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愚堂東寔書跡[ぐどうとうしょくしょせき]

分類 重要文化財
指定別
所在地 安八郡神戸町神戸
所有者 護国寺
指定年月日 昭和49年6月18日

愚堂東寔書跡

 愚堂は天正5年(1577)山県郡伊自良(現山県市)の生まれで、その地の東光寺において得度、その後、諸国を巡って修行を積んで開悟した。妙心寺住職になること3度、後水尾・後西両天皇のご帰依を受けた当時知名の禅僧である。美濃国では加茂郡八百津町大仙寺や新加納少林寺などを再興している。
護国寺はもと真言宗であったが、元和年間尾張徳川家初代義直の外護で荒廃していたのを再興し、愚堂を開山として臨済宗に転宗している。愚堂は寛文元年(1661)入寂、翌年朝廷から大円宝鑑国師と謚[おくりな]された。
護国寺に伝来する墨跡は横物の掛軸である。唐紙[とうし]に1行11字または12字詰で17行にわたり行書をもってしたため、終わりに、
前正法愚堂老衲書
とあり、その下に3.3cm四方で、白字印文「沙門東寔」の方印が一つ押してある。内容は愚堂がしばらく護国寺にとどまっていたとき、近くの池田村にある古井戸に一尾の小蛇が住み、人々に危害を加えたので、愚堂が法力をもってこの蛇を調伏したことを記したものである。

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