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第53集熊谷守一1(その1)

岐阜県歴史資料館 所在史料目録

第53集 熊谷守一文書目録

第一部史料目録

1 書簡類その1(明治32年~昭和15年)
年月日 タイトル/内容 作成 備考 文書番号
明治32年1月17日 来月の学費金15円の件 熊谷孫六郎   1-1
明治32年3月31日 妹(すみ子)女学校のため、上京の件/神田辺りに借家して、守一とすみ子、同居してもよい 熊谷孫六郎   1-2
明治33年7月31日 入学の際の保証人について/牧野彦太郎殿か、拙者、鋭雄のいずれでもよい 熊谷孫六郎   1-3
明治34年6月11日 旅行の用具費金35円送金、受け取ったら返事を/(1)また、旅先に30円を送付するため、3,4日前に連絡するように (2)もし、旅先への送金が都合悪ければ連絡をするように 熊谷孫六郎   1-4
明治35年1月19日   熊谷孫六郎 中身欠 1-5
明治34年~35年6月1日 留守中に訪問に付、伝言/(1)沼津、箱根に立ち寄り、帰京 (2)6月下旬まで在京の予定 斎藤豊作、坂谷 岐阜市西野町にて留守宅にメモ 1-6
明治35年6月7日 旅行出立につき、費用及び日程の件 熊谷孫六郎   1-7
明治33年~35年6月8日 孫六郎、病気回復/(1)守一帰岐の予定を、すみ子の都合により延期してほしい (2)送金の件 熊谷孫六郎 封筒欠 1-8
明治35年6月9日 美術学校より通知の件/旅行不在中の納金の件 熊谷孫六郎   1-9
明治33年~35年6月11日 金15円送金の件/守一帰岐の件 熊谷孫六郎 封筒欠 1-10
明治35年7月18日 モーセンゴケなど、送付の御礼/田舎より東京へ帰ったこと 斎藤豊作 絵葉書:ピサロの絵 1-11
明治33年~35.夏 武蔵野(故郷)での生活の様子/写真送付の件 斎藤豊作 封筒欠 1-12
明治35年9月15日 守一の父(孫六郎)死亡の御見舞/守一旅行中の経緯について 斎藤豊作   1-13
明治36年7月21日 今月初旬に入谷の下宿に絵の具を取りに行った/(1)僕は転科許可になった (2)試験は百点が10人、落第者はなし 柳敬助 入谷の下宿 1-14
明治36年7月31日 上京の折、訪ねたが帰郷中/(1)8月2日に森岡来訪の予定 (2)9月には傑作を拝見したい (3)橋本は卒業、柳は専科3年に 橋本邦助36年卒業 1-15
明治37年7月14日 箱根山木屋にての近状/「ガランス君」「亀さん」と過ごす 斎藤豊作   1-16
明治38年1月1日 新年を迎え、テニスの毎日 斎藤豊作   1-17
明治38年2月14日 召集、入隊の連絡/2月15日に騎兵第15連隊に 橋本邦助   1-18
明治38年3月5日 入隊後の近状/(1)広島から帰京 (2)関屋外諸兄によろしく 橋本邦助   1-19
明治38年7月13日 7月12日箱根着/ボート、水泳の日課に 斎藤豊作   1-20
明治38年7月23日 6月15日パリ着/パリにての雑感 山下新太郎   1-21
明治38年8月25日 樺太での生活など問い合わせ/パリの山下の近況 斎藤豊作   1-22
明治38年9月13日 パリでの近況/木炭画を始める 山下新太郎 樺太民政署水産部へ回送 1-23
明治38年12月20日 12月4日シンガポール着 (差出人不明) 絵葉書:kampong boyan 1-24
明治38年..30 小生、帰郷後脚気再発、無聊をもてあます/関屋丸の君にあったらよろしく伝えてほしい 村上為俊   1-25
明治39年1月26日 年賀/正月には藤山(本家)に年賀の挨拶に 加地かずへ   1-26
明治39年5月14日 ベレー帽送付の件/(1)三味線は如何 (2)守一、関屋の写真を送れ 斎藤豊作、山下新太郎 宛名:「関谷敬次」も併記 1-27
明治39年5月15日 樺太は如何/先日フォンテンブローへ行った 斎藤豊作 絵葉書:フォンテンブロー 1-28
明治39年5月29日 画学生のパリ生活について/(1)藤島、山下外の近状 (2)絵描き用の微章付帽子を送付 斎藤豊作 文末には「関谷(関屋)兄」とあり 1-29
明治39年7月19日 (絵葉書:文面なし) 斎藤豊作 絵葉書:Fontainebleau 1-30
明治39年8月6日 7月6日Sur la Plage着/(1)毎日、泳ぎの稽古を (2)近日中に山下も来る予定 斎藤豊作 絵葉書:Sur la Plage 1-31
明治39年8月16日 パリやソンムでの生活/(1)日本からの手紙が楽しみ、関屋から来ない (2)山下もソンムに来たが、直ぐパリに帰った 斎藤豊作 封筒欠 1-32
明治39年8月24日 7月22日にcrotoyに遠足 斎藤豊作 絵葉書:crotoyの風景 1-33
明治39年8月28日 海岸で1週間ばかり過ごす/斎藤はまだ海岸に 山下新太郎 絵葉書:Cayeux la Plage 1-34
明治39年9月17日 当地の景色を描く/樺太行きは如何であったか 斎藤豊作 絵葉書:Cise 1-35
明治39年9月18日   斎藤豊作 中身欠 1-36
明治39年10月15日 パリにての近況(すっかり秋景色に)/(1)送った帽子は落手したか (2)近所に住む斎藤の近況 山下新太郎 絵葉書:roll画 1-37
明治39年10月25日 斎藤と君の話をする/手紙を待つ 山下新太郎 絵葉書:シャルダン画 1-38
明治39年10月 パリにての近況(相変わらずコツコツと)/(1)田舎に行った斎藤は1~2週間で帰る予定 (2)関屋の居所をいずれか 山下新太郎 絵葉書 1-39
明治39年11月26日 守一帰京後の樺太近況/守一の俸給・旅費の扱い 林 誠吉 樺太は38~40年まで軍政 1-40
明治39年12月8日 樺太からの絵葉書落手/今は、上野の画室にいることと拝察 山下新太郎 絵葉書:シャルダン画 1-41
明治39年12月18日   中村 隆 文面欠 1-42
明治40年2月1日 年賀 斎藤豊作 絵葉書:モネ画 1-43
明治40年2月11日 年賀/12月26日パリ着、近況 斎藤豊作、山下新太郎 封筒欠 1-44
明治40年2月22日 パリ生活の近況/斎藤も元気にて 山下新太郎 絵葉書:Grand Palais des Champs 1-45
明治40年2月27日 今年の越年で謡と碁を 林 誠吉 絵葉書:記念橋写真 1-46
明治40年4月 春を迎えたパリにて/(1)斎藤はこの夏ロンドンの田舎暮らしを予定 (2)関屋によろしく 山下新太郎 絵葉書:ミレー画 1-47
明治40年7月6日 手紙の御礼/守一の顔に似ている肖像画を送る 山下新太郎 絵葉書 1-48
明治40年7月7日 非公開     1-49
明治40年7月21日 ロンドンへの途中、ルアンに一宿 斎藤豊作 絵葉書:ルアン 1-50
明治40年8月15日 ウェールズでの近況/先日、遠足に 斎藤豊作 絵葉書:kissaing in wales 1-51
明治40年8月15日 ドルゲリーの景色について 斎藤豊作 絵葉書:Barmouth 1-52
明治40年8月18日 ドルゲリー探勝の旅 斎藤豊作 絵葉書:Barmouth 1-53
明治40年8月18日 守一の似顔絵 林 誠吉   1-54
明治40年8月18日 杉山秀雄(元同僚)の似顔絵 林 誠吉   1-55
明治40年 樺太庁の冬/遊猟と鰈突き 林 誠吉 封筒欠 1-56
明治40年.冬 当地産のハエ取り草を紹介 斎藤豊作 (1)絵葉書:賛美歌の譜面 (2)封書にて郵送、封筒欠 1-57
明治41年1月15日 年賀/守一の似顔絵 杉山秀雄   1-58
明治41年1月28日 腰弁をやめ、金を貯めるに至る/(1)年賀への返礼 (2)腰弁をやめ、実業学校へ入学 林 誠吉   1-59
明治41年6月12日 ルアンにて1週間ばかり滞在/ゴチック建築に驚く 山下新太郎 絵葉書:L'Eglise Saint-Maclou 1-60
明治41年8月19日 フランスでの3人の田舎暮らし/(1)宿の庭にて児島が移した写真 (2)関屋からの手紙が来ない 斎藤豊作、山下新太郎、児島虎次郎 絵葉書:宿の庭にて 1-61
明治41年10月25日 秋のサロンに出陳する絵を作成/斎藤は相変わらずまめにて 山下新太郎 絵葉書:ルクセンブルグ公園の絵 1-62
明治42年3月31日 守一の手紙、本日着/(1)山下:夏までパリ、ベルギーとオランダを見物し、秋にはイタリアへ、来年は帰国の予定 (2)斎藤:マンシュの荒海で泳ぐ予定 斎藤豊作、山下新太郎 封筒欠 1-63
明治39年~42年5月29日 模写を送付した/斎藤も風景画をサロンに出品した 山下新太郎 (1)絵葉書:ロダン (2)封書にて郵送、封筒欠 1-64
明治42年6月28日 斎藤の肖像画写真/ロシアのアンナ・バグニッカによる肖像 斎藤豊作 絵葉書:斎藤肖像画の写真 1-65
明治42年6月28日 当地に滞在 斎藤豊作 絵葉書:スペインフィニステレ岬 1-66
明治42年7月10日 宿の前の青海で泳ぐ/(1)仲間の近況(柳は米国から、南は英国から、太田はベルギーから、和田は日本から) (2)写真を始めた 斎藤豊作 絵葉書:林檎畑にて(斎藤撮影) 1-67
明治42年7月19日 来年5,6月頃に帰朝の予定/(1)仲間の近況(米国から来た柳は英国経由で帰朝の予定、斎藤はブルターニュへ、和田三造来着) (2)高村光太郎に守一を紹介した 山下新太郎   1-68
明治42年9月9日 写生と海水浴の毎日/(1)和田がパリから来着 (2)山下は北欧周遊に 斎藤豊作 絵葉書:海水浴の写真 1-69
明治42年9月9日 イタリアへ行く途中にて、当地に滞在 山下新太郎 絵葉書:スイス レマン湖 1-70
明治42年9月15日 自画像の制作中 斎藤豊作 絵葉書:制作中の斎藤の写真 1-71
明治42年10月10日 近村を自転車で尋ねる毎日/仲間の近状(和田はパリへ帰る、山下はイタリアのベニスへ、児島はベルギーのガンの太田の所に) 斎藤豊作 絵葉書:制作中の斎藤の写真 1-72
明治43年1月8日 父が中風のため、急ぎ帰国/岡のいた家は貸すなり売るなりして 柳 敬助   1-73
明治43年4月6日 老父不帰に付弔詞有難く拝承/一両日中に上京し、御礼の予定 柳 敬助   1-74
明治43年4月12日 非公開     1-75
明治43年4月20日 出発の予定(27日新橋発)連絡/(1)写真の御礼 (2)柳は未だ上京せず 橋本邦助   1-76
明治43年5月16日 本日、当地出航し、帰国の途に着く/神戸着は、6月1日 山下新太郎 絵葉書:マルセイユの風景 1-77
明治43年7月25日 熊谷について、3人で語り合ったこと 斎藤豊作、児島虎次郎、喜次郎 絵葉書 1-78
明治43年8月1日 3人でのロッテルダムの旅/斎藤と児島と異性1人 斎藤豊作、児島虎次郎 絵葉書:Volendam 1-79
明治43年8月8日 和田三造の所にて/(1)児島と同居している(橋本邦助) (2)オランダの帰りに和田の所へ来た(斎藤豊作) 和田三造、橋本邦助、斎藤豊作 絵葉書:ラファエル画 1-80
明治43年8月15日 28日京城に着/照子は岐阜に預けてきた 石原すみ子 (1)絵葉書:平壌七星門の写真 (2)「兄上」とあり 1-81
明治43年9月21日 額縁が来たので、絵をお願いしたい 柳 敬助   1-82
明治43年11月6日 御母堂、御愁傷/東京を飛び出して、赤城山にて6日ほど過ごす 柳 敬助   1-83
明治43年12月17日 寒くて、ぶらぶらして送る毎日 橋本邦助 絵葉書 1-84
