ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

北方京水遺跡

所在地

大垣市北方町(おおがきしきたがたちょう)
地図<外部リンク>

時代

平安時代、鎌倉時代、室町時代

A地区近景
平成25年度調査地近景A地区(北から撮影)

B地区近景
平成25年度調査地近景B地区第2面(北東から撮影)

平成29年度全景
平成29年度発掘区全景(北東から)

発掘状況(平成29年度調査)

北方京水遺跡は標高9mほどの沖積平野に立地します。古代や中世には周辺を河川が流れており、人々は中州を居住域として生活していたようです。
平成29年度に実施した発掘調査では、当時の中州にあたる部分を調査し、古代から中世の掘立柱建物や柵、廃棄土坑等を確認しました。特に中世後期には溝で区画された屋敷が展開していたことが分かりました。

中世後期の屋敷

発掘調査では中世後期に展開した4つの屋敷を確認することができました。それぞれの屋敷は溝によって区画され、各屋敷で掘立柱建物を確認することが出来ました。また、覆屋を持つ井戸も見つかりました。
掘立柱建物
屋敷で見つかった掘立柱建物建物(上が北)

屋敷の井戸
屋敷でみつかった井戸(北から)

また、土師器皿や香炉、燭台、擂鉢、漆器等、屋敷内で暮らした人々が使ったと考えられるものも多く出土しました。茶の湯で湯を沸かすための風炉といった特殊な遺物も出土していることから、ある程度権力を持った人物が生活していたことが伺えます。
出土土器
出土した土器(室町時代)

出土した漆器
出土した漆器(室町時代)

発掘状況(平成25年度)

 北方京水遺跡が立地する杭瀬川と揖斐川にはさまれた微高地上には、奈良時代から鎌倉時代の遺跡が点在しています。当遺跡は平成15年に大垣市教育委員会によって発掘調査が行われており、今回は2回目の発掘調査にあたります。1回目の調査では、12世紀後半~13世紀を中心とした集落跡と考えられる遺構や、山茶碗等の遺物が多数出土しています。今回の調査でもほぼ同じ時期の遺構・遺物が出土しており、中世前半を中心とする時期に、この周辺において人々の生活が営まれたことが想定されます。今回の発掘調査では、集落跡(A地区)と水田跡(B地区)が確認されました。

A地区集落跡(平安時代末から鎌倉時代初頭)

A地区遺物出土状況1
A地区遺物出土状況

 A地区では、溝跡や柱穴、土坑を検出しました。上の写真は溝跡から出土した山茶碗の破片です。特に、12世紀後半~13世紀前半の時期の山茶碗が多数出土しており、その時期を中心に生活が営まれたと考えられます。

B地区水田跡(中世)の土層断面

B地区土層断面の画像
B地区土層断面

 B地区では、中世のものと考えられる水田跡を2面確認しました。どちらの面も、洪水によって運ばれてきた砂層で覆われており、洪水によって埋まってしまった水田を一度は復旧させたものの、再び洪水によって埋まってしまったことが分かりました。

B地区第1面と第2面の小区画水田の形状のちがい

 第1面と第2面の小区画水田の形状には違いが見られました。第2面(下層)では、自然の地形に合わせて水田が区画されているため、畦畔(けいはん)も曲がっています。一方で、第1面(上層)では、ほぼ等間隔に直線的な畦畔をつくり、条里地割(じょうりちわり)に沿った小区画水田となっています。第1面の水田を区画する際には、土地が低かった部分に盛り土をして、土地造成を行っていることも確認されていることから、洪水後に第1面の水田を復旧させる際には、条里地割に沿った、大がかりな造成工事が行われたといえます。
第2面水田跡
第2面の水田跡(上が西)

 畦畔がゆるやかに曲がっているのが分かります。

第1面水田跡
第1面の水田跡(上が西)

 畦畔が直線的につくられているのが分かります。

B地区第1面で検出した坪境に位置する大畦畔

SМ1検出状況
SM1検出状況(東から撮影)

SM3検出状況
SM3検出状況(南から撮影)

 B地区第1面では、他の畦畔よりも幅広の大畦畔を検出しました。SM1は東西方向、SM3は南北方向のもので、ともに条里の坪境に位置する大畦畔と考えられます。SM1とSM3に囲まれた範囲では、小区画水田を検出し、条里地割における区画がよく分かります。特にSM1は、幅が約5mに及ぶことからも、当時は道路として使われていたと考えられます。

B地区北部の自然流路(河川)内で確認された堰

SR1出土斎串1
SR1出土斎串

水制遺構
自然流路内の手前(SR1)と奥(SR2)に堰を確認

 B地区北部を北西から南東に流れていたと考えられる自然流路(河川)からは、2基の堰を確認しました。いずれも、土と植物を交互に積み重ねて盛り土していく「敷葉工法(しきばこうほう)」という方法で構築されていました。「敷葉工法」とは、丈夫な堤(つつみ)をつくる古代の土木技術で、県内では、柿田遺跡(可児市)で、同様に敷葉工法で構築された堰(せき)が確認されています。なお、SR1の盛り土の基底部では、斎串(いぐし)が出土し、堰を構築する最初の段階で祭祀を行ったと考えられます。

遺跡紹介にもどる

<外部リンク>