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岐阜県所在史料(諸家)目録一覧

岐阜県歴史資料館 岐阜県所在史料目録一覧

このページでは、『岐阜県所在史料目録』(岐阜県歴史資料館に収蔵する歴史資料目録)の一部を公開しています。下表のリンク先で該当目録・分野等の目録をご覧いただけます。

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※以下の目録は岐阜県所在史料目録(岐阜県歴史資料館収蔵史料目録)のうち、デジタルデータ化したものに限ります。

目録名 目録の概要・特色等
武井家史料目録
(古書の部)
武井家は、天保年間から尾張藩の御用紙作りを命ぜられて以来、大商人として成長し、弘化2年に苗字帯刀を許された。明治に入り、和紙の貿易に活躍し、地方にあっては勧業に多くの功績を残した美濃市の旧家である。本目録は、大商家の武井家に残る古書である。

郷土資料目録第8集家分
文書目録

佐藤家文書 大垣市上石津町佐藤家のいわゆる庄屋文書である。
新井家文書 高山市朝日町新井家文書のいわゆる庄屋文書である。
森義一文書 各務原市の郷土史家であった森義一氏の筆写資料が中心となっている。
第3集
不破家文書目録
羽栗郡(現羽島市)正木輪中に属する不破一色村(幕領と名古屋藩領からなる)の東西の二組のうちの東組庄屋であった不破家に残る文書である。
第4集
赤座甲三家文書目録(1)
各務原市那加町西市場の赤座家文書のうち近世(天正14〜慶応14年)史料を収録。主な内容は、西市場村(更木村)文書、山後村・大島村の出入等文書、更木八ヶ村入会地割本文書、徳山氏所領の徳山村及び根尾村能郷に関する史料、赤座家私文書等である。
第6集
谷家文書目録
谷家は尾張藩領(竹腰氏釆地)多芸郡船付村の庄屋役、輪中惣代などを勤めた。明治維新後は、多くの公職につく一方、諸企業への投資を行った。谷家文書は、役職関係のもの、地主経営や銀行・諸企業関係のもの等から成る。特異な史料としては、土岐頼芸書状3通や、明治24年に起きた濃尾大震災に関する史料がある。
第7集小池家文書目録 旧可児郡池田町屋村(現多治見市内)の小池家文書目録である。その主体をなす史料は、政治家小池勇(安政元〜昭和15年)に関するものである。また、『自由党激化事件と小池勇』を著した村上貢氏文書及び同村廿原の木塚家文書も含まれる。
第8集
林周教氏蒐集文書目録

 本目録は、大垣市万石の郷土史家林周教氏が蒐集された古文書を整理したものである。氏は、本県郷土史学界で一時代を形成した郷土史家の一人だが、昭和46年に永眠され、長年蒐集された古文書や郷土史の草稿がそのままになっていた。そこで当館が、ご遺族と協議の上、寄託されたものを保存し整理したのが本目録である。

第10集
青木久太郎家文書目録
厚見郡佐波村(現岐阜市柳津町)の庄屋であった青木久太郎家の史料が佐波村の動きと私的活動の二つに大別されている。また、同家出身で経済界で活躍した原三渓(青木富太郎)の史料も含まれる。
第12集
阿子田昭家文書目録(1)
揖斐郡池田町沓井の阿子田家は、中世以来在地土豪の由緒を持ち、近世期には備中岡田藩の飛地沓井・脛長の下代官を勤めた。本目録は、近世史研究上、貴重な代官史料である。

第14集
武井家文書目録(2)

武儀郡長瀬村(美濃市)の代表的紙商人武井家の近世文書。武井家は近世後期、紙商人として台頭し、尾張藩御用紙の漉立方を勤め、同藩御用商人として力を蓄えた。本目録は、武井家史料目録(古書の部)に続くものである。
第15集
武井家文書目録(3)
武儀郡長瀬村(美濃市)の代表的紙商人武井家の近代文書。武井家は近代、美濃紙の改良に努めると共に、紙の輸出業にも進出した。

第17集
棚橋健二家文書目録(1)
(近世史料の部1)