明治40年~43 文部省の展覧会には是非大作を/レンブラントの絵を見て、きみの自画像を思い出した 山下新太郎 (1)絵葉書 (2)封書にて郵送、封筒欠 1-85
明治44年11月22日 病院を出て、関西から信州路を旅する/また、来月初めに上京の予定、兄も久しぶりに上京し近頃の思いを御示教願う 林 誠吉   1-86
明治43年~44年12月5日 猫を相手に無聊をかこつ毎日/(1)どうだい、山下の昨今は (2)写真機の次は飛行機でも勘考しては 斎藤豊作 (1)封筒欠 (2)山下帰国後の手紙か 1-87
明治44年12月28日 先日は来訪の折、不在にて失礼/30日に来訪を乞う 柳 敬助   1-88
明治45年1月20日 年賀/(1)4月頃帰京の予定 (2)東京の住所を報せてくれ 斎藤豊作 絵葉書:ノートルダム 1-89
明治45年1月21日 昨夜は誠に失礼/23日、永嶋氏が会いたい由 柳 敬助   1-90
明治45年2月2日 油絵小品・肖像画紹介規定/婦人之友社 買物部申込書 婦人之友社 柳 八重   1-91
明治45年2月17日 時候伺い/(1)子ども3人とにぎにぎしく暮らし居り (2)六郎よりは月に1度くらいしか便りなく 石原すみ子   1-92
明治45年5月8日 付知を訪ねて/(1)帰りは諏訪湖に (2)山下の消息 斎藤豊作   1-93
明治45年6月20日 絵を描けるなら見せてくれ/(1)山中の木や花を友としてどんなに気が伸びるだろうか (2)こちらでは、征服の力か超越の勇気が要求される 柳 敬助   1-94
大正1年8月6日 新太郎のところで世話になっている(斎藤)/盛夏を山中にて過ごしていることと存じ上げ候(山下) 斎藤豊作、山下新太郎 絵葉書:箱根神社 1-95
大正3年1月6日 冬ごもりしている君は、絵ができたか/(1)年賀 (2)自然の本当の感動があったなら絵はできるはず 斎藤豊作   1-96
大正3年1月13日 雪景色は面白いだろう、絵はできたか/当地に来て時々写生に出掛ける 斎藤豊作 絵葉書:川奈港 1-97
大正3年3月9日 山中の生活を訪ねたいが、都合がつかない/(1)斎藤や山下と君の噂をしている (2)今夜から奈良へ出掛けるが、21日には兵隊の点呼がある (3)初めて講師となる 柳 敬助   1-98
大正4年1月24日 絵はやらないか、江戸見物の気はないか/(1)結婚した、2~3ヶ月滞在の予定 (2)山下は熱海に行った 斎藤豊作 速見郡柴石は現別府市 1-99
大正4年5月25日 早く上京せよ/(1)石川が神戸からの帰途、君を引き出してくると言っていた (2)和田も帰ってきた、柳は台湾に行っている (3)入院したが、近々全快 斎藤豊作   1-100
大正4年7月26日 22日東京出発、富士山に登る 石川□□、かつ子 絵葉書:浅間神社 1-101
大正4年8月3日 10日ほど前より当地にて避暑/(1)暇があれば御来遊されたし (2)東京宅は麻布区本村町に転居 林 誠吉 風景と顔の絵あり 1-102
大正4年8月8日 当地にて物産共進会開催の案内/六郎君の将来に付、御指導を乞う 石原留吉 絵葉書:物産共進会か 1-103
大正4年11月10日 陛下即位の記念絵葉書にて祝意を表す 熊谷鋭太郎 (1)絵葉書:大禮紀年 (2)「伯父様」とあり 1-104
大正4年.17 明日18日、遊びに来ませんか/入谷町の連中が来ることになっている 柳 敬助   1-105
大正5年3月3日 子どもを見に上京した、2~3日滞在する/その内に行く 斎藤豊作   1-106
大正5年5月18日 非公開     1-107
大正5年5月22日 当地にて滞在中/今月末には帰京の予定 山下新太郎 (1)絵葉書:熱海御用邸 (2)宛先住所から大正5年と推定 1-108
大正5年7月9日 いずれ近日中にお目にかかりたく 山下新太郎 絵葉書:朝鮮 京城 1-109
大正5年8月1日 東北旅行中にて、珍しきもの/明日は十和田で鱒、その後は越後か佐渡へ 信時 潔   1-110
大正5年8月2日 波止場までの散歩にて葉巻を購入 原勝四郎 (1)絵葉書:田辺町 (2)ヂォヴァンニー平太郎 (3)大正5年と推定 1-111
大正5年8月10日 東北旅行中にて、近況/(1)秋田から猪苗代湖畔を経て、東山温泉に泊まる (2)金が心細く、12~3日に帰京 信時 潔   1-112
大正5年8月12日 非公開     1-113
大正5年8月21日 非公開     1-114
大正5年8月21日 古座川では君の好きな筏を流してくる/ヘクソは帰ったか 原勝四郎 (1)絵葉書:熊野 樫野燈台 (2)G.H:ヂォヴァンニー平太郎 1-115
大正5年8月24日 非公開     1-116
大正5年9月4日 非公開     1-117
大正5年10月1日 西向いて飛び出さないとやりきれない/(1)天狗氏、近況いかがか (2)竹村へ便りを出すが、音信不通 原勝四郎   1-118
大正5年12月3日 非公開     1-119
大正5年12月13日 (白紙1枚) 斎藤豊作   1-120
大正6年1月1日 非公開     1-121
大正6年1月1日 121の続き (我が身を嘆く詩) 原勝四郎 宛名:信時 潔も併記 1-122
大正6年1月3日 年賀/関屋によろしく 山下新太郎 絵葉書:錦浦魚見崎の隧道 1-123
大正6年2月2日 肋膜炎少し快方に向かい、当地にて療養/この宿は十数年前、貴兄の記憶にある家なり 塩見 競   1-124
大正6年2月19日 海岸の小高き笹原から海を眺めて認める/モーパッサン、ルソー、ルーヂンを想う 原勝四郎 (1)宛名:信時 潔も併記 (2)絵葉書:湯崎温泉 (3)平太郎 1-125
大正6年3月18日 非公開     1-126
大正6年3月31日 非公開     1-127
大正4年~6 大阪は割合面白い/父は元気、4日頃帰京の予定 信時 潔 (1)絵葉書:鹿の伐角 (2)宛先住所(大塚方)から4~6年、129の前と推定 1-128
大正6年5月16日 転居通知の御礼/3月以来九州地旅行、昨夜帰宅 成瀬澄三郎 絵葉書:京美人 1-129
大正6年5月31日 転居とのこと、近々家見舞に伺いたく/商売多忙にて、御無沙汰 林 誠吉   1-130
大正6年7月26日 17日当地着、絵を描くと牛や蜂に困る/池田や信時外によろしく 関屋敬次 斎藤の手紙(133)から、関屋と推定 1-131
大正6年8月10日 17,8日頃に帰京する予定/(1)斎藤は軽井沢に行っているはず (2)柳は赤城に来る 関屋敬次 斎藤の手紙(133)から、関屋と推定 1-132
大正6年8月17日 暑い東京で何を勘考しているか/関屋は赤城で勉強しているようだ 斎藤豊作 絵葉書 1-133
大正6年   金鈴社事務所 (1)中身欠 (2)封筒に信時(ベルリン)の住所あり(後年にメモ) 1-134
大正7年9月23日 明日北京へ出発、滞在先は北京ホテル/関屋にも宛先の連絡を 斎藤豊作   1-135
大正7年10月 北京見物中/(1)出発前の為替は届いたか (2)来月は朝鮮に 斎藤豊作 絵葉書:北京黄寺の塔 1-136
大正8年6月19日 林町在住中と転居の際の御礼 日置忠兵衛   1-137
大正8年8月22日 非公開     1-138
大正8年8月30日 出品を新聞で見た/近い内に訪問したい 日置みつゑ 子どもか、「おじさん」とあり 1-139
大正8年9月4日 展覧会で、早く兄さんの絵を見たい/14,5日頃上京の予定 熊谷直彦 絵葉書:伊吹山頂 1-140
大正8年9月21日 いつ付知にお帰りですか/(1)豊子さんは東京で勉強、田舎で蚕飼いはつまらない (2)8月に子どもが産まれ、愛三と名付けた(わか子) (3)17になりました(すみ江) 熊谷わか子、すみ江 「伯父様」とあり 1-141
大正8年10月25日 先日の訪問の御礼/(1)家を新築中につき、洋間の額を見立ててほしい (2)院展に出掛ける際、お邪魔する予定 林 誠吉   1-142
大正8年11月7日 君の目の光を大切にしたまえ/約束の嬶の写真を送る 林 誠吉 写真欠 1-143
大正8年12月17日   酒井濬一郎 中身欠 1-144
大正8年 昨夜東京発、本日養老着/1日に二科展を見、友人の野瀬が貴兄の絵を予約する 成瀬澄三郎 絵葉書:養老の滝 1-145
大正9年1月1日 年賀、転居先連絡/3日晩、花札の会にて御光来を願う 大沢為三   1-146
大正9年2月18日 非公開     1-147
大正9年7月4日 保険手続きにて人に頼んだところ、間違いが生じ申し訳なく/保険関係の書類は三浦方へ送る 神田金樹 裏書に「中村卯吉」とあり(メモか) 1-148
大正9年7月3日 斎藤氏の家具競売代金の件/7月5日を6日に変更し、来訪を待つ ジョン・ダブルエ・ホール、高山兼吉 大正9年と推定 1-149
大正9年7月7日   ジョン・ダブルエ・ホール 中身欠 1-150
大正9年7月7日 拝眉を得たく、明日か明後日の来訪を望む 井原良太   1-151
大正9年7月26日 電車で通勤する毎日/油絵の代金の件 林 誠吉 封筒に「madame saito」の住所あり(メモ) 1-152
大正9年8月7日 7月31日に東京を発って碓氷峠に/軽井沢は水が不便、変なものを食べさせてくれる 佐藤しげ   1-153
大正9年8月19日 預かっている荷物を、貴兄よりいつ頃斎藤へ送ってもらえますか 井原良太   1-154
大正9年8月19日 当月初、当地着/どこへ行っても夫婦仲よく天下泰平 原 愛造、秀子 (1)絵葉書:セミクジラ解体 (2)原 秀子:旧姓大江秀子 1-155
大正9年8月30日 東京へ舞い戻りたい/隣の漁夫が毎日魚をくれる 矢倉英太郎跡 原 愛造 (1)絵葉書:潮岬 (2)原 秀子:旧姓大江秀子 1-156
大正9年10月12日 井原の家にある豊作の荷物について/井原宅にお邪魔したが留守に付 斎藤いそ子   1-157
大正9年11月2日 毎日、貸家探しで多忙/(1)例の荷物の送り状とその船名を知らせてほしい (2)関屋によろしく 斎藤豊作 大正9年と推定 1-158
大正9年11月2日 今朝、手紙と荷物の送り状が届いた 斎藤豊作   1-159
大正10年1月1日 年賀 熊谷将良 絵葉書:付知町全景 1-160
大正10年1月1日 年賀 酒井濬一郎 鉛筆画 1-161
大正10年1月29日 この島に来て半月、二人きりで生活/鹿島での生活の様子 原 秀子   1-162
大正10年6月1日 豊作より依頼の金300円送金の件/在フランス斎藤豊作からの依頼にて 斎藤益太郎 益太郎:豊作の兄 1-163
大正10年6月5日 予定の如く芦の湯に来る/福家さんへもよろしく 太田太郎 絵葉書:大涌谷 1-164
大正10年6月18日 非公開     1-165
大正10年.夏.5 南部へ行ったり、田辺に行ったり/(1)海に入ると機嫌がよい (2)愛造と鈴木が鮎400匹をとらえる (3)重雄が写真を始める 原 秀子 (1)大正10年と推定 (2)原 秀子:旧姓大江秀子 1-166
大正10年10月6日 パリは汚いところだ 坂本繁二郎 絵葉書:ルーブル所蔵作品 1-167
大正10年11月22日 非公開     1-168
大正11年2月18日 家も片付いたので、お出でください 原 愛造、秀子 (1)絵葉書:日野郊外四谷付近 (2)原 秀子:旧姓大江秀子 1-169
大正11年5月25日 非公開     1-170
大正11年6月2日 非公開     1-171
