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鍋山城跡[なべやまじょうあと]

分類 史跡
指定別
所在地 高山市漆垣内町東ケ洞、神田、松之木町鍋山
所有者 鍋山城跡史跡保存会
指定年月日 昭和31年11月14日

鍋山城跡

 鍋山城は、高山市街地の東方約3km、標高752mの鍋山に構築されている。鍋山は、俗称大鍋山・小鍋山・下鍋山の三山に区分されており、大鍋山には本丸、下鍋山には二の丸、小鍋山には出丸が構築されていた。
本丸跡外曲輪の北西から南東にかけてコの字形に残る石垣は、総長約40m、幅約3m、高さ約2mである。二の丸は三段に築造されており、南西隅には石垣がわずかに残存している。
本丸南方、出丸が構築されたという小鍋山の頂部には、平坦地が見られるだけで往時を偲ぶ遺構はない。
鍋山城の創築については、室町時代の初めころという説と、天文年間(1532〜1555)とする説がある。一般には、天文年間に三仏寺城から移った豊後守安室が創築したと考えられている。
その後、天正年間(1573〜1592)に金森長近が居城し、城下の建設にも着手したが、山地に囲まれた狭小な地であったため、ここを諦め高山に転居した。高山城の築城により、鍋山城は廃城になった。

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