幡〜金山線

 亀裂箇所

↑いたるところで亀裂箇所があり、大きな亀裂は幅15.6センチ、長さ100メートル以上もある。(県道八幡〜金山線)

 

 農地被害

↑農地被害:30メートルにわたって崩れ落ちたあぜ道(神谷地内)

 農地被害

↑巨石によって水路はメチャメチャ(小之須見地内)

 床下が欠壊した家屋

↑床下が欠壊した家屋

 八幡城

↑改築したばかりの八幡城もいたるところにひびが(9.9)

 八幡城の被害

↑同、八幡城の被害

 八幡城の被害2

↑同、八幡城の被害

 石垣も大きく崩れ落ちてしまった

↑県重要文化財の石垣も大きく崩れ落ちてしまった(9.9)