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国分寺遺跡で土馬(どば)及び国分寺道(こくぶんじみち)の痕跡を確認しました

 大垣市青野町に所在する国分寺遺跡(こくぶんじいせき)の発掘調査で、馬の形をした土製品である土馬を確認しました。土馬は、疫病等を鎮める祭りや雨乞いの祭りに使われたと言われています。土坑の底から2つの破片が出土し、洗浄して確かめたところ同一の個体とわかりました。

長さ16.5cm、高さ7.0cmで、頭部、左前脚、左後脚が欠損しています。土馬は一部が欠損して出土することが多いようです。胴部には粘土をつまみ上げて鞍(くら)が表現され、線刻により手綱(たづな)も表現されています。

興味深いのは、お尻の部分にあいている穴ですが、これはお尻の穴を表現したものではありません。土馬を製作するときに芯棒に粘土を巻き付けて胴部を作り、最後に芯棒を抜き取るのですが、芯棒を抜き取った穴がそのまま残っているのです。

 

土馬1

  土馬(頭部(右側)が欠損している

 

土馬2

土馬(黒い部分、左前脚と左後脚の欠損箇所)

 

土馬3

製作の最後に芯棒を抜いた穴(黒い部分、尾(中央上)の下)

 

土馬出土状況 

  土馬の出土状況

 

 同じく国分寺遺跡の発掘調査で、中山道から現在の国分寺への参道「国分寺道」の基礎部分である地業(じぎょう)の痕跡を確認しました。
溝状に掘り込まれ、その掘り込みの中に固く叩き締められた砂礫が敷かれていました。自然流路上の軟弱な地盤のためにこのような基礎工事が行われたと考えられます。
なお、現在の国分寺は、江戸時代初期の元和元年(1615)に、国史跡・美濃国分寺跡の北東に再興されたお寺で、本尊の木造薬師如来坐像は国の重要文化財に指定されています。また、中山道には、国分寺道の道標も残っています。

 

国分寺道1

 国分寺道の痕跡(中央砂礫部分)

 

国分寺道2

 中山道に残る国分寺道の道標

 

 

 

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