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中切日焼遺跡で掘立柱建物と竪穴建物を発見しました

中切日焼遺跡は、高山市中切町の川上川左岸の丘陵部下にある緩斜地に立地し、中部縦貫自動車道高山清見道路事業に伴う発掘調査を実施しています。発掘調査場所は東側のA地区と西側のB地区に分かれ、今回の発掘調査では掘立柱建物1棟や竪穴建物6棟などを発見しました。

発見した掘立柱建物

A地区の北東隅で総柱の掘立柱建物を確認しました。この掘立柱建物は北向きに建てられており、その柱穴は、平面形が方形で一定の間隔で並んでいました。この特徴は、古代の役所や寺院などの建物に多い特徴です。柱穴から出土した土器が少ないため詳細な時期を特定できませんが、地方の役所の場合、8世紀前半になると、造営方位が真北方向の建物が多くなることから、この建物は奈良時代頃のものと考えられます。

奈良時代掘立柱建物
奈良時代頃の掘立柱建物

発見した竪穴建物

竪穴建物は、古墳時代のもの2棟、飛鳥時代から奈良時代のもの2棟、平安時代のもの2棟を確認しました。今回は時代ごとに1棟ずつ紹介します。

古墳時代の竪穴建物

A地区の掘立柱建物の南側で一辺が約6mの方形の竪穴建物を確認しました。床面には4つの柱穴や北壁中央でカマド(○で囲んだ部分)がありました。出土した土器から古墳時代(7世紀頃)の建物と考えられます。

古墳時代竪穴建物
古墳時代の竪穴建物

飛鳥時代から奈良時代の竪穴建物

A地区の北西側で一辺が約6mの方形の竪穴建物を確認しました。床面には3つの柱穴や北壁中央でカマド(○で囲んだ部分)がありました。出土した土器から飛鳥時代から奈良時代(8世紀前後)の建物と考えられます。

平安時代竪穴建物
飛鳥時代から奈良時代の竪穴建物

平安時代の竪穴建物

B地区の南東側の緩斜面地で長辺が約5m、短辺が約4mの長方形の竪穴建物を確認しました。床面には4つの柱穴や北壁中央でカマド(○で囲んだ部分)がありました。出土した土器から平安時代(11世紀頃)の建物と考えられます。
平安時代竪穴建物
平安時代の竪穴建物

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