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9.12豪雨災害(1976年昭和51年)

安八町 破堤後押し流される消防車

長良川堤防を突破し集落を飲む濁流

↑<決壊の瞬間>長良川堤防を突破し集落を飲む濁流(安八町大森)

 自衛隊ボートにより避難

↑安八町登龍中学校より自衛隊ボートにより避難(9/12PM2:40)

 消防職員による救助

↑岐阜市上岩崎

消防職員による救助

 長良川決壊現場

↑長良川決壊現場(安八町大森地区)

 穂積町の状況

↑穂積町の状況

 板屋川(左上)と伊自良川(右下)の挟撃地帯

↑岐阜市の状況(柿ケ瀬から黒野)

板屋川(左上)と伊自良川(右下)の挟撃地帯

 高富町の状況

↑高富町の状況

 道路破損

↑関市千疋における道路破損

 寺尾千本桜の状況

↑武芸川町寺尾千本桜の状況

 旅館街を洗う長良川の濁流

↑旅館街を洗う長良川の濁流(岐阜市長良)

 橋桁近くに達する長良川の水位

↑橋桁近くに達する長良川の水位(岐阜市忠節)

南谷川出水による傾いた民家

↑南谷川出水による傾いた民家(武芸川町寺尾)

 美濃市片知市道決壊

↑美濃市片知市道決壊

 美濃市上野睦橋の落橋

↑美濃市上野睦橋の落橋

 被災地へ出発する救助用船艇

↑被災地へ出発する救助用船艇(岐阜県庁前)

 県庁も水浸

↑県庁も水浸し(県庁舎1階玄関)

 被災者の救助にあたる消防団員

↑被災者の救助にあたる消防団員(安八町)

 長良川の濁流で水没した集落

↑長良川の濁流で水没した集落(安八町)

 自衛隊による救出活動

↑自衛隊による救出活動(安八町善光)

 自衛隊による救出活動2

↑自衛隊による救出活動

 山積みの救援物資

↑山積みの救援物資

 

支援の様子

 

 冠水により通行不能となった国道21号

↑冠水により通行不能となった国道21号

(墨俣町)

 避難所の東安中学へ空輸される救援物資

↑避難所の東安中学へ空輸される救援物資(墨俣町)

岐阜県史上最悪の水害

 濁流は2つの町を襲った。昭和51年9月12日午前10時28分、台風17号の接近に伴う集中豪雨で、安八郡安八町大森の長良川右岸堤防道路が決壊した。濁流は、安八町と隣接する同郡墨俣町全域を襲い、水防活動をしていた区長1人が死亡したのをはじめ、3,536世帯が床上浸水などの被害を受けた。被害総額は両町併せて約130億円に達する岐阜県史上最悪の河川決壊となった。

 

決壊までの経緯

降り続く雨

 台風17号の影響で9月7日から断続的に降り続いた雨は、美濃地方の平野部を中心に集中豪雨となって、県内各地、特に岐阜・西濃地方で中小河川の氾らん、土砂崩れ、道路の寸断など、大きな被害をもたらしていた。8日から14日までの降雨量は長良川流域の大日岳1,175ミリ、八幡1,091ミリ、美濃840ミリ、揖斐川流域の樽見951ミリ、大垣824ミリなど記録的な豪雨となった。岐阜市では8日午前零時から9日午前9時までに345ミリという激しい雨に見舞われた。

被害は岐阜市から始まった

 当時の岐阜日日新聞は、9日夕刊で正午現在の県内の被害状況を次のように報じている。「がけ崩れなどでけが人3、家屋全壊2、同半壊2、床上浸水653、床下浸水4,711戸、山崩れ61、道路損壊17か所。岐阜市内で最も浸水が激しい常盤地区では、約400戸の家屋が床上・床下浸水しており、さらに岩野田、早田地区でも200世帯が避難した」と報じ、すでに県都を中心に大きな被害が出ていたことが分かる。岐阜市内の地盤が低い北一色、白山、梅林、上土居などでは幹線道路も冠水し、交通が遮断され、市街地での市民生活に与えた影響は大きかった。県は同日、消防防災課に平野三郎県知事を本部長とする災害対策本部を設置した。また岐阜市、山県郡高富町が災害救助法の適用を受けた。

