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西高木家陣屋跡[にしたかぎけじんやあと]

■分類 史跡
■指定別
■所在地 大垣市上石津町大字宮
■所有者 大垣市個人
■指定年月日 平成26年10月6日
旗本西高木家陣屋跡

 高木家は、関ヶ原の合戦で軍功があり、時・多良の地を与えられ、慶長6年(1601)にこの地の領主として入部し、現在地に陣屋を構えた。高木家は三家あり交代寄合美濃衆と呼ばれ、旗本ながら大名の格式が与えられ、知行地の多良に在地し、参勤交代も行っていた。また、寛永年中(1624〜1644)は美濃の普請奉行を勤め、宝永2年(1705)より美濃、伊勢、尾張の川奉行を勤めた。
西高木家の遺構は高台にあり、自然の要害をなしている。現在に残る石垣をはじめとした遺構や一部建造物、総数数十万点にのぼる「高木家文書」の存在など江戸時代の旗本陣屋をうかがう上で貴重な遺跡である。
文政10年(1827)の棟札を持つ土蔵に加え、平成20年度に大垣市教育委員会が実施した現存建築物の調査により、主屋は天保3年(1852)に建造された上屋敷奥棟の「中奥」を中心に再編されたものであること、表門は嘉永5年(1852)に建造された下屋敷御門であることなどが明らかになった。
また、「高木家文書」の中には、各時期の屋敷の状況を示す絵図が残されており、それらによって陣屋の変遷が明らかにされつつある。