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平成29年(2017)年3月14日平成28年度国分寺遺跡発掘調査の成果を紹介します

遺跡の概要

国分寺遺跡(こくぶんじいせき)は、大垣市青野町の標高22m前後の扇状地上に位置し、国史跡美濃国分寺跡(みのこくぶんじあと)の周辺に広がる遺跡です。今回の発掘調査は、県道赤坂垂井線の歩道部分をA~D地点に分け、平成28年7月上旬から11月下旬まで実施しました。その結果、奈良時代から平安時代を中心とする時期の遺構遺物を確認しました。その主な成果を、以下にご紹介します。

 

発掘区遠景

写真1)平成28年度国分寺遺跡発掘区遠景(西から)

 

多くの遺物が出土した土坑【発掘区B地点】

写真2は多くの土器破片が出土した土坑の様子です。土坑の長軸の長さは約110cmで、深さは約25cmでした。埋土から、須恵器(すえき)と灰釉陶器(かいゆうとうき)と土師器(はじき)が約110点出土しました。遺物は遺構の中央に集中し、遺構を検出した地面から約15cmまでの深さで確認しました。

 

遺物出土状況

写真2)多くの須恵器が出土した土坑の遺物出土状況(北から)

 

B地点では、50点以上の古代の瓦が出土した土坑1基も確認しました。写真3は土坑から出土した古代の軒平瓦(のきひらがわら)です。軒平瓦は屋根の軒先に用いる平瓦です。美濃国分寺跡からも同様の文様の軒平瓦が出土しています。黒く変色した部分は熱を受けた痕跡ですが、火災の影響を受けたものかもしれません。

 

軒平瓦

写真3)土坑から出土した軒平瓦

 

自然流路からの出土遺物【発掘区全地点】

今回の発掘区には、複数の自然流路(川)が広い範囲にわたって存在しており、流路を埋める土の中からたくさんの遺物が出土しました。特に、美濃国分寺跡の正面に位置するB地点の流路からは、墨書土器(ぼくしょどき)や瓦、せんなど、国分寺に関係すると考えられる遺物を含む、多くの古代の遺物を確認できました。
墨書土器は墨で文字や記号、絵を記した土器で、当時の情報を知る貴重な資料です。現時点で20点以上の墨書土器を確認しており、墨書の内容について今後の整理等作業の中で明らかにしていく予定です。また、写真4の遺物はせんです。今回の調査では2点が出土しました。せんは現代のれんがに相当し、美濃国分寺では、塔や金堂(こんどう)などの建物の土台部分(基壇=きだん)を覆うために用いられた他、掘立柱建物の柱の下に敷かれました。

 

出土遺物

写真4)自然流路から出土したせん

 

終わりに

今年度の調査では、今回の調査だよりで紹介したように、土坑や自然流路を中心に多くの古代の遺物が出土しました。また、美濃国分寺跡の寺域から南西約80mの地点で、古代の建物の存在を示す遺構を確認しました。今後の整理等作業の中で、美濃国分寺周辺の歴史についての理解がさらに深まるよう、今回の調査成果をまとめていきます。

 

 

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