 棚橋健二家文書は、長良川下流右岸の福束輪中北東に位置する現輪之内町楡俣(旧楡俣村)の旧庄屋家に保存されてきたものである。棚橋家は楡俣村の草分けの一軒であり、近世初頭からの文書を伝えている。本目録は、そのうちの村方文書と地主経営文書が中心に収録されていっるが、慶長5年9月の徳川家康禁制朱印状、寛永期の五人組之覚や宗門改帳等大変貴重な史料が含まれている。
第19集
山田忠行家文書目録

武儀郡下有知村(現関市)の古料方(池田領からの上知分に対して古くからの幕府領分)の庄屋であった山田家の文書である。特に幕府直轄地の状態を示す近世後期の文書が多い。

第23集
棚橋健二家文書目録(2)
(近世の部2)

『棚橋健二家文書目録(1)』に続く目録である。同家の土地集積は宝暦中期にピークを迎えている。地主経営が安定化したことをうかがえる地主経営基本帳簿である『掟御年貢帳』や、資金調達の方法についての解明につながる『金銀出入帳』などの史料が含まれている。

第24集のI
諸家文書目録
渡辺久家文書 渡辺久家文書は、加茂郡水戸野村(現加茂郡白川町)に伝来した史料である。水戸野村は近世期領主が西尾氏・稲葉氏と続き以後幕府領となる。近世村落における農民生活を明らかにする史料である。
第24集のII
諸家文書目録
青木重太郎家文書 近世期、尾張藩に属する石川氏の知行地であった旧本巣郡曽井中嶋村(曽井村)(現本巣市曽井中島)下組の庄屋であった青木重太郎家の文書である。
青木元昭家文書 青木重太郎家と同じ曽井中嶋村の上組の庄屋であった青木元昭家の文書である。天保13?明治3年の宗門御改帳、宗門御改増減帳等が特質的な資料である。
上田功家文書 上田家文書は、大野郡辻村(現揖斐郡大野町)に関する史料と清水岡田氏陣屋詰であった野尻、弓削、立木、名和の各氏の史料という二つの部分からなる。
富波小PTA収集
文書
 旧山県郡美山町(現山県市)に所在する富波小学校PTAから寄贈された文書で、その中心は旧石津郡松山村(現海津市)の地租改正期のものである。
昼飯村文書  昼飯村(現大垣市昼飯町)の名主等村役人を、明治には青墓村外4か村の戸長を勤めた早野龍左右衛門家文書が中心である。文政4年の「らくだ」絵が含まれる。
横関一良家文書  近世期の山県郡円原村今島洞(現山県市美山町)に続いてきた横関家の文書である。文化期以降の文書が多い。又、山本幸一・中村波男・松野幸泰の史料等近・現代の好史料がある。
吉安千鶴子家
文書
 吉安家初代長右衛門は揖斐郡の池田野新田を開発し、5代目の勘左衛門は明治期に、現在の池田町池野市街発展の基礎となる池野市場を開設した。その吉安勘左衛門のものが中心である。
第27集
棚橋健二家文書目録(3)
(近代史料の部1)
『棚橋健二家文書目録』(1)・(2)に続く目録である。同家は地主経営発展の為、掟米の絶対量増加をはかり農談会を設立したり、農業技術向上から博覧会等への出品なども行っている。また、耕地を売却して新たに県外に土地を求める経営がなされ、明治40年以降は地所経営により土地投資に力を入れたことが分かる。
第29集
小森宣明家文書目録
 小森家は、旧美濃国池田郡片山村(現揖斐郡池田町)の旧家である。江戸期片山村は大垣藩領を中心とした相給地で、同家は名主を務めていたと思われ、明治期には戸長や村会議員等の公職につくしている。同家の文書は近代文書が中心であり、特に濃尾震災直後から12月迄の『岐阜日日新聞』など近代史研究に資する資料が含まれる。
第30集
阿子田昭家文書目録(2)
『阿子田家文書目録(1)』につづく目録である。特に重要なものは江戸幕府形成の地域への影響に関わる近世初頭の史料群である。また、明治維新を経て近代化へと進んだ時期の生活を知るための好史料を多く含む。
