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美濃国分寺跡[みのこくぶんじあと]

■分類 史跡
■指定別
■所在地 大垣市青野町八反田丸山
■所有者 大垣市文部科学省
■指定年月日

大正10年3月3日
追加昭和46年7月22日
追加昭和49年5月22日

美濃国分寺跡

 大垣市青墓地区の中央、現国分寺南部一帯が国分寺跡である。この地は、古代から交通の要所であり、律令時代の三関の一つである不破関が近くに設けられていた。
大正5年(1916)の区画整理によってせん積み基壇が発見され、大正10年(1921)に塔を含めた範囲が史跡に指定された。その後、昭和43年(1968)から翌年にかけて県道大垣・垂井線の工事に先行した事前調査が実施され、寺域が良好な状態で遺存していることが確認されたため、昭和46年(1971)に瓦窯跡を含めた寺域全域に指定範囲が拡大された。その後公有化が進められ、昭和55年(1980)まで史跡としての整備が行われた。
昭和44年(1969)から8次にわたる発掘調査により、寺域南限築地跡・金堂跡・回廊跡などが発見された。伽藍配置は、かつては金堂を西、棟を東とする法起寺式と考えられていたが、その後の調査により、現在では中門から出て、北の金堂にとりつく回廊とその内側、東寄りに塔1基を設ける大官寺式と認識されている。
出土した遺物は大半が瓦と土器である。中には金銅製帯金具や吊り環等もみられる。瓦では、細弁十六弁蓮華文軒丸瓦と均整唐草文軒平瓦の組み合わせが創建時(8世紀中葉)のものであるが、他に白鳳期(前身寺院に伴う)や平安時代のものも出土している。
平成9年4月から7月にかけて、公園整備に伴う範囲確認調査が実施され、南門の前面に7.5m幅の参道が延びていること及び南門の正面に幢竿が存在したことが確認された。