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本文

飯沼慾斎著「草木図説」草之部稿本附写生本[いいぬまよくさいちょ「そうもくずせつ」そうのぶこうほんつけたりしゃせいぼん]

分類 重要文化財
指定別
所在地 瑞穂市
所有者 個人所有
指定年月日 昭和59年11月24日
写真 飯沼慾斎著「草木図説」草之部稿本附写生本

 飯沼慾斎は、伊勢国亀山の富農西村信左衛門の次男で、12歳で学を志し家を出て、大垣の叔父飯沼長顕に寄宿し、京都へ出て医学を修めた。28歳のとき江戸の宇田川榛斎の門に入りオランダ医学を修めること1年にして、大垣で蘭方医を開業した。天保3年(1832)50歳のとき、家を義弟健介に譲り、大垣の西郊長松村に平林荘を営んで引退し、慾斎と号し植物の研究に専念した。こうして刻苦研究を重ねること30年、ついに「草木図説」を完成した。
慾斎は、その材料とする植物を各地で採集するのみでなく、種子を求めて平林荘に植えて栽培した。分類式と学名の考定には、スウェーデンのリンネ(1707-1778)の博物誌の植物編などを参照して、いわゆるリンネ分類式に準拠して、日本ではじめての近代科学的植物図鑑「草木図説」を完成させた。
江崎家に伝わる稿本27冊は「草木図説」の草部で、うち20冊は、安政3年(1856)〜文久2年(1862)に刊行され、その再版が明治7年(1874)に出され、草木1215種を図説している。稿本27冊は、厚さ1.0cmほどの分冊になっている。美濃和紙を二つ折りにしたものの表に毛筆で植物を巧みに写生して水彩を施し、裏に詳細な解説がしてある。
写生本も、稿本と同様美濃和紙製のほぼ同じ体裁のものである。

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