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14空襲予告ビラ

岐阜県歴史資料館授業にも使える当館所蔵史料

No.14空襲予告ビラ

「空襲予告ビラ」【土川家文書】
・・・・B29による爆撃予告!ビラが空から舞い降りる!

空襲予告ビラ 表
資料(1)日本国民に告ぐ(表)

空襲予告ビラ 裏
資料(1)空襲の予告を記した都市(裏)

爆弾には眼も心もないのビラ 表
資料(2)爆弾には眼もなく心もない(表)

爆弾には眼も心もないのビラ 裏絵
資料(2)爆弾には眼もなく心もない(裏)

解説

太平洋戦争における日本軍の戦局はミッドウェー海戦から一変し、敗北の度合いを深めていった。太平洋戦争末期には、アメリカ軍機のB29爆撃機による日本本土への空襲が本格化した。1945(昭和20)年3月10日には東京大空襲が行われ、一夜にして10万人もの尊い命が失われた。それまでは高高度からの軍需工場など目標地点を狙った精密爆撃が中心であったが、無差別爆撃が連夜のように行われるようになった。その後、軍需工場がある地方都市にも爆撃が行われ日本は壊滅的打撃を受けた。
今回紹介する史料(1)、(2)は、地方都市を攻撃対象としてアメリカ軍機から大量にまかれた空襲予告ビラの一部である。ビラの大きさは縦14cm、横21cmの両面印刷で、日本国民又は兵士の戦闘意欲を失わせる目的で配布されたビラといわれている。
昭和20年6月7日、大垣の上空からビラがまかれた(『岐阜空襲誌』より)。(1)のビラはその時にまかれたものであろうか。(1)には、日本語で「日本国民に告ぐ」と題して、数日中に各市内の軍需工場を爆撃すると警告している。その中で、「爆弾には眼がありませんからどこに落ちるか分かりません」とも書かれ、住民に避難を呼びかけている。また、(1)裏には、編隊を組むB29爆撃機の写真を囲むように、標的とされた11の都市が記されている。
要約すると以下の4点が書かれている。

  • 数日のうちに記載してある都市のうち、4〜5つの軍事施設を爆撃するので避難すること。
  • 国民は悪くない。悪いのは国民を戦争に引き込んだ軍部である。
  • 戦争をやめる指導者を立てて新しい日本をつくってはどうか。
  • 記載していない都市にも爆撃するかもしれない。

しかし、多くの人はビラを見ることがなかったようである。それは、ビラを隠し持っている者は非国民やスパイと疑われたからである。また、都市によってはビラに毒が塗ってあるという噂が広まり、市民がビラに触れないようにしたからである。
こうしたビラは憲兵や警察などによって回収されたという。
予告通り、アメリカ軍は、昭和20年7月29日にビラに記載してあった大垣を空襲し、大垣の街は壊滅した。この空襲により、大垣城や大垣別院なども焼失した。残った建物は大垣駅などわずかであったといい、死者50名、負傷者も100名を超えたという。
(1)の空襲予告ビラは、他の都市でもまかれたようであるが、最近になって、高山でもビラが発見された(『平成20年8月4日岐阜新聞』より)。高山では昭和20年8月2日夜、大量のビラがまかれた。しかし、警察や自衛団がすぐに回収して処分したとされる。
その他に、(2)のような片面カラーで印刷されたビラもまかれた。このビラには、空襲後の国民の痛ましい状況を言葉と絵でリアルに伝えている。人々に恐怖心を抱かせる目的があったのだろうか。このビラは、いつどこでまかれたのか不明である。
当館にはその他に数種類のビラを所蔵している。

用語について

空襲予告ビラ
・・・戦時中、敵国の兵士や市民の戦意を無くすことを目的としてまかれたビラで「伝単(でんたん)ともいわれた。ビラには複数の種類がある。1945(昭和20)年7月頃から全国32都市の上空でまかれたとされ、実際に約半数の都市で空襲があった。まかれたビラに記された標的の都市は、地域によって異なっている。

ミッドウェー海戦
・・・太平洋戦争中の1942(昭和17)年6月5日から7日にかけて行われたミッドウェー沖で行われた海戦。アメリカ海軍は航空母艦1隻に対して、日本海軍は主力航空母艦4隻とその全艦載機を失った。この結果、日本が優勢であった空母戦力は均衡し、以後はアメリカが圧倒することになった。

史料の授業等への利用について

申請書(様式 [Wordファイル/19KB])を歴史資料館へお送り下さい。


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