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赤田臥牛墓[あかだがぎゅうのはか]

分類 史跡
指定別
所在地 高山市
所有者 個人所有
指定年月日 昭和31年2月24日

赤田臥牛墓

 赤田臥牛墓は、東山大雄寺墓地にある赤田家の墳墓中に所在する。墓域は東西3.6m、南北約5.5mで、周囲に幅約16cm、方60cmの石垣を巡らし、内に臥牛・章斉・誠軒・先霊の4墳丘がある。いずれも幅9cmの環石を設け、底面直径約1m、高さ30cmはどの墳土が盛られている。正面中央が臥牛の墓である。
赤田臥牛は、延享4年(1747)高山の醸造家赤田新右衛門の家に生まれた。漢学者として大成した臥牛は、飛騨高山に静修館を経営し、子章斉・孫誠軒と三代にわたり郷党の師弟を訓育した。飛騨における郷校の最初である。臥牛は文政5年(1822)7月22日76才で病没した。遺著に詩文集「臥牛集初篇」5冊がある。

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