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成田正利の墓[なりたまさとしのはか]

分類 史跡
指定別
所在地 高山市赤保木町宮ケ原
所有者 赤保木史跡保存会
指定年月日 昭和45年1月20日

成田正利の墓

 成田正利の父、成田義賢(義質)は京都で塗師となり高山に来住した。慶長10年(1605)金森長近に召し出され、7人扶持切米17石を賜った。翌11年(1606)、鳥篭を淡黄色の透漆で塗り重近に進呈したが、その色が陶法の飛春慶に酷似していたことから春慶塗と命名された。
成田正利は義賢の長子で、父の職をついで金森家の御用塗師となり、春慶塗の改良に功労があった。正利には子女がなかったため、家督を弟に譲り赤保木に隠退して三休と号し、在所に熊野神社を再興した。同神社には正利寄進の鰐口や、延宝8年(1680)黒漆塗の板に朱漆で書いた自筆の扁額がある。
正利の墓は熊野神社の近くにあり、墓標は高さ約1mの小さな自然石である。かたわらに、明治42年(1909)5月15日赤保木地区住民と高山春慶漆器業者の共同で建てた「成田三休之碑」が立っている。

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