大正11年7月12日 豊作より依頼の金300円送金の件/在フランス斎藤豊作からの依頼にて 斎藤益太郎   1-172
大正11年7月28日 おととい南部に着、1週間あまり滞在 大江秀子   1-173
大正11年8月8日 話が片付くのはいつになるか判らない/もうじき上京する予定 大江秀子   1-174
大正11年8月11日 セロ鳴らず、信時7日来た(守一)/7日帰った(信時) 熊谷守一、信時 潔 宛名:大江秀子 1-175
大正11年8月15日 非公開     1-176
大正11年8月18日 気分が悪く出掛けられず、来訪を乞う 大江秀子 大正11年と推定 1-177
大正11年9月25日 ゴリは帰ったか/秋風が精神の中まで吹いて心細い 原勝四郎   1-178
大正11年12月10日 非公開     1-179
大正12年1月1日 年賀(上海にて) (差出人不明) 版画 1-180
大正12年1月2日 年賀 平塚運一 版画 1-181
大正12年1月4日 お尋ねの庚申堂、一時住んでもらえたら/来るなら早いほど有難い 熊谷伊造 守一筆の地図あり 1-182
大正12年2月17日 非公開     1-183
大正12年3月6日 非公開     1-184
大正9年~12年5月7日 元山港にて、和田画伯と会飲(石原)/君の噂を聞き、懐かしい(和田) 石原留吉、和田三造 絵葉書:釈王寺山道 1-185
大正12年5月12日 奥の奥田氏の家と入れ替わってはいかが/はっきりしたことは福家氏から 高橋 均   1-186
大正12年8月2日 休日に青島を遊覧 熊谷鋭太郎 絵葉書:青島ビロー樹 1-187
大正12年8月28日 江見を通して家の事情等の連絡あり/訪問のつもりだが、未だかなわず 田端浪人 田端:住所か 1-188
大正12年12月28日 非公開     1-189
大正13年2月27日 道夫様の手紙にて、お姉様の住所を知る/この休みには広島にも寄って下さる予定 山本かづ江 (1)宛名:熊谷秀子 (2)道夫:大江道夫(秀子の弟)か 1-190
大正13年9月22日 姉の入院、付添に行く/(1)付添で風邪をひく (2)子供服の作り方が出ている雑誌有り (3)川上さんによろしく 佐藤しげ 宛名:熊谷秀子 1-191
大正13年11月23日 道夫さんは東北大学へ行くそうで/(1)野尻利雄と結婚、京都に住む予定 (2)邦やんのお嫁さん決まりました 原見一枝 (1)宛名:熊谷秀子 (2)絵葉書:和歌山六三園 (3)道夫:大江道夫(秀子の弟)か 1-192
大正14年1月24日 新しい家、20円位で貸すそうですが如何/近いうちに伺います 佐藤しげ (1)宛名:熊谷秀子 (2)同封のはずの地図欠 1-193
大正14年3月11日 昨夜東京発、今朝清水市着 佐藤しげ 宛名:秀子も併記 1-194
大正14年5月20日 手紙、子どもの写真と共に受け取った/(1)地震後、田舎から送金させることができなくなった (2)年末までには一度多少なりとも送らせる (3)関屋からの音信がない 斎藤豊作 (1)絵葉書を同封 (2)葉書には「八月」とあり 1-195
大正14年8月5日 豊作より依頼の金400円送金の件/在パリ斎藤豊作からの依頼にて 斎藤益太郎   1-196
大正14年9月11日 都合により当分こちらにいる予定/(1)福家さんから葉書が来たら送ってほしい (2)ヴァイオリンが嫌な音をする 佐藤しげ (1)宛名:なし (2)封筒欠 1-197
大正14年9月18日 ヴァイオリンは送って下さらなくて結構/福家さんの所書も急ぎではない 佐藤しげ 宛名:秀子も併記 1-198
大正14年10月7日 お腹はすっかりいいわけではないが、悪くもない/姉が9月初に帰ったので、私たちもその内に帰る 佐藤しげ 宛名:秀子も併記 1-199
大正14年10月14日 手紙一昨日落手、お子さんは如何/近いうちに用事ながら出ていくつもり 佐藤しげ 宛名:熊谷秀子 1-200
大正14年10月27日 先日、突然訪問したお礼/京都へも遊びに 野尻利雄 (1)絵葉書:保津川 (2)「原見一枝」の夫 1-201
大正14年12月2日 今度京都に住むことになりました/守一夫婦の写真がほしい 原見一枝 (1)宛名:熊谷秀子 (2)野尻利雄との関係から大正14年と推定 1-202
大正15年3月28日 下痢にて通院中/先日、原勝四郎から手紙有り 佐藤しげ 宛名:秀子も併記 1-203
大正15年4月18日 近頃、腹痛やら下痢やら/こんなにも好きな気がするが、出来心か 佐藤しげ 宛名:秀子も併記 1-204
大正15年5月4日 昨日の訪問と指導お願いのお礼/絵が出来次第、持参したい 堀 一恵   1-205
大正15年6月21日 お腹の具合も良くなり、7月の20日頃帰る予定/お伺いしたいが、よければお出かけ下さい 佐藤しげ 宛名:熊谷秀子 1-206
大正15年7月31日 暑中見舞 熊谷伊造 絵葉書:付知停車場 1-207
大正15年8月 残暑見舞 室内社画堂 絵葉書:ミハナジアン作 1-208
大正15年10月6日 二科の画葉書送付のお礼/さらにもう一部と代金の連絡を 熊谷伊造 絵葉書:付知川 1-209
大正3年.17 まだ東京に出してくれそうにない/弟の絵を3枚送る 酒井濬一郎 (1)封筒欠 (2)3枚絵同封のはずが1枚のみ 1-210
大正1年2月16日 また朝鮮に帰りました 酒井濬一郎 (1)封筒欠 (2)弟の絵を同封 1-211
昭和2年1月28日 非公開     1-212
昭和2年1月31日 葉書で、坊さんが悪いこと知りました/見舞に行きたいが、こんなではどうか判りません 佐藤しげ   1-213
昭和2年2月8日 非公開     1-214
昭和2年3月14日 北海道へ旅行、今朝帰宅/貴兄は、たくさん子どもに恵まれ大慶 林 誠吉 大正15年10月長女萬誕生 1-215
昭和2年6月8日 昨日は久しぶりに出歩きました 佐藤しげ 宛名:秀子も併記 1-216
昭和2年7月5日 移転通知 安藤東一郎   1-217
昭和2年10月25日 二科展出品のトウモロコシ、購入したい/(1)向日葵と草人は我が書斎にあり (2)フランス行きを計画中につき、半値にてよろしければ 竹添履信   1-218
昭和2年2月22日 転職、転居の連絡/帝国電灯(株)が東京電灯(株)に合併につき 熊谷六郎   1-219
昭和3年1月2日 年賀 竹添履信 剥がれあり 1-220
昭和3年1月 この間の俳句、「細竹」を「副竹」に訂正を/東京の寒さは如何 山本カズエ (1)宛名:熊谷秀子 (2)「山本かづ江」で前出 1-221
昭和3年4月20日 不動陽童子様供養 牧野彦太郎 2月28日、二男陽、肺炎で急死 1-222
昭和3年4月20日 不動陽童子様供養のこと/文雄の婦の父、昨日死亡 牧野彦太郎 (1)牧野と熊谷の家系図あり (2)飼育愛玩鳥一覧と鳥の絵2枚あり 1-223
昭和3年1月1日 年賀 石井柏亭 絵葉書:イタリア ジェノバ 1-224
昭和4年1月1日 年賀(巳年) 一噌印刷所 一噌連 巳年と宛先住所から昭和4年と推定 1-225
昭和4年10月19日 デッサンを貸してもらう予定だったが中止/(1)室内社から研究所への貸与を希望だったが (2)田村氏のこと、よろしくお伝え願う 安井曽太郎 絵葉書:奈良 大野寺 1-226
昭和4年11月1日 藤井氏宅までお出かけの親切、感謝 安井曽太郎 絵葉書:奈良 薬師寺 1-227
大正13年~昭和5年1月1日 年賀 松山荘平 版画 1-228
大正13年~昭和5年7月27日 8日仙台発、函館小樽を経て、20日札幌着/(1)来月4日頃から樺太に、20日頃仙台に帰る予定 (2)東京にはたぶん出られるだろう (差出人不明) (1)絵葉書:札幌郊外の農場 (2)230の葉書より和田三造か 1-229
大正13年~昭和5年8月12日 仙台で和田を訪ね、札幌を経て登別へ/帰りは秋田を廻る予定 (差出人不明) (1)絵葉書:登別温泉 (2)229より続く 1-230
大正12年~昭和5年8月13日 3,4日前から当地に、昨夜はさよりをすくいに出かける/今日、江尻から手紙を持ってきてくれた 佐藤しげ 宛名:秀子も併記 1-231
昭和5年8月28日 非公開     1-232
昭和5年9月5日 今朝からひどい風雨だったが、夜は静かに/東京も荒れたとか 佐藤しげ (1)宛名:秀子も併記 (2)絵葉書:三保松原 1-233
昭和5年10月13日 三原氏蒐蔵浮世絵版画展案内/第17回二科展覧会招待券 帝国美術院附属美術研究所 入場券1枚、二科展招待券7+2枚 1-234
大正12年~昭和5年12月13日 毎日お邪魔した頃が懐かしい/今は一日おきに神戸へ編み物を習いに 江見あさ 宛名:秀子も併記 1-235
大正12年~昭和5年 4日京都を経て朝鮮に、寒川氏宅で御世話になる/今月末には鹿児島に帰る予定 大江道夫 (1)宛名:熊谷秀子 (2)絵葉書:元山本町赤田橋 1-236
昭和6年1月12日 年賀 小出楢重   1-237
昭和6年5月 大井駅前にて書画骨董も営業/息子、洋画研究につき、よろしく 水野政次郎   1-238
昭和6年6月6日 浅草区聖天町原哲一なる人物について知りたし 熊谷鋭雄 (1)町名と結婚話より昭和6年と推定 (2)原哲一:後に熊谷鋭太郎の妹(初)と結婚 1-239
昭和6年6月14日 今年も、8月中頃に先生宅にお伺いしたい/坊ちゃんに菓子を送った 掛野常夫 のちに「里見常夫」と改姓 1-240
昭和6年6月17日 二科展出品作の譲渡希望/(1)本日、転宅の報に接す (2)掛野氏の指導、滞在を含めてお願い 大野新吉 (1)掛野:のちに里見常夫と改姓 (2)「転宅の報」より昭和6年と推定 1-241
昭和6年6月21日 転居とのこと、新しいアトリエは如何/(1)疹に罹り、その後、体調不調 (2)病気中に雀の子、5羽飼育 江見恒三郎   1-242
昭和6年6月26日 移転の連絡、いただきました/その内にすばらしい絵を描いてお伺いしたい 中尾一枝   1-243
昭和6年6月29日 移転の趣、何かと御多忙と存じ候/奥様によろしく 林 誠吉   1-244
昭和6年6月29日 『大細胞に還れ』第3巻1号送付 中尾一枝 『大細胞に還れ』昭和6年7月発行 1-245
昭和6年7月1日 先日は葉書をありがとう/おぢ様をはじめ子どもたちも元気とのこと 田口 若   1-246
昭和6年7月1日 借用中の貴下の写真を文房堂に送る 松山荘平   1-247
昭和6年7月11日 個人展開催に際し、援助を願う/現在、遣迎院に仮住み 長谷川利行   1-248
昭和6年7月16日 暑中見舞、転居通知のお礼/岐阜には先生の同窓の方も見えるのでお出でを乞う 早川國彦 絵葉書:鵜飼用の鵜 1-249
昭和6年7月17日 移転先の池袋、よいところかと存じます/中野の御自宅にお邪魔できず、残念 染谷良夫   1-250
昭和6年7月19日 御手紙拝見、新居には独立の画室とのこと/(1)揮毫をお願い(福井みつ子氏の桐板など) (2)5,6人の人が絵を求めている 牧野彦太郎 文面は守一夫妻宛 1-251
昭和6年7月20日 本日、大野先生宅で先生の手紙を拝見/(1)8月に大野先生とともに上京の予定 (2)先日、石井柏亭が来岐 里見常夫 (1)元「掛野」姓 (2)大野新吉(好明館):岐中同窓 1-252
昭和6年8月2日 二科展に作品5点を出品/洋画を研究している者にて、よろしくお願いしたい 三田村巻二   1-253
昭和6年8月3日 有島氏と来岐を乞う/(1)先日、石井氏が来岐 (2)里見(掛野)氏と御宅に滞在する予定、先に米を送る 大野新吉   1-254
