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小鷹利城跡[こたかりじょうあと]

分類 史跡
指定別
所在地 飛騨市古川町信包牛ケ谷河合町稲越
所有者 信包区外
指定年月日 昭和34年11月16日昭和51年9月3日

小鷹利城跡

 小鷹利城は向小島城の西方約1kmの地点、標高780mの黒内山山頂部に築城されている。
この城は姉小路氏の一族小鷹利伊賀守の居城であったといわれている。
『飛州志』小島城の項に国説として、国司姉小路藤原頼纜、天文4年(1535)小鷹利の城に於いて卒去、法名明山といい、その子右近幼少なるによって家臣牛丸又太郎これを補佐したが、逆心を起こして小鷹利城を横領した。牛丸氏も父子三代にして家断絶とある。
『飛州軍乱記』によれば、三木休菴(自綱)松倉城に居城後、天正10年(1582)小鷹利に発向して牛丸氏を攻めたという。このため、牛丸又右衛門は無勢で、城中に篝火をたき城を捨て脱出し、越前の金森長近を頼ったとされる。
山頂約495m2の平坦部が、主郭で、主郭を取り巻く形で二の曲輪が設けられている。

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