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武川久兵衛の墓[たけかわきゅうべえのはか]

分類 史跡
指定別
所在地 下呂市湯之島
所有者 温泉寺他
指定年月日 昭和32年12月19日

武川久兵衛の墓

 江戸時代中期に北海道開拓事業で業績のあった武川久兵衛の墓は、温泉寺墓地にある。墓地の石段8合目、北側に武川家の墓域があり、与三右衛門倍国をはじめとして、累代の家主並びに家族の墓16基が並んでいる。史跡に指定されているのは、4代倍行・5代倍正・6代倍安・7代益郷の4人の墓である。
武川系譜によると、祖先は甲斐国出身で武田家に仕えていたが、主家の滅亡によって禄を失い、飛騨に逃れて湯之島に定住したという。武川倍行は元禄13年(1700)奥州北郡大畑村に居を構えて飛騨屋と号し、松前藩の許可を得て蝦夷松を伐採、江戸、大阪に輸送した。以後、倍正、倍安を経て益郷が寛政3年(1791)家業を廃して郷里湯之島に帰るまで、4代92年にわたって伐木事業に従事した。武川家4代にわたる北海道開発の業績は日本開拓史の巻頭を飾るに足るものである。

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