 10日にいったん小康状態となった雨足も11日には台風の北上に伴い再び激しい雨が水浸しの県内を襲った。「もう、降らないでくれ」。祈るように空を見つめる住民らの願いとは裏腹に、岐阜市内では、山崩れにより1人が生き埋めとなり、今回の豪雨で初の死者が出るなど、暴れ回る水魔によって同市内のいたる所で住民の孤立状態は続いていた。

長良川に迫る危険

 12日には東濃地方をのぞく県内の被害は、10市36町18村に及び、県災害対策本部は、守山駐屯地の陸上自衛隊第10師団に岐阜、大垣など2市2町1村に出動を要請し、人命救助、復旧作業に続々と自衛隊員が投入された。

 長良川の増水は長期間にわたり、9日になって水位は一気に増えて午前9時には墨俣で7.3メートルの記録的な水位に達した。10日になっても各地点で警戒水位を越え続け、11日午後2時には再び7.15メートルとピークとなり、長良川はかつてない危険な状態となり、水防活動を続ける関係者に緊張が走った。

 岐阜市内では、忠節橋下流の鏡島地区の両岸が危険な状態となり、厳戒態勢が敷かれた。堤防ぎりぎりまで水位が上がり、事態を見守る住民に悲壮感が漂う。流れが変わる地点には流木が一面に押し寄せ水面が見えない。川幅は最大限まで広がりまるで海の様相となった。

 自衛隊出動が再要請され、堤防補強、支川の伊自良川などの守りが固められた。「決壊したら岐阜市はどうなるんだ」。3日間以上、まともな睡眠をとってない水防団員らは、後に引けない水との闘いに疲労の色を隠せなかった。

堤防決壊

 12日午前5時、墨俣の水位は、7.14メートルと4回目のピークを迎え下流域の緊張は一気に高まった。安八町大森の決壊現場では、堤防のり面に不気味な亀裂が生じたため、住民が水防活動により、杭打ち作業を懸命に続けていた。

 『安八町9・12豪雨災害誌』は当時の懸命の水防作業と決壊直前の不気味な現象を細かく記録している。「10時20〜25分、杭打ちは終わった。亀裂付近の北寄りの足場が柔らかくなり足が20センチほどめり込む状態だったが、のり面そのものは固く漏水は見られなかった。10時25〜26分、杭の下で立っていられないほど足下がグラグラ揺れ、地震のような振動が起こった。10時28分ごろ、草の根の切れる音が激しくなり、堤防に平行に強い揺れが起こった。地滑りというより、沈下した感じ」。堤防は未曾有の洪水に耐えきれず10時28分ごろ、約50メートルにわたって決壊した。

被害の模様と規模

 「地獄絵、頼みの堤防無残に崩壊」「屋根にすがる住民」-。昭和51年(1976)9月13日付岐阜日日新聞の朝刊社会面の見出しだ。12日午前10時28分に決壊した安八郡安八町大森の長良川右岸堤防からは、狂ったように濁流が吐き出され、見る見るうちに同町と隣の墨俣町を飲みこんでいった。

 決壊口は、当初は20メートルほどだったが、一気に吹き出した水圧に堤体はこらえ切れず、わずかの間に幅約50メートルに広がっていった。付近の住民は、町内に鳴り響いた「緊急避難」のサイレンで決壊に気づき、取る物を取らず、水魔に追われるよう中学校などに避難を開始した。逃げ遅れ、自宅に取り残された住民を救助するため、ヘリコプターが上空を舞い、つり上げる。救助作業を見守る人々の胸に安堵観とさらなる不安が交錯した。皮肉なことに、多くの住民が身を守るためにと真っ先に駆け上がったのは、堤防だった。

避難・救出

 決壊口近くの住宅はすぐに軒下まで水につかり、同日夕までには、浸水被害は1,200世帯に及んだ。また、下流の輪之内町境にある「輪中堤」の十連坊堤では、安八町内の水位と本川の水位を同じにして濁流を止めようと、堤防の閉め切り作業が行われた。このため水は逆流を始め、上流域にあたる墨俣町内にも押し寄せ、瞬く間に墨俣町をも泥海に沈めた。