第34集
武川久兵衛家文書目録
益田郡湯之島村(現下呂市湯之島)の武川家に伝来した文書である。元禄期に武川家4代目の倍行(ますゆき)が飛騨屋久兵衛を名乗って開業して以来、第4代久兵衛の倍郷(ますさと)迄、蝦夷地の開拓に携わり木材伐採請負や交易で活躍した飛騨屋関係の文書が中心である。エカテリーナやラックスマンらの肖像画も含まれている。
第35集
諸家文書目録
徳山稔家文書  旧旗本徳山家の文書である。中でも、永享年間の文書は中世文書として貴重である。
三渕家関係文書 旧安八郡南今ヶ渕村等に采地があった旧旗本三渕家関係の文書である。
赤座甲三家文書
(2)
 赤座家文書(1)に続いて、本文書目録は近世文書の補遺と近代文書からなる。近代文書の中心は各務原の八か村入会地の割本文書である。
第38集
堀一郎家文書目録(上)
次木村(現、岐阜市次木)の庄屋で大地主であった堀家の生活や地域との関わりを示す近世から近代の史料である。特に、地券・租税書類や教科書など教育関係資料、さらに、新聞や手紙・絵葉書など幅広く収集されている。
第39集
堀一郎家文書目録(中)
堀一郎家に伝来した文書のうち、近代の家産に分類した土地・家業経営の部分を目録化したものである。明治期の日常生活を窺うことができる史料である。
第40集
堀一郎家文書目録(下)
 大正から昭和にかけての領収書約5,000点からなる。大正・昭和初期になると領収書も大半が印刷されたものに移行し、商品流通経済の具体的な浸透状況が分かる。また、戦時色を示す領収書がみられるなど、購入品目から時代性を窺い知ることもでる。
第41集
棚橋健二家(4)
(近代史料2)
 『棚橋健二家文書目録(3)』の続編目録である。明治初年から大正年間にわたるもので12代当主吉重、13代吉亨、14代馨也の3代に関わるものである。今回は主に重吉の神職活動、学校開設、彼を取り巻く家族の肖像を中心とした史料の収集となる。
第42集
富田家文書目録(2)
揖斐郡揖斐川町に伝わった富田家の近代文書である。内容は、富田治郎兵衛、富田健治郎、富田賢輔、富田要之助の人物毎に分けているが、富田要之助の資料が一番多く残っている。これらは、教育史を研究する上で大きな意味をもつものである。
第43集
棚橋健二家(5)
(近代史料3)
『棚橋健二家文書目録(4)』の続編目録である。目録化された史料は、寛永期から明治初年までの私文書を中心にしたもので、特記すべき資料は諸芸関係の史料である。棚橋家第12代当主吉重(碌翁)は美濃派第17世道統を継承した経歴をもつが、その碌翁の俳諧関係の史料が目録に収録されるのは今回が初めてである。
第44集
棚橋健二家文書目録(6)
(近代史料の部4)
棚橋家の目録も6冊目、近世史料の部としては4冊目となる。本目録は村方帳簿類を中心に収録。これらの史料からは、私領渡しの風聞に苦しむ様子、輪中土手築立に努力する様子など、村人たちの様々な社会生活模様が見て取れます。
第45集
諸家文書目録(3)
天池家文書  加茂郡廿(つづや)村(現美濃加茂市)の天池家の文書である。
末村勝家文書 揖斐町(現揖斐川町)の末村家の文書である。主として材木業に関するものである。
伊藤家文書  石津郡内記村(現海津市海津町)の伊藤家の文書である。
棚橋嘉明家文書  揖斐郡三輪村(現揖斐川町)の棚橋家の文書である。同家は近代に衡平、兄の松村らの著名人を輩出している。
五井家文書  石津郡牧田村(現大垣市上石津町)で代々問屋役であった五井家の文書である。
野原正人家文書 揖斐郡池田町沓井の阿子田家から分かれたといわれる野原家の文書である。
第46集