昭和6年8月4日 暑中見舞/赤ちゃんは誕生しましたか 大江道夫 (1)宛名:秀子も併記 (2)大江道夫:秀子の弟 1-255
昭和6年8月5日 暑中見舞 向井潤吉   1-256
昭和6年8月5日 暑中見舞/二科展にて傑作を期待 青木千里   1-257
昭和6年8月6日 暑中見舞/二科展も間近に 染谷良夫   1-258
昭和6年8月6日 暑中見舞 江見恒三郎   1-259
昭和6年8月7日 暑中見舞 日置 静   1-260
昭和6年8月7日 暑中見舞 高岡徳太郎   1-261
昭和6年8月8日 暑中見舞/千葉にて専心制作 鈴木國威   1-262
昭和6年8月8日 暑中見舞 山口順吉   1-263
昭和6年8月9日 暑中見舞 牛田健太郎   1-264
昭和6年8月9日 暑中見舞 中村恒子   1-265
昭和6年8月10日 暑中見舞 明山太郎 塔ノ山14:守一の前住所 1-266
昭和6年8月10日 昨9日上京、来遊を望む/少々の間、滞京、11日か13日にでも来遊されたし 牧野彦太郎   1-267
昭和6年8月11日 「会報」(6年8月11日)/(1)本年度 特別搬入(松本、園部、横手、山口) (2)特別陳列(オスカル・ココシカ) 二科会   1-268
昭和6年8月11日 暑中見舞 大作 実 「塾生」とあり 1-269
昭和6年8月12日 暑中見舞/15日夜、上京の予定、その前に絵を送る 里見常夫   1-270
昭和6年8月13日 山下氏より御出産のことを知る/(1)越前の安江、加子母の内木、野村と会食の予定 (2)付知銀行、営業停止 牧野彦太郎 宛名:秀子も併記 1-271
昭和6年8月15日 赤ちゃん誕生、おめでとうございます/拝見したいが、急性腹カタルにて謹慎 信時 潔内 7月10日、茜(三女)誕生 1-272
昭和6年8月15日 暑中見舞、格別のお引き立てに預かり 公認目白相互婦人会 宛名:秀子も併記 1-273
昭和6年8月17日 先日の葉書、付知へ転送のため欠礼/昨日、東中野の福井と半沢を訪ねる 牧野彦太郎 宛名:秀子も併記 1-274
昭和6年8月20日 上京して12日目、本問題手が着かず/住所の道順を図解でお願いしたい 牧野彦太郎   1-275
昭和6年8月20日 訃報(父秀三郎)、密葬の連絡 黒田重太郎外1人   1-276
昭和6年8月22日 上京中、滞在の御礼/伊藤氏より手紙が来ても返送は無用にて 里見常夫   1-277
昭和6年8月22日 昨夜、里見が喜んで帰郷/(1)同道の予定であったが、丹毒にて医者通いに (2)「ヒシ」は見当たり次第送る 大野新吉   1-278
昭和6年8月23日 二科展版画葉書は美術工芸会より撮影に参る予定 安井曽太郎 二科会当番 1-279
昭和6年8月24日 残暑見舞 中山 巍 「昭和三年八月」とあり 1-280
昭和6年8月26日 昨日の突然のお邪魔の御礼/(1)付知から、兄夫婦などの写真が来た (2)二科展の招待券がほしい 熊谷敏子 (1)秀子を「姉さん」とあり (2)岩雄、熊雄、重子、春子、かほる姉さん、直彦などの名 1-281
昭和6年8月26日 先般の突然の訪問の御礼/5点出品、よろしくご指導を 水野富三 水野政次郎の息子か 1-282
昭和6年8月26日 御機嫌伺い 高松 茂、マサエ 白秋の詩 1-283
昭和6年8月31日 入選御礼 尾田 龍   1-284
昭和6年9月1日 二科入選の御礼 鈴木國威   1-285
昭和6年9月3日 1日朝東京発、昨夕帰郷/(1)滞京中は2度も寝込み、仕事も進まず (2)そろそろ茸も発生 牧野彦太郎   1-286
昭和6年9月7日 9月の十日会(例会)中止の連絡 二科会   1-287
昭和6年9月8日 新居への訪問のお礼/その折の銀行の話、先生にいらざる心配をかけました 早川國彦   1-288
昭和6年9月11日 二科展へ出品の女の顔、購入したい 田村謹寿   1-289
昭和6年9月11日 11日昼、汽車で希望の「ヒシ」を送る/(1)今夕の汽車で鮎を送る (2)再発の丹毒はよくなった 大野新吉   1-290
昭和6年9月13日 二科会の招待状のお礼/移転連絡 日置 静   1-291
昭和6年9月20日 その後、赤子の容態は如何/先日、熊谷伊造先生は中気気味にて学校を休んだ 熊谷鋭雄 7月10日、茜(三女)誕生 1-292
昭和6年9月22日 二科画集、安値の売絵、あったら購入したい/信時先生にお尋ねしたいことあり 熊谷伊造   1-293
昭和6年10月1日 会報(6年10月1日)/野口弥太郎氏より承諾の電報あり、木下氏と同時に発表する 二科会 封筒欠 1-294
昭和6年10月5日 岐阜で自慢の味噌を送付した/二科展が名古屋へ来ることを聞く 里見常夫 荷札あり 1-295
昭和6年10月8日 大阪二科展での作品展示のお願い/母からは国枝金三氏に依頼 庄司ノブ ノブの母:八枝 1-296
昭和6年10月9日 諏訪へ帰郷、当分は上京の予定立たず/秋深まり、栗や茸が採れる 山岡惣一郎   1-297
昭和6年11月13日 アトリエびらきの会、開催の連絡 東郷青児、宇野千代   1-298
昭和6年12月30日 年賀 下山金一郎 絵葉書:神社鳥居と鶏の写真 1-299
昭和7年1月30日 台北にいるが、君の親類達には会わない/2月末までに帰京する、安部によろしく 有島生馬 (1)絵葉書:ヤミ族陳列品 (2)「五月の陽が青葉に...」とあり 1-300
昭和7年2月8日 ハワイ到着の連絡/出発に際し駅までの見送りの御礼 国森重蔵 絵葉書:NYKライン 龍田丸 1-301
昭和7年4月5日 熊谷茜 種痘通知書 北豊島郡西巣鴨町役場 熊谷茜 昭和6年7月10日生とあり 1-302
昭和7年4月7日 非公開     1-303
昭和7年4月24日 亡陽様御逝去直後の絵を返送/和歌山県育ちの奥様には付知の漬物は無理か 牧野彦太郎 (1)宛名:秀子も併記 (2)封筒欠 1-304
昭和7年4月28日 黒皮、唐辛子、蕪漬外送付/名古屋の弟の子どもと彦太郎の画像依頼 牧野彦太郎 宛名:秀子も併記 1-305
昭和7年5月17日 例によって子どもの図画の評価をお願いしたい/信時先生はいかがか 熊谷伊造 「御願」 1-306
昭和7年6月10日 神戸の「現代画家素描選集」展覧会にて、作品拝見/(1)川上氏とも長らく音信不通 (2)先日、木曽川へ行く、犬山にて一泊 (3)描きための作品があったらお譲りいただきたく 江見恒三郎   1-307
昭和7年6月25日 重雄さん、近頃絵を描き、二科へ出すかも/(1)画の代、百円郵便為替で同封した (2)静枝も達者にて 大江邦樹   1-308
昭和7年7月14日 今秋二科展へ1点送付、何分よろしく 国吉康雄 絵葉書:ウッドストック 1-309
昭和7年7月23日 幾年かぶりに、御尊顔拝見/明日は両国の河開きにて、お出かけ下さい 原 哲一、初子 「叔父様」とあり 1-310
昭和7年7月24日 絵を東郷宛至急お送り下さい/(1)中ノ島研究所の夏季講習会を済ませ、上旬に帰る (2)8月の十日会には出席 東郷青児   1-311
大正7年7月24日 お帰りを女二人で待ってます/「寝しなにはチト絵のことも気にかかり」外10句 熊谷秀子(信時潔) 内容から秀子と推定 1-312
昭和7年7月25日 暑中見舞 野尻貞一   1-313
昭和7年7月27日 二科展出品の内、会心の作あれば拝見したい/約束の「女の顔」の代わりに購入を 田村謹寿   1-314
昭和7年7月27日 暑中見舞 青木四一 青木千里との関係ありか 1-315
昭和7年7月27日 暑中見舞 向井潤吉   1-316
昭和7年7月27日 病気続きでお気の毒にて/信時氏退官は残念 江見恒三郎   1-317
昭和7年7月28日 暑中見舞 内田俊治   1-318
昭和7年7月29日 暑中見舞 一噌印刷所 一噌連   1-319
昭和7年7月30日 結構な扇子を頂き、家内も喜んでおります/お子さまの病気は如何か 颯田琴次   1-320
昭和7年7月31日 暑中見舞 山崎秋信 海の絵 1-321
昭和7年8月1日 御手紙拝見、病人の容態は如何/「女の顔」の代わりは急ぐわけではない 田村謹寿   1-322
昭和7年8月1日 暑中見舞 椎塚猪知雄   1-323
昭和7年8月1日 暑中見舞 大江道夫   1-324
昭和7年8月2日 暑中見舞 青木千里   1-325
昭和7年8月2日 暑中見舞 田口 若   1-326
昭和7年8月3日 暑中見舞 多島三郎   1-327
昭和7年8月3日 暑中見舞、病人の容態は如何 江見恒三郎 宛名:秀子も併記 1-328
昭和7年8月4日 暑中見舞/モデル紹介 クラブドリアン   1-329
昭和7年8月4日 暑中見舞 日能製版印刷所   1-330
昭和7年8月4日 暑中見舞 高岡徳太郎   1-331
昭和7年8月5日 暑中見舞/休暇にて故郷台北に 松本 貞 絵葉書:台湾水牛 1-332
昭和7年8月6日 7月29日靖国丸にて無事帰朝 高橋卯八 絵葉書:「落ち穂拾い」ミレー画 1-333
昭和7年8月6日 茜の容態について/(1)発熱があるが腎盂のものか不明 (2)心配なら交代を 熊谷秀子   1-334
昭和7年8月7日 近々里見がお邪魔いたします/あつらえたい子どもの好物をお知らせ下さい 大野新吉   1-335
昭和7年8月7日 今夏、樺太の奥幌内川へ写生に行った/土人部落にはトナカイなどおり異郷の感じ 早川國彦 絵葉書:海豹島オットセイの群 1-336
昭和7年8月8日 赤ちゃん入院とか、御見舞申し上げます 原 哲一、初子 「叔父様」とあり 1-337
昭和7年8月8日 暑中見舞 高松 茂、マサエ   1-338
昭和7年8月13日 暑中見舞、制作時にご用命を 南郊モデル協会   1-339
昭和7年8月15日 学校と商売、春以来忙しく前途遼遠/秋代の病気長引き、出産も遅れている 大江道夫 (1)宛名:熊谷秀子 (2)秋代:妻か 1-340
昭和7年8月16日 二科展出品の絵3枚完成/茜さんは如何、私と祥一は元気です 中尾一枝 祥一:子ども 1-341
昭和7年8月18日 茜ちゃんお帰りになりにぎやかなことと推察 安部小澄 (1)宛名:熊谷秀子 (2)「腎盂炎」とあり 1-342
昭和7年8月18日 行き違いになり残念 明山ハル江 (1)宛名:熊谷秀子 (2)絵葉書:塩釜の清流 (3)明山太郎の妻か 1-343
昭和7年8月18日 信時氏に誉められサダメの画送る/8月7日、40何年ぶりに生まれた村へ出掛ける 江見恒三郎 差出、宛先住所から昭和7年と推定 1-344
昭和7年8月20日 残暑見舞 下山金一郎 絵葉書:樹に蝉の写真 1-345
昭和7年8月24日 暑中見舞、二科展には出品の予定 渋谷良夫   1-346
昭和7年8月25日 先般の訪問、ご指導の御礼 水野富三   1-347
昭和7年9月5日 「御礼」(名刺) 颯田琴次 (1)宛先住所と他の颯田の書簡から昭和7年と推定 (2)本郷:消印 1-348
昭和7年9月8日 ノブ子再入選の御礼/(1)関西展への仲間入りを望む (2)国枝、鍋井、黒田を知っている 庄司八枝 ノブ(子)の母 1-349
昭和7年9月8日 ノブ子の紹介状を御願いしたい/紹介先:国枝金三、鍋井克之、黒田重太郎 庄司八枝   1-350
昭和7年9月16日 付知の「葉もち」を送付/(1)中津の大山津波に続いて付知等の山林崩壊 (2)井深正眼寺の小南帷頼元師は胃病にて小坂で湯治中 牧野彦太郎 (1)宛名:秀子も併記 (2)封筒欠 1-351