 マイホームを離れ難く床上浸水しても家にとどまっていた人たちも、あまりに急激な水位の上昇でついに避難。屋根にしがみついて手を振る家族、中学校の校舎屋上で助けを求める老人らが自衛隊の渡河ボートなどで次々と救出されていった。

 避難先となった小学校の窓には、わが家の方角を見つめる避難住民が鈴なりになった。

「岐阜県災害史」(岐阜新聞社編集)より抜粋

 

災害の概要

1総括

 昭和51年台風第17号の影響で、9月8日から降り始めた雨は、美濃平野部を中心に雷を伴う集中豪雨となり、降り始めの8日から14日までの降雨量を見ると、長良、揖斐の両川流域に特に目立って多く、

 長良川流域では、

 ・大日岳1,175mm

 ・八幡1,091mm

 ・蕪山953mm

 ・白鳥909mm

 ・美濃840mmなど、

 揖斐川流域では、

 ・樽見951mm

 ・大垣824mm

 ・権現山645mmなど記録的な豪雨となった。

 

 このため、中小河川の決壊、溢水が各所で発生するとともに、山崩れ、がけ崩れ、道路の寸断により、人、家屋、公共施設へ大きな被害を与えた。

 特に、長良川の増水は長期間にわたって続き、9日から12日まで連続して警戒水位を突破する出水となり、降り始めから5日目にあたる12日午前10時28分頃安八町大森地内において延長80mにわたって決壊し、安八町、墨俣町のほぼ全域が濁流により泥海化し、ほとんどの家が床上浸水するなど大きな被害を出した。

 また、長良川の支川伊自良川など5箇所においても決壊したほか、溢水、湛水が各地で起こり、岐阜市、大垣市、穂積町、高富町、伊自良村などで浸水家屋が続出した。

 

 県では、9月9日にいち早く災害対策本部を設置し、医療班の編制、救援物資の確保など応急対策に主力を注ぐとともに、被害が岐阜、西濃地域に拡大したため、9月9日岐阜市、高富町に対し災害救助法を適用したのをはじめとし、13日までに4市12町1村の計17市町村に適用したほか、被災地の実情を考慮し、適用基準に達しない各務原市に対しても、これに準ずる県単独措置を講じ、救助活動に全力を挙げた。

 特に、広範な浸水地域が発生したため、これら地域住民の救助に対し自衛隊の派遣を要請するとともに、県警察機動隊を出動させ、地元消防団、水防団を始め住民が一丸となり夜を徹しての被災住民の救出、保護と救援物資の輸送等応急対策に万全を期した。

 今回の災害においては、風による被害はほとんどなく、多量の降雨による豪雨被害であり、昭和34年の伊勢湾台風においては104人の犠牲者を出したのに対し、死者、行方不明者は9人と、人的被害が少なかったのが不幸中の幸いであった。

 被害総額は、1,044億1,088万円と、県災害史上最も甚大な被害となった。

 被害の内訳を見ると、

 ・住家被害304億2,040万円(29.1%)を最高に、

 ・土木関係被害226億6,314万円(21.7%)

 ・商工業関係被害221億5,677万円(21.2%)

 ・農業関係被害159億7,819万円(15.3%)

 ・林業関係被害115億2,431万円(11.0%)

 などの順となったが、中でも、家屋、家財などの個人被害が大であった。

 

2市町村別被害

 県内100市町村のすべてが被害を受ける広範な災害であったが、特に、降雨量の多かった岐阜、西濃地域に多大な被害が集中した。

 被害額及び全体に占める割合を市町村別にみると、

 ・岐阜市301億6,619万円(28.9%)

 ・大垣市96億5,352万円(9.2%)

 ・安八町94億8,337万円(9.1%)

 ・穂積町57億2,727万円(5.5%)

 ・高富町43億8,637万円(4.2%)

 ・美濃市40億2,438万円(3.9%)

