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今尾左義長[いまおさぎちょう]

分類 重要無形民俗文化財
指定別
所在地 海津市平田町今尾
技芸団体 左義長保存会
指定年月日 昭和55年1月18日

今尾左義長

 左義長は、もと禁中で正月15日と18日に、清涼殿の東庭で、青竹を束ねて立て、これに毬杖(毬を打つ長い柄の槌)三個を結び、これに扇子・短冊・吉書などをそえ、陰陽師が謡いはやしながら焼いて祝いまた豊作を祈ったものが起源という。
今尾の左義長は、正月17日に御日待といって日の神を祀り、氏子が当番宿に集まって会食していたのが始まりという。後、日の神が火の神と祀ることになり、鎮火の行事ともなり、左義長が盛大になり、明和4年(1767)秋葉神社(今尾神社御旅所)を創建するに至った。
左義長みこしは、2月11日の祭礼より数日前に、氏子の若衆連が近郊から青竹をもらい集めることから始まる。祭礼前日に13町内では、高さ周囲とも6mの鼓型の竹みこしをそれぞれ作る。
竹みこしには、しめ縄をめぐらし、神札、日の丸の小旗や正月の書き初め等を結びつける。また、「和合楽地福円満楽」等と大書した五色旗をたてる。これに大丸太の棒二本を通し、それで大きなわくを組み、さらに割竹で前後につり込みのとき倒れないために引き合うようにする。
祭は11日の早朝、今尾神社で左義長火祭り奉告の式典が執行され、続いて宮司以下参列者は御旅所の秋葉神社へ移り、鎮火の神事をする。午後1時頃、宮元の左義長みこしが、拍子木や笛や鉦を打ちならし、秋葉神社境内に担ぎ込まれる。宮司の手によって神前の燈明からもらい火をし、年番総代のもつ取り次ぎ藁に移される。待ち構えた若衆連は、手に手に藁で火を受け、左義長みこしに火を移す。爆竹のこだまするなかで、火の粉を浴びつつ若衆連が天までとどけと燃えさかる焔と煙の周りをかけまわる。この左義長みこしが7分どおり燃えたところで、その年の恵方の方へ倒し、その倒れかたでその年の吉凶を占い、残り火は灰除けの竹竿で押しのける。このように順次13町内のみこしがくりこまれる。

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