昭和7年9月20日 転居通知 高岡徳太郎   1-352
昭和7年9月24日 アスヒルカイジョニキテクレ(明日昼会場に来てくれ) フ:二科会か 1-353
昭和7年9月 神戸発、瀬戸内・九州・四国の旅 江見恒三郎 (1)絵葉書:厳島神社 (2)宛先住所から昭和7年と推定 1-354
昭和7年10月3日 二科会の記事を拝見/(1)名古屋にて仏像を造って生活 (2)また二科画集を頂きたい 熊谷朋助   1-355
昭和7年10月8日 山口県に行くことになり、ひとまず上京/赤ちゃんは如何 中尾一枝   1-356
昭和7年10月11日 ナツムメ少々送付、末の子の経過如何か/(1)藤山の兄、町長になる (2)熊谷伊造氏の妻ミツ様、突然亡くなる 熊谷鋭雄   1-357
昭和7年11月15日 亡父透十七回忌記念画帳への色紙執筆の依頼 岩村 博   1-358
昭和7年11月16日 恵那中学十周年記念に守一、青邨、芳翠の画を展示/(1)中津警察署長に絵寄贈を依頼 (2)昨日の暴風雨は前代未聞 牧野彦太郎 宛名:秀子も併記 1-359
昭和7年12月2日 クリスマス特別料理のお知らせ 九里四郎   1-360
昭和7年12月4日 展覧会出品作品の催促 松坂屋   1-361
昭和7年12月9日 現代美術総合展覧会(案)/出品作品の催促 松坂屋   1-362
昭和7年12月12日 赤ちゃんの病気如何/(1)家の金300円送付 (2)重雄さん、二科出品をめざすも完成せず 大江邦樹 (1)宛名:熊谷秀子 (2)封筒欠 (3)茜入院に関わってか、内容から7年と推定 (4)重雄:鈴木重雄か 1-363
昭和7年12月13日 赤ちゃん再入院の御見舞、原より聞く/(1)絵が描けず、自分を描く (2)展覧会観覧の御礼 鈴木國威   1-364
昭和7年12月14日 茜の容態について/いつ亡くなるか判らないのでそのつもりで 熊谷 茜 (1)宛名:熊谷秀子 (2)守一筆 (3)14日茜病死 1-365
昭和7年12月18日 帰郷を前に、赤ちゃん御見舞/20日頃帰るため、もうお目にかかれず 佐藤しげ 宛名:秀子も併記 1-366
昭和7年12月18日 (茜死亡につき)誠に残念/奥様によろしく 颯田琴次   1-367
昭和7年12月23日 山下氏への御紹介感謝/山下氏の鑑定は「大したものに非ず」とのこと 林 誠吉   1-368
昭和7年12月24日 歳暮見舞/(1)お子さま御逝去の御悔やみ (2)信時先生の住所お尋ね 熊谷伊造   1-369
昭和7年12月24日 喪中につき、年末年始欠礼 高岡徳太郎   1-370
昭和6年~7 松本貞紹介状/只今女子美術2年に在学 岡島吉郎 封筒欠、本人が持参か 1-371
昭和6年~7 奥様留守に付、即席のもの御届け/山野草日本画下さり、厚く御礼 馬渕美意子 (1)郵送にあらず (2)宛先住所から昭和6年~7年と推定 (3)「奥様留守」は茜出産か入院時と推定 1-372
昭和~7 (回答) プレイガイド編集部 徳永 (1)宛名:なし (2)往信用葉書欠 (3)「はかき」から7年まで 1-373
昭和7年 病気見舞 安部小澄 (1)宛名:熊谷秀子 (2)封筒欠 (3)内容から茜の病気見舞と推定、したがって昭和7年 1-374
昭和8年1月1日 年賀 櫛田利雄   1-375
昭和8年1月1日 年賀 下山金一郎 (1)絵葉書:鶴と海岸 (2)「写真・美術品専門」とあり 1-376
昭和8年2月17日 荷物配達についての連絡/米ツキ米1個 大江殿より 目白駅貨物掛   1-377
昭和8年4月10日 第8回国画会展覧会招待状/バーナード・リーチの回顧特別陳列あり 國画会 (1)梅原龍三郎外14名の名前あり (2)招待券を含む (3)封筒欠 1-378
昭和8年4月28日   江見恒三郎 (1)中身欠 (2)表書きに「農産物種子」とあり 1-379
昭和8年5月13日 (有島生馬の葉書)京城より今月中過ぎ、広島経由で帰京の予定/広島県知事が世話してくれるそうなので来遊されたし 有島信子 (1)中に絵葉書:朝鮮ホテル玄関 (2)信子:有島生馬の妻 1-380
昭和8年5月18日 25日頃まで京城にいる様子/また朝鮮から手紙を差し出す由 有島信子 信子:有島生馬の母 1-381
昭和8年5月21日 この夏、皆で出てきませんか/里見連中のプラタナス会展の作品送るので見てほしい由 大野新吉   1-382
昭和8年5月28日 御快諾を得たので、絵は神戸市昭花堂土井軍治商店宛に送付を/(1)夜行での往復、さぞお疲れと申し訳なく (2)お送りの絵画の内、譲ってもよいものには印を 江見恒三郎   1-383
昭和8年5月31日 先日は楽しくお供をさせていただき/作品は湯沢さんと相談の上、取りはからう由 神田周三   1-384
昭和8年6月3日 神田画伯の斡旋にて茄子の絵50円で売却 湯沢三千男   1-385
昭和8年6月8日 茄子の絵売却の件/広島県知事にも己斐風景を売る 神田周三   1-386
昭和8年6月8日 神戸での展覧会に向け作品送付依頼/出来るだけ作品を集めたく、送付をお待ちしております 江見恒三郎   1-387
昭和8年6月8日 その内、板を送るので「座猟荘」の揮毫お願い致し度/大泉氏の門札も合わせて送る 牧野彦太郎   1-388
昭和8年6月11日 売る絵にはスケッチ板大で100円ほどの値を/(1)一昨日、奥さんから女房宛の手紙を頂く (2)残った絵で友人が懇望したら特別安くお願いしたい 江見恒三郎   1-389
昭和8年6月12日 約束の純白花松虫草を送付/日本に2株の内、一つは三好博士宅に、もう一つは亡児様達の御霊前に 牧野彦太郎 宛名:秀子も併記 1-390
昭和8年~.6月12日 (表:アンドレ・メール絵画展覧会) 青樹社 中身欠 1-391
昭和8年6月17日 お宅で頂いたインゲン豆、4~5日前から摘む/10日ほど前、ホオジロ1羽採る、慣れたら送る 江見恒三郎   1-392
昭和8年6月24日 展覧会のための絵、至急送付を/展覧会のことを発表したため、好画家よりの問い合わせあり 江見恒三郎   1-393
昭和8年6月24日 当地にて御揮毫の洋画、当方にお譲り願いたく、金200円を同封/湯沢知事よりの紹介にて 柏四郎九   1-394
昭和8年6月30日 萬様、退院後の経過は如何か/千葉県市川町に家族だけ別居 桂川正三   1-395
昭和8年6月 十日会お知らせ/今秋の展覧会、番衆技塾の件に付相談 二科会   1-396
昭和8年7月6日 自筆の画はがき、有難く/夫人作の小鳥の絵、牧野氏より借り、応接室に飾る 藤原 貞 絵葉書:恵那峡 1-397
昭和8年7月22日 忙しさのため京都の8週間を浪費/(1)8月までに帰る予定が、秋になりそうに (2)涼を求めて比叡山に 真渕美意子 (1)宛名:秀子も併記 (2)絵葉書:比叡山延暦寺 (3)真渕:馬渕美意子と同一人物 1-398
昭和8年7月23日 暑中見舞/今度の家を見がてら、一度お邪魔したい 大野新吉   1-399
昭和8年7月23日 暑中見舞 小島大輔   1-400
昭和8年7月25日 暑中見舞/御用命を乞う 目白相互婦人会 会長大澤英子   1-401
昭和8年7月25日 暑中見舞 中山 巍   1-402
昭和8年7月27日 1枚売れたのでとりあえず100円送る/(1)不景気故、80円の札を付ける (2)私に横の裸、非売ながら頂けないか 江見恒三郎   1-403
昭和8年7月27日 貴君の近影拝見/幼児の君を想い、近時の動静を知りたい 菅野□雄   1-404
昭和8年7月27日 アケビなど4種のうち、何が御入用か、連絡を乞う/しょうがまし、白口藤、えび、アケビの4種 牧野彦太郎 宛名:秀子も併記 1-405
昭和8年7月27日 来月の第三土曜日に出発、里見とともに御世話になりたい/昨夜里見氏が来ました、3~4枚描けたようです 大野新吉   1-406
昭和8年7月27日 暑中見舞 高岡徳太郎   1-407
昭和8年8月1日 暑中見舞 美術工芸会 絵葉書:「晨潮」佐竹徳次郎筆 1-408
昭和8年8月5日 暑中見舞/7月下旬から佐渡島へ渡り島中探訪 早川國彦 絵葉書:佐渡の景色 1-409
昭和8年8月7日 暑中見舞 向井潤吉   1-410
昭和8年8月7日 暑中見舞 下山金一郎 (1)絵葉書:真桑瓜と虫 (2)「美術写真専門」とあり 1-411
昭和8年8月8日 中房温泉に弟と居る、いよいよ山に登る 高橋達郎 絵葉書:槍ヶ岳 1-412
昭和8年8月9日 暑中見舞/今月19日頃お邪魔する予定 里見常夫   1-413
昭和8年8月14日 暑中見舞、転居通知 熊谷鋭太郎 絵葉書:製鉄所(軌条工場) 1-414
昭和8年8月19日 先日の広島来遊の御礼/茄子と麦の絵を二科展に送付 神田英子   1-415
昭和8年8月19日 家内の絵についてのお願い/湯沢知事購入の絵の件は如何に 神田周三   1-416
昭和8年8月20日 19日夕、里見君出発、御指導をよろしく/自分は来客のため、上京できず 大野新吉   1-417
昭和8年8月22日 展覧会出品のため上京、一度訪問いたしたく/里見君が来たら、私の住所を伝えてほしい 早川國彦 (1)宛名:秀子も併記 (2)絵葉書:木曽川 1-418
昭和8年8月24日 二科展間近、心にかなう絵が出来たら連絡を/ムッソリーニの絵も気が向いたら是非 田村謹寿   1-419
昭和8年8月26日 里見君帰郷、指導を受け奮発の由/大きな裸体画が出来たそうだが予約させてほしい 大野新吉   1-420
昭和8年8月27日 犬吠岬に来ています 由井覚郎 絵葉書:千騎岩 1-421
昭和8年8月27日 京都に今しばらく滞在/今年の二科展は倉田も私も出品せず 倉田美意子 (庫田)   1-422
昭和8年8月27日 先日の上京の御礼/軽井沢経由で帰郷した、鈴木氏にもよろしく 里見常夫   1-423
昭和8年8月29日 暑中見舞/先日は留守中に参上 染谷良夫   1-424
昭和8年8月31日 茄子の絵を拾っていただき、大変有難く 神田英子 二科展に選出されたことを指すか 1-425
昭和8年8月31日 茄子の絵を拾って頂けたことへの感謝/29日夜、湯沢さんの所で噂をし偲んだところ 神田周三   1-426
昭和8年9月2日 君の大作予約、よろしく/(1)二科展に岐阜の伊佐治が入選、未知の人にて驚いている (2)落選の里見氏の評価、漏らしてほしい (3)また、彼の東京での奉職口を世話してもらえないか 大野新吉   1-427
昭和8年9月8日 鮎を送付、念のため連絡 大野新吉   1-428
昭和8年9月11日 訃報(古賀春江死去) 古賀好江 古賀春江:二科展会員 1-429
昭和8年9月12日 二科展出品作を手に入れたい/里見氏の絵については、今なお研究すべしと伝えた 大野新吉   1-430
昭和8年9月12日 椎茸榾木、熊谷守一氏宅へ発送依頼/熊谷氏は二科会の領袖にして、小生と同郷 牧野彦太郎 (1)宛名:秋田 (2)封筒欠、複写 1-431
昭和8年9月12日 つくばね送付、梅酢への漬け込み方について/派出所設置の件、一ヶ所では不便にて 牧野彦太郎 (1)宛名:熊谷秀子 (2)封筒欠 1-432
昭和8年9月15日 会葬御礼(古賀春江告別式) 古賀好江   1-433
昭和8年9月16日 妹(初)が出産のため、母が付知から上京の予定 熊谷鋭太郎 (1)絵葉書:八幡市中央区 (2)妹の初:原 初子(浅草区金龍山) 1-434
昭和8年9月23日 25号の裸体画、未完成は惜しい/ムッソリーニの肖像、小品にてお願いしたい 田村謹寿   1-435