横山恒雄家文書目録(1)
 各務郡前野村(現各務原市那加野畑町)の有力者であった横山家の文書である。目録(1)の中心は近世文書であるが、その中で近世の各務原台地の開発に関する文書が特に注目される。
第47集
林集一家文書目録
麻生村(現揖斐郡大野町麻生)の庄屋であった林家の文書である。本文書は集平・逸八郎父子の、近世末から明治30年頃にかけての文書が多く、明治維新前後の農村の変化の様子を理解するために役立つと思われる。
第48集
沢田重一郎家文書目録
岐阜市長森野一色の沢田家は、江戸末期には地主として活躍し、その後、土地経営や株式投資を行う等、家業は長く守られてきた。本史料には、沢田重平・重次の二代の日記が含まれており、日露戦争・太平洋戦争に関する記録も残されている。
第49集
三宅武夫家文書目録
明治36年、現在の恵那市明智町で誕生した三宅武夫は、戦前戦後を通じて長い教職経歴を持ち、膨大な教育資料を残した。本史料は本県の教育史上貴重な資料である。
第50集
野村芳兵衛文書目録(上)
大正・昭和を通じて日本を代表する教育実践者の一人であった野村芳兵衛の残した資料で、戦前の「児童の村小学校」や戦後の小中学校時代、定年後の大学・短大講師時代を通じてのものである。本巻は教科書・書籍・雑誌等が中心で、その多くに彼の随想が記されている。また、自身が編集した雑誌『綴方生活』もある。
第51集
野村芳兵衛文書目録(下)
 本巻は、野村芳兵衛の生涯にわたる教育実践の資料、日記や書簡などの生活資料、執筆原稿などが中心となっている。
第52集
横山克巳文書目録(1)
 大正6年現飛騨市古川町に生まれ小中学校長・大学講師等を努めた横山克巳の残した教育史料である。特に、昭和30年代〜40年代にかけての資料は膨大で充実している。
第53集
熊谷守一文書目録
 熊谷守一は明治13年、現在の中津川市付知町の生まれで、17歳迄岐阜で生活している。寄贈を受けた約3千点の本史料は、守一宛の書簡類を中心に、日記類、晩年の書等多岐にわたっている。
第54集
大前久八郎家文書目録
(1)
南飛騨の下呂市萩原町中呂にある大前家はこの地の古くからの土豪で、戦国期武士であり近世では代々名主を、近代では戸長を勤めた。本目録は、近世から明治維新期の史料である。
第55集
大前久八郎家文書目録
(2)
本目録は、大前家の近代史料を中心としたものである。中でも明治前期、新政府が新国家体制構築のために様々な政策を打ち出し、地方への浸透を図っていったが、その体制作りに奔走する地方行政の担当者達の動きや新体制下に組み入れられていく地方の動向を知るための好史料である。
第56集
花村武史家文書目録
羽栗郡本郷村(現羽島市福寿町本郷)に所在した花村家は家伝によると中臣の鎌足の系列に繋がるといわれ、江戸期には代々庄屋を務めた。本郷村は長良川沿いにあり、本史料は輪中地帯の江戸期の様子を知る上で貴重である。免定・年貢勘定帳・宗門改帳や寺判帳・諸事書上ケ帳も重要である。
第57集
五島孝家文書目録
安八郡一色村(現大垣市南一色村)で代々名主を努めてきた五島家の文書である。美濃国最大の藩の大垣藩のもとにあった村の支配の様子を知る上で興味のある史料である。又、幕末期、大垣藩は異国船への防備、大坂・京都の警備、東山道鎮撫使先鋒隊への参軍等諸役を請け負ったが、それらに関わる文書も貴重である。
第58集
江馬寿美子家文書目録
代々大垣藩医を努めてきた江馬家の文書である。蘭学で有名な蘭斎の孫の活堂の文書が多いが、蘭斎及びその娘細香に関わる史料は無論、同家の史料は江戸後期の大垣藩や大垣町の様子、医学界や文化人の動きを知る上で大変貴重である。
第59集
青木久太郎家文書目録
(2)