 ・墨俣町36億1,019万円(3.5%)

 ・美山町35億7,958万円(3.4%)

 ・白川村28億6,806万円(2.7%)

 ・伊自良村20億4,707万円(2.0%)

 であり、この10市町村で被害総額の72.4%を占めた。

 

3長良川堤防決壊の経過

 9月8日10時ごろから降り始めた雨は、折りから停滞する台風第17号の影響を受けて、夜に入って県下全域で豪雨となり、特に岐阜市では22時から23時の時間雨量が84mmとすざましい勢いで降り、日雨量も220mmとなった。このため、長良川の水位は、9日に入って一気に増え、下流域の墨俣観測点で午前4時に4,0mの警戒水位を越え、午前9時には7.30mと記録的な水位となり、最初の大きなピークを迎えた。関係者の心配が続く中で雨は依然衰えず、長良川上流域の郡上郡八幡町で日雨量が301mmとなるなど長良川水系は一日中強く降り続いた。

 10日になっても長良川の水位は各地点で警戒水位を越え続け、6時に墨俣で5.58mと第2回のピークが来た。雨は断続的な強雨を交えつつ降り続き、長良川の分水嶺である大日岳で日雨量が308mmとなったほか、夜に入って再び上流域で豪雨となった。水位は、第2回のピーク以降21時まで減水の傾向にあったが、再び11日に入るにつれて刻々と増水し、1時に警戒水位を突破、5時に水防出動水位突破と上昇を続け、14時には7.15mと第3回目のピークとなり、再び関係者に大きな緊張が襲った。長良川の沿川各所で厳重な警戒と懸命な水防活動が展開された。

 一方雨は、関係者の心配をよそに降り続き、郡上郡八幡町で日雨量397mmと記録的な豪雨となり、長良川はかつてない異常な危険状態となった。12日5時、墨俣の水位が7.14mとなり、4回目の大きなピークを迎え、下流域は緊張の極に達した。10時現在、警戒水位を越える洪水継続時間が延べ69時間に及び、伊勢湾台風時の延べ21時間を大幅に超える状態となった。長良川堤防は、かつてない大量の水を長時間にわたってささえ続け、連日の激しい水位の上昇下降の繰り返しによる、ついにその力に耐えきれず10時28分頃、安八郡安八町大森、新幹線橋梁下流300mの地点で右岸堤防が約80mにわたり決壊した。

(1)「決壊3時間前」

 12日7時30分ごろ、堤防法面に亀裂が入り、ずれ落ちる。

決壊3時間前

(2)「補強開始」

 水防資機材が運び込まれ、杭打補強が開始される。

補強開始

(3)「懸命の作業が続く」

 消防団、地元住民らによる懸命の杭打ちが続けられる。

懸命の作業が続く

(4)「切れた!」

 10時28分ごろ、堤防の亀裂から穴ができ、水が一気に噴き出す。

切れた

(5)「怒濤のごとく」

 決壊口がみるみる広がり、濁流が流れ込む。

怒濤のごとく

応急対策の状況

1災害対策本部の推移

(1)県本部

 9月8日10時ごろから降り始めた雨は、折りから停滞する台風17号の影響を受け県下全域で大雨となり、15時30分に大雨、洪水注意報が発表された。ただちに防災行政無線で全市町村に伝達し、、注意を促す一方、関係課が準備体制に入った。雨はその後も断続的にすさまじい豪雨をまじえつつ降り続き、ついに23時00分大雨、洪水警報の発表となった。

 9月9日になっても雨は降り続き、県下各地で中小河川の氾濫、住家の浸水等の被害が拡大し、13の市町村で災害対策本部が設置されるに至った。雨は午後になってやや小降りとなったため、17時20分に大雨、洪水注意報に切り替えられたが、夜半より再び大雨となり、21時40分大雨、洪水警報が発表されたため、22時00分ただちに県災害対策本部を設置し、非常体制をしいた。県下の雨は、10日午前中になってほとんど止んだため、13時40分大雨、洪水注意報の発表となったが、午後になって再び断続的な豪雨が続き各河川の水位は上昇を続け、21時35分には大雨、洪水警報が発表になった。特に揖斐川の増水が著しいため、23時30分本部長名で流域市町村に対し、避難準備措置に万全を期するよう指示した。

