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東野遺跡

所在地

加茂郡坂祝町黒岩・大針(かもぐんさかほぎちょうくろいわ・おおはり)
地図平成24・25年度発掘区)<外部リンク>

時代

旧石器時代から近世
移籍金形
平成15年度発掘区(東から撮影)

H24年度発掘区
平成24年度発掘区(北から撮影)

H25年度発掘区
平成25年度発掘区(南西から撮影)

発掘状況

東野遺跡が立地する加茂野台地は、木曽川によってつくられた河岸段丘で、多くの遺跡が確認されています。平成15・16年度に発掘調査が行われた遺跡の北部では、縄文時代中期、古墳時代前期、古墳時代後期の集落跡を確認しました。平成24・25年度には遺跡の中央部から南部を調査しました。縄文時代中期、弥生時代中期から古墳時代初頭、古墳時代前期、古墳時代後期、古代、中世の集落跡と、弥生時代末から古墳時代初頭、近世の墓域を確認しました。

縄文時代の遺構と遺物

竪穴建物完掘状況の画像1
竪穴建物完掘状況(SH1:南から撮影)<平成15年度調査>

竪穴建物完掘状況の画像2
竪穴建物完掘状況(SI06:南から撮影)<平成24年度調査>

炉の土器出土状況
SI06炉の土器出土状況(北から撮影)<平成24年度調査>

 縄文時代の竪穴建物を8軒確認しました。当遺跡の南北を広く利用していたと考えられます。竪穴建物の中には、壁際溝を2条確認したことから建物を拡張したと考えられるものや、建物内の炉の底面に土器が敷き詰められていましたがその上で火をたいた痕跡が確認できないことから、建物を廃棄するときに敷き詰めていったと考えられるものがあります。8軒から出土した土器は、すべて縄文時代中期後葉のものです。

弥生時代の遺構と遺物

弥生時代の竪穴建物
弥生時代の竪穴建物(SI18:東から撮影)<平成24年度調査>

磨製石鏃出土状況
磨製石鏃未製品出土状況(SI13:北から撮影)<平成25年度調査>

方形周溝墓作業風景
方形周溝墓作業風景(SZ3:北から撮影)<平成24年度調査>
 平成24・25年度調査で、弥生時代の竪穴建物11軒、掘立柱建物1棟、方形周溝墓3基などを確認しました。弥生時代中期の終わりから集落が営まれはじめます。竪穴建物SI13からは、弥生時代後期の高坏がほぼ完形で出土しました。また、磨製石鏃(ませいせきぞく)や磨製石鏃未製品と、砥石(といし)や敲石(たたきいし)などの製作用工具が出土したことから、この時期には磨製石鏃の製作地であったと考えられます。弥生時代末から古墳時代初頭は、竪穴建物と方形周溝墓が共存する集落と墓域でした。

弥生時代の遺物集合
弥生時代の遺物集合<平成24・25年度調査>

古墳時代前期の遺構と遺物

竪穴建物完掘状況の画像3
竪穴建物完掘状況(SH07:南から撮影)<平成15年度調査>

竪穴建物遺物出土状況
竪穴建物遺物出土状況(SI47:北から撮影)<平成25年度調査>

掘立柱建物の画像1
8間×2間の掘立柱建物(SB2:北から撮影)<平成16年度調査>

掘立柱建物の画像2
6間×2間の掘立柱建物(SB09:北から撮影)<平成25年度調査>

 古墳時代前期は、竪穴建物37軒、掘立柱建物17棟、区画溝を確認しました。掘立柱建物は8間×2間、6間×2間などの大型の建物が方位を同じくして整然とならび、その周囲に竪穴建物を配置し、南を溝で区画するという、近隣では比較的規模の大きな集落が営まれていました。また出土例が少ない三連S字甕土製勾玉が出土しました。

その他の時代の遺構と遺物

16号住居跡
古墳時代後期の竪穴建物(SH16:北から撮影)<平成15年度調査>

竪穴建物
古墳時代後期の竪穴建物(SI35:西から撮影)<平成25年度調査>

土器埋納遺構
古代の土器埋納遺構(SK0007:北から撮影)<平成24年度調査>

区画溝
中世の区画溝(SD11:右が北)<平成24年度調査>

近世の井戸
近世の井戸(SE1:南から撮影)<平成24年度調査>

旧石器時代の遺物
旧石器時代の遺物集合<平成24・25年度調査>

 その後、古墳時代後期から中世まで、竪穴建物や掘立柱建物を確認しました。このことから、集落として断続的に利用してきたと考えられます。近世は、墓坑と井戸を確認していることから、墓域として利用したと考えられます。また、旧石器時代の遺物も出土しました。

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