 第10集に続き、厚見郡下佐波村(現岐阜市柳津町)の庄屋であった青木久太郎家の史料である。本目録は「物成割付」「物成勘定帳」「田畑高揃帳」や「宗門改人別帳・総人数目録」などにより下佐波村の石高や年貢、人口、村政の様子、婚姻を中心とした人の動きを知ることができる。また、領主であった加納藩主の領内巡回時の史料もある。

第59集補遺
青木久太郎家文書目録
(3)

 第59集の補遺である。青木家は、厚見郡下佐波村(現岐阜市柳津町)の庄屋で、明治時代には戸長を務めた。これまでに公開した目録第10集と第59集を補足する内容となっている。また明治時代から戦後にかけての写真(B10-(7))が多くあり、近代における風俗の移り変わりを具体的に見ることができる。

諸家文書目録(4)

河崎達夫家文書 明治期の生活用品の通い帳を中心とした昭和30年代迄の同家関係の諸資料である。
青木丈太郎文書 岐阜県下における昭和5年から12年にかけての青年団関係資料である。
本巣土地改良区
文書
 本巣郡土地改良区が所蔵していた井水資料、村方資料、川通絵図等である。
加納広家文書 揖斐郡内の尋常高等小学校訓導及び校長などを務めた加納助三郎氏に関わる辞令等の教育関係資料である。近代の教育史研究に役立つ資料である。
犬塚行蔵文書  飛騨考古学会員であった犬塚行蔵氏が所蔵していた明治・大正・昭和初期の考古学関係の書籍が中心で、当時の考古学の状況が分かる資料である。
原瀬一紀家文書  憲兵学校第三期卒業生の原瀬光彦氏に関する憲兵学校の資料が中心である。
大沢喜久家文書  郡上郡下津原村の淨光寺及び方県郡一日市場村の光願寺が本山へ出した誓詞が中心である。
高橋善昭文書  近世期の和書の希少本である。本居宣長に学んだ高山の国学者田中大秀著の「竹取翁物語解」と「養老美泉辨」、中世・近世期を記録した「美濃国記」及び「後編美濃国記」から成る。
山本喜幾文書  旧宮村の山本喜男氏が所蔵していた松平定信が編纂した「集古十種」全85冊の完本である。本資料は明治期の再版本であると思われる。
若原惣一家文書  若原惣一氏の父親が師範学校で使用していた教科書など明治から昭和20年頃迄の教育関係の書籍資料であり、明治・大正・昭和の激動期を教育の視点からみてとることができる資料である。
西川正美家文書 西川家は、代々にわたって尾張藩長良川役所改役(付問屋)を務めた家である。長良川を上下する舟から役銀を取り立てることを任務としており、長良川灰舟御役銀御請合帳や長良川本舟御役銀御請合帳などの史料とともに、西川家の免定や日記(年々録)などが残っている。
金澤正徳家文書 故金澤正雄氏が岐阜県知事の任にあった昭和2〜4年の間の行政文書及び手紙を中心とした私文書等からなる。官選知事時代の地方と中央政府の関係を知る上で重要な史料である。昭和3年の大礼式典関係の詳細な史料や山県有朋の書、吉田茂・鳩山一郎等の自筆の手紙など貴重な史料もある。
笠原正義家文書  慶長14年(1609)の雄総村御縄打水帳や宝永元年(1704)の御年貢勘定帳等古い史料とともに、天保4年(1833)の村絵図、明治の村絵図等貴重な史料がある。
大野玲二家文書  筵田郡三橋村・仏生寺村、本巣郡北方村・見延村・早野村等野論裁許絵図をはじめ、糸貫川通絵図・長良川堤絵図等北方村周辺の絵図が多数ある。また、正徳2年の北方村辻帳、嘉永7年の宗門改寺増減帳、明治3年の北方地下村戸籍等がある。
高橋武揚文書 昭和28年10月交付施行された町村合併促進法に基づいて県内でも町村合併が進んだが、本文書は本巣郡内の町村合併申請書原本を中心とした史料で、当時の同郡の町村合併の実情を知ることができる大変貴重な史料である。
戸崎博三家文書 羽島郡徳田村の宗門改帳・宗門改人数増減帳・免定・築堤論争・田畑の売買等の文書があり、徳田村の家数・石高・年貢高・築堤論争の状況・田畑売買の状況等を知ることができる史料である。
小川克子文書  大野郡更地村の村法や井水・井溝に関わる資料、近隣の上秋村・黒野村の水論に関わる資料、大垣藩各筋村々の絵図等、断片的な資料が多い。

