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木造雙桂定厳和尚坐像[もくぞうそうけいじょうがんおしょうざぞう]

■分類 重要文化財
■指定別
■所在地 大垣市上石津町一之瀬
■所有者 天喜寺
■指定年月日 昭和49年6月18日
木造雙桂定厳和尚坐像
●寄木造玉眼
●像高:91.0cm
 天喜寺は寺伝によると、天喜5年(1057)、源頼義を開基とし、天台座主玄良が創立、年号によって天喜寺と名づけられた。のち貞治5年(1366)、源基氏の外護により雙桂定厳がこの寺に入り、従来天台宗であったのを臨済宗に改めた。寺領200石を与えられ、堂宇も完備した。ところが、永禄7年(1564)火災により仏殿・方丈などが焼失したが、天正元年(1573)方丈が再建され、その後次第に旧観に復した。開山以来臨済宗永源寺派であったが、第14世文華元郁の時代、故あって同宗妙心寺派に転じ、その後法灯明らかに今日に至っている。
雙桂定厳は、永源寺開祖寂室元光の法嗣で、学徳兼備の高僧、上述のとおり貞治5年ここに入寺、寺基をきずき、活躍しようとしたが、翌年入寂した。
この雙桂定厳和尚坐像は、寄木造、玉眼の彩色像である。様式は写実的で、茶褐色の法衣の上に金爛の袈裟をつけ、頭に帽子をいただき、右手にシッペイを持ち、左手を膝の上にのせ、曲ろく風の椅子の上に坐った姿であるが、法衣や袈裟の前の部分が、前に垂れ下がっている。袈裟は淡い朱色地に唐草文があり、ところどころに獅子や草花の円文がある。
面貌は頬骨が高く、きびしく、個性的で、学徳の高い枯淡な老高像の両目が躍如としている。全体を通して極めて優秀な肖像彫刻である。帽子、沓[くつ]及び椅子は後補と見られるが、他に破損は見られない。この像は、銘文から、明応7年(1498)10月18日、京都一条富小路の仏師成済が、37才のとき、代五貫文で造顕したことが分かる。このように、造顕年代作者、造顕費などが明らかである点も貴重である。