 9月11日に入ると中小河川の溢流、堤防の決壊、増水による孤立地区の発生など被害は更に拡大したため、8時30分岐阜市からの要請にもとづき自衛隊に最初の災害派遣を要請した。その後も高富町、大垣市、伊自良村、武芸川町から要請が出され、第10師団に出動の要請をした。また、災害の拡大化とこれに伴う災害対策事務の増加に対処すべく、13時に災害対策本部室を2階大会議室に移し、電話機の大増設、自衛隊の無線施設のセットなど災害対策本部の通信機能を強化する一方、庁内全課も総力を挙げて24時間体制で災害対策にあたった。夜になって断続的な豪雨が続き、特に岐阜市内の長良川堤防が危険になったため、22時50分岐阜市災害対策本部に対し、岐阜市内住民に避難準備の措置をとるよう通知し、警戒を呼びかける一方、自衛隊の増援を手配した。

 長良川の水位で関係者が一喜一憂しながら12日を迎えた。9月12日10時から本部員会議を開催し、「人命を第一として対策に当たれ」との本部長指示を受け、救援対策を協議中、10時30分ごろ安八町で長良川堤防が決壊したとの報が入った。

 本部は緊張の極に達し、ただちに人命救助及び被害拡大防止のため陸上自衛隊に隊員、ヘリコプター、船艇などの派遣を要請し、航空自衛隊小牧基地にヘリコプターの派遣を要請した。また、人員、防災資機材、食糧の手配など各部班が応急対策に全力を挙げ対処した。

 9月13日早朝から本部員会議を開催し、被災状況説明や各部班の救援計画を協議した後、本部長、副本部長及び本部員が自衛隊ヘリコプターで被災地を視察し、状況把握に努めた。また、長良川決壊で浸水した安八町と墨俣町に県本部から連絡班を編制し現地に派遣し、災害対策に当たらせた。

 以降、連日本部員会議を、10時と18時に開催し、各部班、関係機関との調整を図りながら応急対策を進めた。

設置日時閉鎖日時

昭和51年9月9日22:00昭和52年2月21日17:00

 

(2)市町村

 県内の大半の市町村では被害が発生し始めたため、8日夜かた災害対策活動を開始した。

 このうち特に被害が大きかった36市町村が災害対策本部を設置した。

 

(災害対策本部を設置した市町村:()内は設置した日時)

岐南町(8日22:00)、各務原市(8日23:00)、穂積町(8日23:00)、岐阜市(9日0:00)、美濃加茂市(9日1:30)、美濃市(9日3:00)、海津町(9日6:00)、羽島市(9日8:30)、笠松町(同左)、柳津町(同左)、八幡町(同左)、高富町(9日17:00)、久々野町(9日21:00)、白川村(10日9:30)、高鷲村(10日20:30)、武芸川町(10日21:00)、谷汲村(10日21:50)、河合村810日23:00)、大垣市(11日3:00)、荘川村(11日4:00)、古川町(11日5:17)、国府町(11日7:30)、北方町11日8:30)、美山町(同左)、伊自良村(同左)、清見村(11日8:20)、養老町(11日8:30)、本巣町(同左)、宮川村(同左)、高山市(11日10:00)、上宝村(11日11:00)、平田町(12日10:35)、輪之内町(同左)、安八町(12日12:30)、墨俣町(同左)、巣南町(13日12:00)以上36市町村(7市20町9村)

 

2災害救助の概要

9月8日夜半大雨洪水警報の発令とともに関係職員の登庁を指令、被害情報の収集にあたったが、被害が拡大し災害救助法の適用に伴い、応急救助の実施について県本部としての所要の措置を講ずると共に市町村の指導にあたった。

 救助の実施状況は以下のとおりである。

 

(ア)避難所の設置

 災害の発生と同時の市町村にあっては急遽学校、公民館、寺院などの施設を利用して避難所を開設し、被災者の収容保護にあたったが、中でも長良川堤防決壊により長期間水没した安八町、墨俣町においては、避難所設置は13日間にわたった。