鏡島・上松家
文書

 鏡島村すべての字限(あざきり)土地丈量(字限図を含む)が収納されている。明治政府が当面する最初の課題は財政基盤の確立だった。廃藩置県を断行すると続いて地租改正に取り組むが、本文書の中心をなすのはその最初の作業である丈量関係資料であり、大変貴重な史料群である。その他家業の質屋関係資料(質札群)や他家へ嫁いだ娘たちによる実家への手紙類も当時の実家と婚家の関係を知る珍しい史料群である。

岩村・沼田家
文書

 沼田家は、かつては、源頼朝から遠山荘の地頭に任命された加藤景廉を祀る八幡神社や、その子景朝を祀る武並神社の別当職を申し付けられていた家柄である。昭和20年まで神職にあったことから、史料の半数以上に当たる276点が祝詞である。殊に、昭和初期から20年の間のものが多く、出征兵士の武運長久を祈ったものが多い。その数の多さや文面等から、当時の世相や人々の考え方を知ることができる。

山川洋家
文書

 不破郡新井村(現垂井町新井)の山川家に伝わった近世・近代文書。史料の半数近くが年貢勘定関係であるが、その内確認できるほとんどが隣村の大滝村(現垂井町大滝)に係わるものである。この他にも新井村の村政や家業経営に関する史料が多い。

大野郡南方村文書目録

 美濃国大野郡南方村(現・揖斐川町大字上南方)に伝わった近世・近代文書。土地関係資料が中心であり、特に慶長〜元禄期の検地帳・取付帳が多く残っている。

伏木家文書目録  美濃国山県郡加野村(現・岐阜市大字加野)に伝わった近世文書。天保の改革期に幕府から出された法令や、加野村から幕府へ村の状況を報告したものが中心である。
那須正典家文書目録  江戸時代から昭和40年代までの様々な資料からなる。明治期の教科書や昭和20年代の美濃市洲原の学校資料などがある。
西順寺文書  北方町西順寺に伝わった文書。織田信孝・羽柴秀長・池田輝政らの禁制や稲葉一鉄の書状など織豊期の史料が中心である。
加藤美智惠家文書  飛驒国の武士広瀬美作入道徳静が、飛驒国吉城郡武安郷(広瀬郷・現高山市国府町)支配の正当性を主張し、室町幕府による安堵を望んだものである。また幕府が飛驒国司姉小路氏を討伐した応永飛驒の乱において、広瀬氏が父子で敵味方に分かれたことなども記している。
瀬古安明氏寄贈濃尾地震被災写真目録  明治24年(1891)10月28日に発生した濃尾地震による被災状況の写真。
 同地震により根尾谷水鳥村(本巣市)に出現した根尾谷断層と地震発生後の岐阜市靱屋町周辺の様子をそれぞれ撮影しており、被災状況を具体的に知ることができる。
大野洋親家文書目録  刷物や絵葉書が多くある。刷物については、寺社に関するものが半数近くを占めている。
根尾馨家文書目録

 美濃国大野郡徳山村の近世・近代文書。徳山村は江戸時代、旗本徳山氏の領地であった。徳山氏は美濃国内に約2700石の領地を持ち、その領内は山方村と里方村に大別されていた。徳山村は山方村にあたる。領主徳山氏の文書(目録第35集徳山稔家文書)と里方村である更木村(現各務原市)の赤座家の文書(目録第4、35集赤座甲三家文書)とあわせて、旗本徳山氏の所領支配やその領内の状況を具体的に知ることができる。

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