昭和8年9月23日 岩茸送付、調理法について説明/秋田氏より椎茸の榾木を送ったとのこと 牧野彦太郎   1-436
昭和8年10月18日 会報(9月4日総会決議事項)/古賀春江氏死去、名古屋・大阪二科展について 二科会   1-437
昭和8年10月18日 名古屋二科展の感想/(1)酒井氏の「茂作の家族」、情緒があり欲しかった (2)例年の通り松茸を送る 大野新吉 名古屋二科展:鶴舞公園美術館 9~19日 1-438
昭和8年10月26日 御揮毫の書画寄贈の依頼/第8回歳末同情週間開催に当たり 朝日新聞社会事業団   1-439
昭和8年10月28日 古賀氏への贈呈作品、送付のお願い 二科会 古賀氏:古賀春江氏の遺族か 1-440
昭和8年11月3日 月例十日会開催案内/番衆技塾打ち合わせ、塾生作品月例持寄合評会の開催 二科会   1-441
昭和8年11月4日   『週刊朝日』編集部 中身欠 1-442
昭和8年11月13日 紀州へ送る絵の件、4~50円儲かるかも/最近の生活の様子と体の調子について 江見恒三郎 2通入っているか 1-443
昭和8年11月19日 非公開     1-444
昭和8年11月20日 配達扱荷物に対する照会 池袋駅長   1-445
昭和8年~.11 田坂乾リトグラフ作品展開催/11月20日から24日まで 青樹社画廊、田坂 乾   1-446
昭和8年12月14日 新春会員会友懇親会案内/1月10日雨月荘(下谷池之端) 二科会   1-447
昭和8年12月15日 昨日お邪魔の御礼/色紙のお願い 明山春江   1-448
昭和8年12月18日 十週年記念号 年賀掲載のお願い 文芸時報社『芸術新聞』   1-449
昭和8年12月18日 喪中につき、年末年始欠礼 鈴木鶴吉、保徳   1-450
昭和8年12月20日 コンクール茶話会開催通知/競技作品の審査、講評茶話会の開催 番衆技塾   1-451
昭和8年12月29日   求龍堂画廊 中身欠 1-452
昭和8年12月31日 年賀 下山金一郎 (1)絵葉書:犬の写真 (2)「美術写真専門」 1-453
昭和8年12月 喪中につき、年末年始欠礼 古賀好江   1-454
昭和8年..21 上京の際の御礼/(1)高橋細渓氏、10号のものを希望 (2)仁保の風景画、赤十字より送金させる 江見恒三郎 絵葉書:厳島神社 1-455
昭和8年 (文面なし) 熊谷守一 (1)宛名:広島県知事 湯澤三千男 (2)絵葉書:二科展「裸」 (3)作品より昭和8年と推定 (4)湯沢:広島県知事7年6月~10年1月 1-456
昭和8年~   文部省専門学務局学芸課 (1)中身欠 (2)宛先住所から8年以降と推定 1-457
昭和8年~   (差出人不明) (1)中身欠 (2)宛先住所から8年以降と推定 1-458
昭和8年~ 土岐薫氏蒐集初期洋画展覧会 青樹社 (1)中身欠 (2)宛先住所から8年以降と推定 1-459
昭和8年~ 飯田實雄近作洋画個展開催/アモレ画廊にて 飯田實雄 宛先住所から8年以降と推定 1-460
昭和8年~   童林社 (1)中身欠 (2)宛先住所から8年以降と推定 1-461
昭和8年~   烏同人事務所 谷澤一郎 (1)中身欠 (2)宛先住所から8年以降と推定 1-462
昭和8年~   鳩居堂 (1)中身欠 (2)宛先住所から8年以降と推定 1-463
昭和8年~ (表:故山本芳翠先生素描、小品展覧会) 青樹社 (1)中身欠 (2)宛先住所から8年以降と推定 1-464
昭和9年1月1日 新年に付知情緒を伝える橡餅等を送る/早川次郎君が頂いた油絵は、兄利一君が上海に持参 牧野彦太郎 荷物とともに送る 1-465
昭和9年1月1日 年賀 野間仁根 絵葉書:二科展出品「睡れる旅人」野間仁根画 1-466
昭和9年1月4日 広島の湯沢知事が上京中/湯沢知事と佐藤功一博士が一会を希望、7日は如何か 小杉放庵   1-467
昭和9年1月6日 明日の会場について、佐藤博士から連絡なし/私の家に寄ってもらうのが安全か 小杉放庵 絵葉書:高梨村佛田棚 1-468
昭和9年1月7日 四ジマデニキテクレ 小杉放庵   1-469
昭和9年1月8日 訃報(母ふじ死亡) 石井柏亭、貞次、鶴三   1-470
昭和9年1月9日 その節は「初」を通じ、名画を頂き有難く/内地転勤の前に是非上海へお越しを乞う 早川次郎、頼子   1-471
昭和9年1月14日 寒中見舞/皇子御降誕の奉祝歌の件、信時先生によろしく 熊谷伊造   1-472
昭和9年1月 第15回各科生徒の習作展覧会案内 日本美術学校学友会   1-473
昭和9年2月1日 あなたの動悸もだんだん悪くなるそうでお大事に 大江素子 宛名:熊谷秀子 1-474
昭和9年2月1日 石井氏の貴姿の下絵、送付有難く/信時氏、川上氏宅、お元気ですか 江見恒三郎 サダメ:娘の名 1-475
昭和9年2月4日 「貴下の御健康法」について、お尋ね 美術発行所   1-476
昭和9年2月4日 有島生馬氏御母堂逝去につき、告別式案内 二科会 有島生馬の母:信子(前出) 1-477
昭和9年2月8日 先月14日から来て、毎日海を見ている(牧田)/5日に当地着、今月中当地の風景を描くつもり(久野) 牧田正雄、久野昌康   1-478
昭和9年2月8日 2月例会通知/京都市美術館主催総合展覧会の件 二科会   1-479
昭和9年2月10日 洋画家の日本画小品展開催に当たり参加依頼/日本画小品展開催趣意書 『雲雀』発行 反響社   1-480
昭和9年2月10日 小品展開催についての懇談会案内 反響社 内容より「反響社」と推定 1-481
昭和9年2月12日 年賀 南郊モデル協会 絵葉書:華厳縁起 1-482
昭和9年2月18日 昨年中止の裸婦、是非完成を/安井氏の近作小品の周旋をお願いしたい 田村謹寿 安井:安井曽太郎 1-483
昭和9年2月22日   大禮会記念京都美術館 評議員一同 中身欠 1-484
昭和9年2月23日 転居通知 林 誠吉   1-485
昭和9年2月27日 番衆技塾展覧会案内/第1回塾展 4月1日から5日まで、神田東京堂画廊 番衆技塾塾生一同   1-486
昭和9年2月28日 ムッソリーニの写真送付/安井氏の10号以内の佳作、御世話願いたい 田村謹寿   1-487
昭和9年2月 村井正誠氏個展案内/2月10日から12日まで、紀伊国屋ギャラリー 紀伊国屋書店美術部 絵葉書:村井画 1-488
昭和9年2月 画廊新設案内 本町画廊   1-489
昭和9年3月1日 緊急協議案内 二科会   1-490
昭和9年3月3日 画集作成中、お弟子様にお話し下さいますよう 古賀好江 画集:古賀春江のものか 1-491
昭和9年3月13日 曽宮一念氏、会員辞退の報告 二科会   1-492
昭和9年3月15日 在京会員会友の懇親会開催案内/3月18日 二科会事務所 二科会   1-493
昭和9年3月17日 近代美術館建設発起人会開催案内/3月26日 上野公園精養軒 垣見泰山、岩佐 新、藤本韶三   1-494
昭和9年3月22日 新油絵展第2回開催案内/3月24日から28日まで、銀座資生堂 伊藤久三郎外10人   1-495
昭和9年3月 駿河台洋画研究所制作展覧会開催/3月1日から3日まで、研究所内にて、指導者:有島、藤田、東郷、野間 駿河台洋画研究所 宛先住所と「郵便はかき」から9年と推定 1-496
昭和9年3月 第4回独立美術協会展覧会開催案内/3月20日から、東京府美術館にて 独立美術協会 伊藤廉外14名 1-497
昭和9年4月6日 先日、藤井君にも貴殿にお願いした件、話しました/(1)安井氏の作品、御世話をよろしく (2)約束のムッソリーニ、25号は気が向いたら是非 田村謹寿   1-498
昭和9年4月9日 葉書拝見、萬ちゃんは長く入院ですか/私たちは12日に帰る予定 佐藤しげ 萬入院:中耳炎 1-499
昭和9年4月10日   弁護士 原 玉重 中身欠 1-500
昭和9年4月10日 手紙拝見、お子さまの入院、大切に/失礼ながら、入用ならば、前金として用立ていたしたく 田村謹寿   1-501
昭和9年4月11日 教え子で音楽学校師範科の「北原雄一」、訪問を希望/私は3月限りで学校を退職 熊谷伊造   1-502
昭和9年4月13日 美術展覧会出品目録/5月1日から25日まで 大禮記念京都美術館美術展覧会事務所 第13室 熊谷守一 「裸」 200円 1-503
昭和9年4月15日 出品運送に関して/東京府立美術館内に本会臨時事務所を設置 大禮記念京都美術館美術展覧会事務所   1-504
昭和9年4月17日 古本買い受け 柏林社書店   1-505
昭和9年4月17日 そちらへ見に行ってもいいですか/出品目録、こちらへ貰わなくてもいいですか 熊谷秀子   1-506
昭和9年4月17日 萬ちゃん、早く颯田氏に診て頂けたらよかったのに/同封の金、少しですが御茶代の足しに 江見恒三郎 颯田:颯田琴次 1-507
昭和9年4月18日 関西在住会員の上京を期して集合/4月25日 事務所 二科会   1-508
昭和9年4月19日 勤務通知 林 一郎   1-509
昭和9年4月20日 手紙拝見、手術無事に終わり結構/17日に千駄ヶ谷を引き揚げ、こちらに帰る 佐藤しげ   1-510
昭和9年4月22日 萬ちゃんはその後如何か、お大事に アベハツキ 宛名:熊谷 萬 1-511
昭和9年4月27日   大禮記念京都美術館美術展覧会長 京都市長 大森吉五郎 中身欠 1-512
昭和9年4月29日   池田勇八 中身欠 1-513
昭和9年4月29日 貴出品、本会事務所に到着 大禮記念京都美術館美術展覧会事務所   1-514
昭和9年4月30日   遠山陽子 中身欠 1-515
昭和9年4月 4月25日会議内容の報告/(1)会友、会員への推薦について (2)海老原喜之助氏、会友に推挙 二科会   1-516
昭和9年5月1日   大禮記念京都美術館美術展覧会事務所 中身欠 1-517
昭和9年5月2日 来る8日頃より開花につき、御案内 吉祥寺牡丹園 絵葉書:牡丹園 1-518
昭和9年5月2日 葉書拝見、萬様中耳炎にて入院の趣、御見舞/(1)2月26日上京するも、喘息のため訪問叶わず (2)来る18日頃上京、 牧野彦太郎   1-519
昭和9年5月3日 展覧会開催の案内/5月1日から7日まで、神田東京堂 1940年美術協会   1-520
昭和9年5月5日 訃報(父片多徳郎死去) 片多草吉外4人   1-521
昭和9年5月7日 榊屋洋画材料店の開店案内 榊屋洋画材料店 木戸重義   1-522
昭和9年5月12日 13日上京、暇を見計らい御見舞に/タラの芽、蕨を送付 牧野彦太郎 (1)宛名:秀子も併記 (2)封筒欠 1-523
昭和9年5月16日 先日、インゲン豆の種を誂えた初より受け取る 熊谷鋭雄 初:原初子(鋭雄の子) 1-524
昭和9年5月19日 ご令嬢、その後の容態は如何か 大谷幸一   1-525
昭和9年5月27日 非公開     1-526
昭和9年5月28日 29日は大掃除のため、塾を休みにする 安部治郎吉   1-527
昭和9年5月28日 今秋展覧会出品点数について/出品点数、会員、会友特待は3点以内のこと 二科会 昨秋総会の決議による 1-528
昭和9年5月28日 お嬢様、その後如何か/学校の口がある由にて急いで帰ったが、暫く待つことに 山岡興平   1-529
昭和9年5月30日 有島さんから小屋を貰い、改築して移転 中尾一枝   1-530
昭和9年5月31日 移転通知 平林襄二   1-531
