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徳川慶喜追討令

8.徳川慶喜追討令

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資料名:徳川慶喜追討令
資料名(ふりがな):とくがわよしのぶついとうれい
年代:慶応4年(1868)
資料番号:大前家文書A8‐(5)‐46

解説:
東山道鎮撫総督が制札の形で出したもの。飛騨国益田郡中呂村(現下呂市)の名主大前氏が書写した。
鳥羽・伏見の戦いで薩長軍に敗北した徳川慶喜を厳しく批判し、慶喜征討への協力を呼びかけると共に、旧幕府領を天朝領とすることを宣言している。
慶応4年正月、新政府は全国を帰順させるため、鎮撫総督(翌月先鋒総督兼鎮撫使と改称)を各地に派遣し、東山道鎮撫総督には岩倉具定(いわくらともさだ・岩倉具視の第三子)が任命された。

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