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荒尾南遺跡A地区

荒尾南遺跡(あらおみなみ)A地区

所在地

大垣市荒尾町・桧町(おおがきしあらおちょう・ひのきちょう)
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時代

縄文時代から古墳時代、室町時代、江戸時代

平成21年度発掘区近景(東から撮影、写真右上は伊吹山)1
平成21年度発掘区近景(東から撮影、写真右上は伊吹山)

発掘状況

 この遺跡は大垣市西部に位置し、標高6m前後の緩扇状地に立地します。平成18年度から平成23年度にかけて、遺跡北部のA地区において発掘調査を実施し、弥生時代中期の方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)74基、弥生時代後期から古墳時代前期の竪穴住居跡(たてあなじゅうきょあと)155軒や掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)5棟、多数の溝状遺構や土坑(どこう)などが見つかりました。

土器棺墓(縄文時代晩期)

土器棺墓検出状況
 縄文時代晩期の竪穴住居跡1軒、土器棺墓(どきかんぼ)と土坑各1基が見つかりました。土器棺墓には2個体の縄文土器が据えられていますが、遺構の上部は後世の削平を受けていました。

周溝墓(弥生時代中期)

方形周溝墓が並んで広がっている様子
 墓の墳丘や主体部は確認できませんでしたが、墓を区画する溝が見つかりました。弥生時代中期前半では、墓と墓の間に道のような空白地があり、南北又は東西方向に墓を配置しています。中期後半になると、墓3基又は4基を1単位とするまとまりが、広範囲に点在している様子がわかりました。

竪穴住居跡(弥生時代後期から古墳時代前期)

竪穴住居跡が密集している様子
 竪穴住居跡の多くは、平面形が方形で1辺の長さが4m未満の小型のものが密集していましたが、掘立柱建物跡は点在して見つかりました。炉跡が見つかった竪穴住居跡は、わずかに3軒しかありません。住まいの跡と思われるのに、どうして炉跡がないのでしょうか。

水田跡(江戸時代)

江戸時代の水田跡
 A地区の西半を中心に、江戸時代の水田跡64区画と溝状の耕作痕が見つかりました。現代の水田と比べると、水田跡は幅の狭い畦畔(けいはん)で細かく区切られ、水を効率よく流すための水口(みなくち)が畦畔の各所に設けてありました。これらの水田の開墾によって、中世以前の遺構が大きく削平されたと考えられます。

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