ナビゲーションをスキップして本文へ

ここから本文です。

広瀬城跡附田中筑前守墓碑[ひろせじょうあとつけたりたなかちくぜんのかみぼひ]

■分類 史跡
■指定別
■所在地 高山市国府町名張、城山、上城山瓜巣
■所有者 個人所有
■指定年月日 昭和45年8月11日
広瀬城跡附田中筑前守墓碑
『飛州志』に、「旧称広瀬城卜云フ。広瀬宗城家臣田中与左衛門守之」と記され、広瀬城というのは旧称であった。宮川にかかる広瀬橋から城麓まで、約600mである。城域は、吉城郡国府町大字名張字上城山、同字城山、大字瓜巣にまたがる。地積はおよそ20.5ha。
津覚寺前を通り、名張峠口から左に折れて城の坂道にさしかかる。大手道である。小さな洞の突当りに水を湛えた池があり、その傍らに門屋敷跡と称する所があって、門石1個が置いてある。そこから約45m登った所で、道が左右に分かれる。
分岐点から右へ25mを距てて、城主の石碑が立っている。碑面の高さ62cm、縦長の自然石に次の文字が刻みこまれている。建設年代未詳。
(中央)田中筑前御霊神(右)永正13年(左)八月十三日
この城は、縄張りが広大で、銃撃戦に備えた施設になっている。戦国期の代表的な城跡である。
城主広瀬氏を滅した三木自綱は、天正13年(1585)この城を守って、金森長近と戦ったが、敗れて京都に出奔した。