昭和9年5月13日 安井氏の絵、25号の裸体、ムッソリーニ、お願いいたしたく/先日の件、いつでも遠慮なく藤井君にでも 田村謹寿   1-532
昭和9年6月2日   近代美術館建設期成会 正木直彦 中身欠 1-533
昭和9年6月7日 会員、会友の集い開催通知/10日 事務所 二科会   1-534
昭和9年6月8日 モデル斡旋開業案内 MA倶楽部   1-535
昭和9年6月11日 その後、萬ちゃんは如何か/帰って1ヶ月ほどで母が亡くなった 佐藤しげ 宛名:秀子も併記 1-536
昭和9年6月20日 25号裸婦、ムッソリーニの絵、安井氏の件、よろしく/近作で会心のものがあったら拝見いたしたく 田村謹寿   1-537
昭和9年6月22日 上京後1ヶ月、多香と私、交互に病臥する/付知よりの山蕗を転送する 牧野彦太郎 (1)宛名:秀子も併記 (2)荷物とともに送る 1-539
昭和9年7月25日 暑中見舞 一噌印刷所 一噌連   1-540
昭和9年7月26日 京都へ出陳の裸婦、藤井君の所へ持参催促/25号裸婦、ムッソリーニ、安井氏の小品催促 田村謹寿   1-541
昭和9年7月27日 暑中見舞 額縁製作磯谷商店 長尾建吉 絵葉書:大正9年嶽陽還暦祝いの席上諸先生の霊筆 1-542
昭和9年7月27日 昨日御届けのつもりが、郵便にて失礼 安部治郎吉   1-543
昭和9年7月30日 暑中見舞/当地にて本年出品の作品制作中 水野富三 宛名:秀子も併記 1-544
昭和9年7月30日 電話開通通知 美蘭社   1-546
昭和9年7月31日 雑誌『新美術』発行の案内 『新美術』発行所 大衆経済社大島唯史外3人   1-547
昭和9年8月2日 展覧会鑑別 日時の連絡/招待状発送先について依頼 二科会   1-548
昭和9年8月2日 熱海に通って作品制作中/(1)学生生活最後の夏休み (2)菅原さんの絵を見て、自分の絵の弱々しさが悲しい 松本 貞 「門下生」とあり 1-549
昭和9年8月4日 「友(藤井浩祐)を語る」依頼の確認 美術発行所   1-550
昭和9年8月6日 暑中見舞/二科制作中、8月18,9日に上京の予定 里見常夫   1-551
昭和9年8月6日 玉稿御礼 美術発行所   1-552
昭和9年8月8日 千秋の頭のけがのこと/二科の招待状につき、依頼 安部小澄 (1)宛名:秀子も併記 (2)千秋:安部の子 1-553
昭和9年8月8日 いつも突然お邪魔し、御世話になり感謝/先生の動向(在宅)についてお尋ね 大谷幸一   1-554
昭和9年8月8日 貴作、藤井君と相談の上、50円で頂きたく/金は11,12日にお渡し致したく 田村謹寿   1-555
昭和9年8月12日 里見氏上京につき、御世話方依頼/例年の通り、17,8日頃に上京とのこと 大野新吉   1-556
昭和9年8月15日 千秋への見舞、御礼/お出かけの上、いろいろ御教示、有難く 安部小澄   1-557
昭和9年8月15日 招待状3枚希望/先日の話の方、仕事の世話について 明山春江 宛名:熊谷秀子 1-558
昭和9年8月15日 暑中見舞 下山金一郎 絵葉書:金魚 1-559
昭和9年8月17日 付知に来て半月、なお1ヶ月くらい遊んで帰名の予定/観音様を彫って、糊口をしのぐ 熊谷朋助   1-560
昭和9年8月18日 展覧会一般作品の鑑別 日時の連絡 二科会   1-561
昭和9年8月19日 本年の二科展出品作品5点の連絡/(1)本年は新学期準備のため、上京せず (2)新築移転、田園生活 水野富三 宛名:秀子も併記 1-562
昭和9年8月20日 神田英子画 写真3枚 神田周三、英子 (1)文面欠 (2)写真3枚 1-563
昭和8年~9年7月11日 引っ越してから小品制作/(1)二科会60号風景、30号静物の制作始める (2)学校の子どもの講習には10人ほど参加 (3)小川氏来訪、1ヶ月前に男子誕生とか、大作制作中 鈴木國威 (1)小川:小川勝蔵か (2)黄、萬は学校、榧入学前から昭和8年~9年と推定 1-564
昭和8年~9年7月3日 60号風景はこの陽気のため、制作中断/30号静物は完成、一昨日から50号人物の制作開始 鈴木國威 564に続く 1-565
昭和8年~9年8月23日 二科展出品の作品5点完成/出品前に見ていただけなくて、審査が不安 鈴木國威 565に続く 1-566
昭和9年8月24日 26日にお邪魔いたしたく、都合は如何か 牧野彦太郎、多香 宛名:秀子も併記 1-567
昭和9年8月25日 娘春子への御愛顧、御教導の依頼/(1)春子、美術学校卒業後、この道を選び、日夜精進 (2)本年二科展出品作品として5枚を仕上げる 竹田正平 鉄道荷札あり(ブドウを送付) 1-568
昭和9年8月25日 明26日、10時までにはお伺い予定/(1)明日は裁判所に寄っていただきたく、お願い (2)同封の手紙、夫婦でお読みいただきたく 牧野彦太郎 宛名:秀子も併記 1-569-1
昭和9年7月17日 多香子夫人、入籍や否や/(1)北恵那問題、誠に痛心の至り (2)故中村荘吉君一周忌にて、葦原氏に会う 山道梅太郎 宛名:牧野彦太郎、多香子 1-569-2
昭和9年8月26日 明日26日夕方お伺いの連絡/守一氏には、7時に帰宅されるよう山下氏に伝言を頼んだ 牧野彦太郎、多香 宛名:秀子も併記 1-570
昭和9年8月26日 在京中、御世話になり御礼/24日、無事着 里見常夫   1-571
昭和9年8月26日 25号完成の由、是非拝見いたしたく/27,30日の指定の時間にはお目にかかれない 田村謹寿   1-572
昭和9年8月29日 里見の作品指導の御礼/出品作20号が出来たそうだが、回して欲しい 大野新吉   1-573
昭和9年8月30日 過日の突然の訪問御礼/新聞にて二科の発表を知り、勉強不足を痛感、今後とも御指導を乞う 中村徳二郎   1-574
昭和9年9月3日 今夕鮎発送、明朝池袋駅にて受取のこと/(1)里見氏も本人の話通りには行かないようで (2)早川氏が会友になる由、新聞にて拝見 大野新吉   1-576
昭和9年9月3日 (二科展入選)一家中喜び合う/(1)二科展開催、懇親会に参加のため、上京 (2)本年は自信なき作品にて、申し訳なく 水野富三   1-577
昭和9年9月3日 二科展の入場券、送付の依頼 内野 猛   1-578
昭和9年9月3日 二科展招待状の御礼 東京市西巣鴨第五尋常小学校 天津正路   1-579
昭和9年9月4日 春子の画、二科展予選2枚選定の御礼 竹田正平   1-580
昭和9年9月5日 二科展入場券、送付の御礼 内野 猛 絵葉書:山形県蕨岡登山道 1-581
昭和9年9月6日   二科会 中身欠 1-582
昭和9年9月7日 故古賀春江君一周忌追悼会案内/9月10日 上野山下揚出し 石井柏亭外6人 発起人:石井柏亭、東郷青児、川端康成、高田力蔵、赤城泰舒、阿部金剛、峰岸義一 1-583
昭和9年9月13日 写真と塩イカ、初子に誂える 熊谷鋭雄 初子が持参 1-584
昭和9年9月14日 訃報(竹添履信死去) 竹添信之、嘉納治五郎、早川万一、梅原龍三郎 封筒欠 1-585
昭和9年9月17日 会葬御礼(父履信告別式) 竹添信之   1-586
昭和9年9月17日 女艸会第1回洋画展覧会案内/9月21日から25日まで、神田東京堂 女艸会 荒井彩子外10人 1-587
昭和9年9月17日 会員、会友の集い開催通知/9月20日 マーブル 二科会   1-588
昭和9年9月17日 名称及び指導者職員変更の通知 駿河台洋画研究所 (1)旧:アヴアン・ガルド洋画研究所 (2)指導者:有島生馬、東郷青児、藤田嗣治、野間仁根 1-589
昭和9年9月19日 25号裸婦は、残念ながら会心の作に非ず/女の顔の代品は、他日会心のものが出来た折に 田村謹寿   1-590
昭和9年9月20日 写真とパイプ、受け取りました/油絵を描いてもらいたい 熊谷鋭雄   1-591
昭和9年9月23日 関西地方大惨状にて、急ぎ帰郷/いつ帰国できるか判らないので車中からお詫びまで 由井覚郎 室戸台風:9月21日 1-592
昭和9年9月24日 昨夜無事帰宅、家族無事損害軽微/津波による増水、市内、非常に難儀を 由井覚郎   1-593
昭和9年9月24日 第1回制作展覧会/9月27日から30日まで、当研究所にて 駿河台洋画研究所   1-594
昭和9年9月27日 招待券送付の御礼/日曜日の都合は如何か、連絡を待つ 佐藤しげ 宛名:秀子も併記 1-595
昭和9年9月 開店案内 やき蛤本舗「濱屋」 峰岸義一   1-596
昭和9年10月27日 会心の作が出来ましたら御持参下さい/ムッソリーニの絵、風景画、安井氏の件、よろしく 田村謹寿   1-597
昭和9年12月6日 番衆(二科)技塾 収支計算表(8~11月) 二科会   1-598
昭和9年12月10日 ムッソリーニの絵、冬の風景画の催促/自信作は拝見いたしたく 田村謹寿   1-599
昭和9年12月19日 ムッソリーニと裸の2点、150円にて購入いたしたし/(1)以上、藤井君と相談 (2)線の赤い方は返却したい 田村謹寿   1-600
昭和10年1月19日   日本水彩画会 中身欠 1-601
昭和10年1月24日 大島は強風にて 山下新太郎 絵葉書:大島風俗 1-602
昭和10年1月31日 西人社結成/規則書、展覧会、同人住所 西人社 西人社:福岡県出身の二科展出品者 1-603
昭和10年1月 如水遊心画展案内 如水会遊心画談会   1-604
昭和10年2月9日 磯長美術祭趣旨/出品願い 松葉俊郎 磯長山 叡福寺 1-605
昭和10年2月11日 転居通知 岩月虎雄 旧姓:太田 1-606
昭和10年2月22日 第7回新美術家協会展覧会 開催案内/2月 24日から3月5日まで、東京府美術館 新美術家協会 (1)荒井一郎外22人 (2)招待券同封 1-607
昭和10年2月25日   三昧堂 (1)文面欠 (2)写真(撮影物不明)1枚在中 1-608
昭和10年2月 広本季与丸氏油絵展覧会 案内 桜製菓画廊部 天城俊彦 (1)広本季与丸:帝展新人、太平洋画会会友 (2)2月23日が土曜日から昭和10年と推定 1-609
昭和10年3月5日 稚内大泊間と樺太の風景 久野昌康 絵葉書:亜庭丸 1-610
昭和10年3月9日 中村恒夫『巴里画壇の全貌』案内 崇文堂書店   1-611
昭和10年3月9日 豊原と真岡間の鈴谷平原の光景がすばらしい/明日は多蘭泊まりでアイヌ部落へ遊びに行く予定 久野昌康 絵葉書:真岡港 1-612
昭和10年3月11日 第8回上杜会展覧会 案内 上杜会   1-613
昭和10年3月11日 第44回卒業証書授与式並びに各科卒業制作品高覧案内 東京美術学校長 和田英作   1-614
昭和10年3月12日 七洋会洋画展 招待状 七洋会 七洋会:女子美術学校昭和7年卒業生 1-615
昭和10年3月18日   新燈社 中身欠 1-616
昭和10年4月6日 日本初期洋風版画展覧会 招待券 日動画廊 長谷川仁 主催:洋画研究 外山卯三郎 1-617
昭和10年4月6日 家族で上京、御世話になった御礼/今度の展覧会出品作品は是非、私に回して欲しい 大野新吉 宛名:秀子も併記 1-618
昭和10年4月6日 各種油絵の具価格表 竹見屋   1-619
昭和10年4月9日 第1回洋画展覧会 案内 アニマ 会員:有海千尋外6人 1-620
昭和10年4月15日 創立十周年記念祝賀会 案内 東京市西巣鴨第五尋常小学校奨学会長 多田房之輔   1-621
