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荒尾南(あらおみなみ)遺跡B地区

所在地

大垣市荒尾町・桧町(おおがきしあらおちょう・ひのきちょう)

地図(外部サイト)

時代

縄文時代から古墳時代、室町時代、江戸時代

 

発掘状況

 荒尾南遺跡は大垣市西部に位置し、標高6m前後の緩扇状地から自然堤防帯にかけて立地します。国道21号線とJR東海道線に挟まれた一帯の南部をB地区と読んでおり、平成18年度から23年度の6年間にわたって発掘調査を実施しました。調査の結果、弥生時代前期から古墳時代前期の方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)136基、縄文時代晩期から古墳時代前期の竪穴建物跡(たてあなたてものあと)402軒、弥生時代後期から古墳時代前期の掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)22棟をはじめ、多数の土坑(どこう)や溝状遺構がみつかりました。また、約575,000点の弥生土器・土師器(はじき)、約3,200点の木製品、約1,000点の石器など、多くの遺物が出土しました。

平成22年度調査終了時のB地区を北から撮影した景観写真

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 平成22年度B地区景観写真(北から撮影)

 

 

 

 

 

竪穴建物跡

 竪穴建物跡は、弥生時代後期から古墳時代前期にかけて最も多く造営されたことが分かりました。方形周溝墓と同様にB地区全域に分布しますが、特にB地区西部域の中央部では幾重にも重なって竪穴建物が造られた状況が分かってきました。床面には柱穴の跡が残り、土器や石器などの遺物も出土しました。なかにはベンガラと呼ばれる赤色顔料が出土したり、木材が燃えて炭化した材が出土したりする建物跡もみつかり、当時の人々の暮らしぶりが浮かび上がってきました。

幾重にも重複する竪穴建物跡を発掘調査する様子の写真

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 重複する竪穴建物跡の発掘作業の様子

 

 

 

 

方形周溝墓

B地区では弥生時代前期の方形周溝墓(「きずな」57号参照)がみつかり、周溝からは遠賀川(おんががわ)系土器の壺が出土しました。最も多くの方形周溝墓が造営されるのは弥生時代中期で、B地区全域にその分布が広がります。構造上の特徴として、周溝が途切れずに全周するものや一部が途切れるものなど様々です。墳丘や主体部は後世の削平(さくへい)を受けてほとんど残っていませんでした。また、周溝からは方形周溝墓に供えた後に転落したと思われる土器が出土し、当時の葬送(そうそう)のあり方の一端をうかがい知ることができます。

 

弥生時代中期の方形周溝墓(SZ191)を完掘した様子の写真 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

方形周溝墓(SZ191)の完掘状況

 

 

 

 

SZ191の周溝から出土した、胴部に孔が開けられた壺の出土状況写真

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SZ191の周溝から出土した土器(胴部に孔が開けられています)

 

 

 

 

木棺墓

 遺跡の西部を流れていた河川跡の東岸では、9基の木棺墓がみつかりました。そのうちの2基(SZ155、SZ156)は底板(そこいた)、側板(がわいた)、小口板(こぐちいた)等の棺材の残りがよく、SZ156では底板の上部から管玉(くだたま)や水銀朱が出土しています。この木棺は「組合わせ式箱形木棺」と呼ばれる形態のもので、弥生時代前期のものであることが分かりました。

棺材がよく残った状態でみつかった木棺墓(SZ155)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 棺材が残る木棺墓(SZ155)

 

 

 

 

 

大溝

 弥生時代中期に人工的に掘削されたと考えられる大溝(SD0381)は、遺跡の東部を南北に流れるもので、長さ450m以上、幅は5m〜10m、深さは約1.5mになります。当遺跡のA地区からB地区を通り、やがてC地区に至る非常に大規模な遺構です。掘削した当時の利用目的は不明ですが、埋土からは多量の土器や木製品が出土しました。他にもB地区の大溝からは重圏文鏡(じゅうけんもんきょう)と呼ばれる倭鏡や赤色顔料と黒色顔料が残る手捏(てづく)ね土器などの特殊な遺物が出土し、これらは祭祀行為に用いられた可能性があります。

平成18年度調査における大溝の完掘状況写真

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大溝の完掘状況(平成18年度調査)

 

 

 

 

 

河川跡

 遺跡西部には幅広い河川(NR002)が流れていたことが分かりました。この河川は、時期によって流れの筋や幅を少しずつ変えながら、人口が最も多くなる弥生時代後期から古墳時代前期の間も流れ続けました。河川の東岸からは非常にたくさんの土器がみつかりました。この遺跡に暮らしていた人々が使っていた土器を河岸に捨てたものと考えられ、壺、甕、高坏、器台、鉢などあらゆる種類の土器が折り重なるように出土しました。

遺跡の西部を流れていた河川跡の完掘状況写真

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遺跡西部を流れていた河川跡

 

 

 

 

 

河川の東岸から多量の土器が出土した状況の写真

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 河川の東岸から出土した多量の土器

 

 

 

 

 

出土した遺物の紹介

土偶(どぐう):(土坑出土):縄文時代

壺(つぼ)、甕(かめ)(溝状遺構出土):弥生時代前期

(土坑墓出土):弥生時代前期

(河川跡出土):弥生時代前期

(土坑出土):弥生時代前期

(方形周溝墓出土):弥生時代中期

(はち)(方形周溝墓出土):弥生時代中期

(方形周溝墓出土):弥生時代中期

(大溝出土):弥生時代後期

(かめ)(土坑出土):弥生時代後期

高坏(たかつき)(大溝出土):弥生時代後期

器台(きだい)(大溝出土):弥生時代後期

手捏(てづく)ね土器(大溝出土):弥生時代後期

(大溝出土):弥生時代末〜古墳時代初頭

倭鏡(わきょう)(遺物包含層出土):弥生時代後期〜古墳時代前期

倭鏡(大溝出土):弥生時代後期〜古墳時代前期

銅鐸飾耳(どうたくかざりみみ)(遺物包含層出土):弥生時代後期

銅鏃(どうぞく)(遺物包含層出土):弥生時代後期〜古墳時代前期

合子(ごうす)(河川跡出土):弥生時代末〜古墳時代初頭

堅杵(たてぎね)(河川跡出土):弥生時代後期〜古墳時代前期

舟形代(ふなかたしろ)(河川跡出土):弥生時代後期〜古墳時代前期

飾り弓(かざりゆみ)(河川跡出土):弥生時代後期〜古墳時代前期

土師器(はじき)高坏(大溝出土):古墳時代前期

土師器壺(方形周溝墓出土):古墳時代前期

合子蓋(ごうすふた)(方形周溝墓出土):古墳時代前期

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