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16慶安御触書
岐阜県歴史資料館授業にも使える当館所蔵史料
No.16慶安御触書
慶安御触書【小池家文書639号】
・・・文政13(1830)年にもお触れが出されていた!
(口語訳)
一幕府をおそれ敬い、地頭代官の事を大切にし、さてまた、名主や組頭を真の親と思いなさい。
一名主組頭の者は、地頭代官の事を大切に思い、年貢をきちんと納入し、幕府に背かず、
小百姓の生活をよくしていくようにしなさい。さてまた、自身の身の上がきちんとしておらず、
すべてにおいて不作法であれば、小百姓に幕府の用務を申し付けても、あなどられ命令を聞かないので、
日頃からくらし方に気をつけ、困らないようにいつも心がけなさい。
一名主は自分と仲の悪い者でも無理なことを言わず、また、仲のよい者でも依怙贔屓(えこひいき)することなく、
小百を大事にし、年貢割の取り決めも平等に正しくしなさい。
姓さてまた、小百姓は、名主組頭の言いつけることに決して背いてはいけない。
一耕作に精を出し、田畑の作物を同じようにこしらえるようにしっかり行い、草が生えないようにしなさい。
草をよく取り、時々、耕作の間に鍬の手入れを行えば、作物はよく育ち、豊作となり
、田畑の境には大豆や小豆を植え少しも無駄にしないようにしなさい。
一朝起きをし、朝草を刈り、昼は田畑の耕作にかかり、晩には縄をない、俵をあみ、
いつでもそれぞれの仕事を油断なく行いなさい。
一酒や茶を買って飲んではいけない。妻や子供も同じである。
一村では屋敷の廻りに竹や木を植え、落ち葉も取り、薪を買わないようにしなさい。
(略)
解説
「慶安の御触書」は、慶安2(1649)年に幕府が農民統制のために発令された幕法とされている文書であるとされてきたが、慶安2年当時の原本が見つからない事などからその存在が議論されるようになった。上記の画像は、文政13(1830)年に美濃岩村藩によって板行された御触書で、百姓に対して贅沢を戒め、農業など家業に精を出すように求めた内容である。32ヶ条と奥書から成り立ち、農民に対して説き聞かせる形で出されたものであった。
文政10(1827)年、岩村藩家老の丹羽瀬正左衛門(にわせせいざえもん)は、家中に対して禄米の借上げを行い、領民に対しては村方法度を出し倹約を奨励させた。さらに文政13(1830)年、当時木版で諸国へ広まっていた「慶安御触書」と「六諭衍義」(りくゆえんぎ)をそれぞれ出した。
具体的に農村には開墾・養蚕・植林を、町には織物を奨励し、次第に成果をあげていった。しかし、天保4(1833)年の全国的な飢饉、同5(1834)年には江戸藩邸の類焼、同7(1836)年の天明の大飢饉と並ぶ領内の大凶作に見舞われたため、家中への借り上げや領民に対する倹約奨励などの改革を行ったものの、十分な成果をあげることはできなかった。
用語について
岩村藩・・・・美濃国岩村(現岐阜県恵那市岩村町)周辺を支配した藩。
「六諭衍義(りくゆえんぎ)・・・・人の道を教える中国の書物。
小百姓・・・・わずかな田畑を耕作する農民
史料の授業等への利用について
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