 県下における避難所の開設数は359箇所、収容人員は延べ190,010人に達した。

 

(イ)炊き出し、その他による食品の給与

 各市町村においては、避難所に収容された被災者あるいは住家の被害を受けて炊事のできない被災者などに対して、災害発生と同時に広報会、婦人会などの協力のもとにいっせいに炊き出しを実施し、救助にあたった。

 その期間は、被害の実情に応じて3〜14日間で、給食延べ人員は延べ278,335人に達した。

 

(ウ)被服・寝具、その他生活必需品の給与

 今回の災害によって住家に被害を受け、日常生活に欠くことの出来ない被服・寝具・その他生活必需品を喪失又は毀損した者が極めて多い実情にあったので、県本部では災害救助法適用後ただちに市町村本部にこれら被災者についての調査報告を求め、応急救助用として必要な物資を県本部商工班において急ぎ確保し、厚生援護班において車両をかくほのうえ、夜を徹しての輸送を行った。

 物資の配分は世帯単位とし、被害程度により住家の全壊と半壊又は床上浸水とに区分し、その世帯構成人員ごとに基準を設けて配分し、県下24,409世帯に対し414,023点の物資を給与した。

品名

数量

金額(円)

毛布 51,378枚

77,067,000

シーツ 45,569枚

45,569,000

タオル 74,398枚

8,455,760

粉せっけん 68,637箱

8,170,884

ちり紙 83,041束

10,207,426

ボリバケツ 43,554個

10,421,360

ゴム草履 47,446足

8,808,600

168,700,030

 

(エ)医療及び助産

 災害のため医療の機能がなくなり、又は著しく不足し、あるいは医療機構が混乱した地域に対し、医療班の派遣を行った。

 すなわち、9月11日日成医療班をギフしに派遣したのを始め、9月12日長良川堤防決壊とともに水没離の安八町、墨俣町を中心に、日赤、県立病院、保健所、健康管理委員などの医療班を9月21日までにわたり、派遣し、医療救護にあたった。

 医療救護班の出動は、県、市町村合わせて延べ52階におよび、1,500人に対し医療救助を行った。

 

(オ)学用品の給与

 災害のため住家に被害を受け、修学上欠くことの出来ない学用品を失った小学校児童及び中学校生徒に対して学用品を支給した。

 今回の災害では、罹災した児童、生徒が多く、災害によって失った学用品の実態把握には困難があったが、教育委員会で各学校ごとの状況をまとめ、次のとおり給与を行った。

区分

小学校

中学校

教科書

人数

1,916人

910人

2,826人

金額

2,269,566円

2,786,747円

5,056,313円

教材

人数

194人

2人

196人

金額

59,490円

4,010円

63,500円

文房具等 人数

5,914人

2,230人

8,144人

金額

5,745,897円

2,569,736円

8,315,633円

8,074,953円

5,360,493円

13,435,446円

(カ)障害物の除去

 山崩れ、河川の氾濫などにより半壊又は床上浸水した住家に土石、竹木などが流入したが、これを自力によっては除去することができない13世帯に対し、市町村において障害物の除去を実施した。

 

(キ)人命救助・死体の捜索及び処理

 堤防決壊、河川の氾濫などにより浸水した地域及び山崩れの地帯で人命に危険が生じたため、災害救助法による救助を実施し、多数の者を救出した。一方、不幸にも遺体となって発見された方については、検案、一時保護などの処理を行った。

 

(ク)物資の輸送

 災害の発生と同時に庁用自動車及び民間貨物車などの緊急出動態勢を整えるとともに、救助物資の輸送を次の通り行った。

 車両等の延べ数1,133台(隻)

 (内訳)・民間借上車延べ760台

 ・民間借上舟延べ353隻

 ・自衛隊車両延べ20台

 

(ケ)災害救助費

 災害救助費(算定基準による算定額)の総額は、市町村における繰替支弁額1億2,011万円と、県直接支払いの1億9,687万円との合計3億1,698万円であった。