昭和10年4月22日 開館十周年記念 現代総合美術展覧会 案内 東京府美術館 中身欠 1-622
昭和10年4月25日 第1回作品展覧会 案内 北海道独立美術作家協会 (1)宛名:なし (2)封筒欠 1-623
昭和10年4月 王済遠絵画展覧会 案内 日動画廊 (1)宛名:なし (2)王済遠:上海美術専科学校長 (3)紹介文:梅原龍太郎 (4)推薦者:藤島武二、石井柏亭外4人 1-624
昭和10年4月 松田(文蔭改め)晃八氏油絵個人展覧会 案内 桜製菓画廊 天城俊彦 4月20日が土曜日、桜製菓画廊から昭和10年と推定 1-625
昭和10年4月 第4回1940年協会展開催/紀伊国屋画廊にて 1940年美術協会 阿部芳文外4人 1-626
昭和10年5月5日 第3回清光会作品展 案内 清光会 会員:高村光太郎外7人 1-627
昭和10年5月14日 野生会を組織、第1回展開催 案内 女美術本年度卒業生 野生洋画会 同人:女子美術高等科西洋画部卒業生 1-628
昭和10年5月31日 第2回展覧会 案内 三春会 招待券2枚あり 1-629
昭和10年5月 早川國彦氏水彩画小品展覧会/5月1日から7日まで 桜製菓画廊 天城俊彦 5月1日が水曜日、桜製菓画廊より昭和10年と推定 1-630
昭和10年5月 明石哲三氏油絵個人展覧会開催/二科会新人、5月8日から14日まで 桜製菓画廊 天城俊彦 637との関連から昭和10年と推定 1-631
昭和10年5月 創作漆絵展覧会 案内/日動画廊にて 横井弘三、三浦久明 (1)宛名:なし (2)封筒欠 1-632
昭和10年6月17日 会葬御礼(藤川勇造告別式) 藤川栄子   1-633
昭和10年6月 藤田嗣治画伯 近作小品個人展覧会 目録 紀伊国屋ギャラリー 天城俊彦 (1)宛名:なし (2)封筒欠 1-634
昭和10年6月 野間仁根画伯個人展覧会開催/6月12日から19日まで、紀伊国屋ギャラリーにて 天城俊彦 (1)宛名:なし (2)天城と紀伊国屋、6月12日が水曜日から昭和10年と推定 (3)絵葉書:野間仁根画 1-635
昭和10年6月 藤田嗣治画伯 近作小品展覧会の案内/紀伊国屋ギャラリーにて 天城俊彦 (1)絵葉書:マデレエヌ (2)634と同じ内容 1-636
昭和10年6月 個展、御世話になり御礼/台北着、1ヶ月ほど紅頭嶼に滞在 明石哲三 絵葉書:紅頭嶼ヤミ族 1-637
昭和10年7月31日 暑中見舞 葉山堂 下山金一郎 (1)絵葉書:鯉 (2)美術写真 葉山堂 1-638
昭和10年7月 古賀春江遺作回顧展覧会 案内/紀伊国屋ギャラリーにて 天城俊彦   1-639
昭和10年代.8月17日 主人、二科展に出品に付、お願い/直接御指導をお願いすべきところ、知人が伺うのでよろしく 田中優紀子 (1)封筒欠 (2)田中関係の書簡類から昭和10年代と推定 1-640
昭和10年8月22日 竣工全館完成 案内 三越   1-641
昭和10年8月27日   レートン絵具株式会社 中身欠 1-642
昭和10年8月30日 個人展覧会開催の案内/銀座資生堂にて 伊藤継郎   1-643
昭和10年9月 「飾画」第2回洋画展覧会開催の案内/紀伊国屋書店画廊にて 飾画同人 同人:糸園和三郎外5人 1-644
昭和10年9月   一噌印刷所 中身欠 1-645
昭和10年10月21日 移転と電話開通の通知 南郊モデル協会 小林源太郎   1-646
昭和10年10月 藤川勇造遺作彫刻展覧会 目録 藤川栄子   1-647
昭和10年11月2日 正木直彦氏蒐蔵品展覧 案内 東京美術学校陳列館   1-648
昭和10年11月14日 長谷川伝次郎氏印度風物写真展覧会 案内 小西六本店 絵葉書 1-649
昭和10年11月16日 新美術家協会秋期展 案内 三昧堂   1-650
昭和10年11月18日 帝展問題についての建言書、展覧会試案 美術公正会   1-651
昭和10年11月24日 旅館案内 江浦真崎屋旅館 岩崎彦左衛門   1-652
昭和10年11月 高間惣七水墨画展覧会開催/12月1日から3日まで、菊屋ギャラリーにて 高間惣七 3銭切手と12月1日が日曜日から昭和10年と推定 1-653
昭和10年12月1日   三浦義武、白木屋、田口省吾 (1)宛名:秀子も併記 (2)中身欠 1-654
昭和10年12月10日 庫田第1回個人展覧会 案内、目録 倉田美意子 (庫田) 「馬渕美意子」名、併記 1-655
昭和10年12月18日 庫田第1回個人展覧会 案内 倉田美意子 (庫田) 絵葉書 1-656
昭和10年12月 『岡倉天心全集』刊行案内 聖文閣   1-657
昭和10年12月 独唱会(グスターフ・マーラーの夕)の案内 安井義三、曽太郎   1-658
昭和10年12月 第9回黒色洋画展 紀伊国屋美術部 (1)宛名:なし (2)未使用絵葉書 1-659
昭和10年12月 (帝展問題について)声明書/第2声明書(来春の展覧会開催に反対) 第一部会事務所   1-660
昭和11年1月1日 年賀 成瀬澄三郎   1-661
昭和11年1月1日 年賀 美術写真葉山堂 下山金一郎 絵葉書 1-662
昭和11年1月3日 第1回自然派展開催案内 新自然派協会 小城基   1-663
昭和11年1月6日 第13回美術展覧会開催案内 白日会   1-664
昭和11年1月7日 安宅虎雄個人展覧会開催 目録 安宅虎雄 目録 1-665
昭和11年1月9日 年賀 日動画廊 長谷川仁   1-666
昭和11年1月 第1回フォルム展案内/紀伊国屋画廊 第一回フォルム展   1-667
昭和10年~11月2日 洋画新人4人展(丸野豊司、木寺轍、杉三郎、川城国司) 桜製菓画廊部 天城俊彦 桜製菓画廊から昭和10年~11年と推定 1-668
昭和10年~11月2日 福田新生、野田信、関川富士郎三氏洋画展覧会 案内 桜製菓画廊部 天城俊彦 桜製菓画廊から昭和10年~11年と推定 1-669
昭和10年~11月3日 巽 健治郎氏油絵展覧会 桜製菓画廊部 天城俊彦 桜製菓画廊から昭和10年~11年と推定 1-670
昭和11年5月9日 日本壁画会結成、第1回展覧会案内 日本壁画会事務所   1-671
昭和11年5月17日 第1回油絵展覧会開催案内 白嘯会   1-672
昭和11年5月20日 第1回篝火工房彫刻・工芸小品展覧会案内 篝火工房   1-673
昭和11年5月20日 第1回朔土会彫刻展覧会案内 朔土会 会員:東京美術学校彫刻科在学中 1-674
昭和11年5月22日 近作品展 案内 三昧堂ギャラリー 岡田七蔵外3人   1-675
昭和11年5月26日 第2回ぴゆるて洋画展覧会開催 案内/三昧堂ギャラリーにて ぴゆるて同人 同人:岩田 栄外5人 1-676
昭和11年5月31日 素顔社、七洋会合同洋画展 案内 素顔社 七洋会   1-677
昭和11年5月 フォルム5月展 フォルム展事務所 絵葉書:大橋城画 1-678
昭和11年5月 東京府会議員総選挙立候補の宣言 小澤今麿   1-679
昭和11年5月 近作品展 案内 三昧堂美術部 675と同一 1-680
昭和11年5月 倉田白羊画伯油絵展覧会 案内/目録 三昧堂美術部   1-681
昭和11年5月 第1回LES LILAS展開催/5月14日から18日まで、紀伊国屋ギャラリーにて LES LILAS事務所 宮川仁 5月14日が木曜日は11,17年 1-682
昭和11年6月9日 第4回童林社絵画・彫刻展覧会 案内/童林社、創生期会合同声明書 童林社 招待券2枚あり 1-683
昭和11年6月11日 第1回展 案内 四行会   1-684
昭和11年6月13日 第1回個展 案内 三井安尾   1-685
昭和11年6月15日 近作油絵展 案内 馬越枡太郎外3人、三昧堂美術部   1-686
昭和11年6月15日 油絵展覧会 案内 内野 猛、久米福衛、大久保喜一   1-687
昭和11年6月15日 第6回洋画展覧会 案内/故外岡、萬田遺作展示 九年会   1-688
昭和11年6月17日 明石哲三個人展覧会開催 案内/公正会館ホールにて 明石哲三 目録あり 1-689
昭和11年6月28日 近作品展開催 案内/青樹社ギャラリーにて 立陣社 同人:井手坊也外10人 1-690
昭和11年6月28日 第3回展覧会開催 案内/紀伊国屋画廊にて 女艸会   1-691
昭和11年6月 G.クリムト遺作素描展覧会 天城画廊   1-692
昭和11年6月 第1回洋画個人展覧会開催 案内/資生堂ギャラリーにて 水船三洋   1-693
昭和11年6月 沼田一郎ガラス絵展覧会 案内 三昧堂美術部 絵葉書:沼田出品作品、目録あり 1-694
昭和11年6月 中元洋画特価即売展覧会 三昧堂美術部   1-695
昭和11年6月 第1回展覧会開催 案内/紀伊国屋書店にて 彩々会 一木萬壽三外7人 1-696
昭和11年6月 第2回ぴゆるて洋画展覧会開催 案内/三昧堂ギャラリーにて ぴゆるて同人 676と同一 1-697
昭和11年6月 13回黒色洋画展覧会/紀伊国屋ギャラリーにて (差出人不明) 出品者:野原隆平外4人 1-698
昭和11年7月9日 先だって御世話になった御礼/(1)三部会は9月限り在野団体に確定 (2)高島屋の鍋井さんの絵の会を見てきた 石川確治 絵葉書:山形市全景 1-699
昭和11年7月15日 昭和11年文部省美術展覧会参加招待につき/昭和11年文部省美術展覧会規則 文部省専門学務局学芸課   1-700
昭和11年7月17日 高岡徳太郎氏滞欧作品個人展覧会開催 案内/目録 高島屋美術部   1-701
昭和11年7月26日 発会声明書、及び新制作派協会規約 新制作派協会   1-702
昭和11年7月 暑中見舞、三浦コーヒー商会挨拶/白木屋コーヒーを楽しむ会9,10月休会 三浦義武   1-703
昭和11年7月 岸田劉生遺作回顧素描展覧会 目録 天城画廊   1-704
昭和11年7月 第2回諸家コレクション欧州絵画展覧会目録 天城画廊   1-705
昭和11年7月 第4回秋香会展覧会開催/銀座伊東屋ギャラリーにて 秋香会 (1)秋香会:昭和8年女子美術卒業生 (2)卒業年度と1135から昭和11年と推定 1-706
昭和11年7月 夏季洋画特買即売展覧会 開催 三昧堂美術部   1-707
昭和年未詳7月 未発表遺作品岸田劉生氏日本画展目録 銀座小画廊 宛先住所と7月16日が木曜日から昭和11年と推定 1-708
昭和11年8月17日 主線美術協会絵画武研究趣旨/監査、優待方針について 主線美術協会絵画部   1-709
昭和11年8月18日 残暑見舞/近況報告 小椋繁治   1-710
昭和11年8月20日 制作終了、明日帰京の予定/秋に先生の作を見るのが楽しみ 明石哲三 絵葉書:外川 1-711
昭和11年8月23日 「巴里 ドルアン絵具」新荷着案内 アサオ絵之具店   1-712
昭和11年8月26日 第2回三部会展覧会開催 案内/在野彫塑団体として 第三部会 (1)同人:池田勇八外7人(石川確治含む) (2)招待券6枚あり 1-713
昭和11年8月26日 現代洋画の総合展観開催につき、出品依頼 松坂屋 返信用の葉書あり 1-714
昭和11年8月29日 第2回三部会展覧会開催 案内 第三部会 713と同一 1-715
昭和11年8月30日 現代洋画総合展覧会開催 案内 松坂屋   1-716
昭和11年8月 第1回各派選抜新人連続個人展覧会 案内 天城画廊   1-717
昭和11年8月 洋画近作小品展覧会開催 案内/三越にて 九夏会 伊藤慶之助外19人 1-718
昭和11年8月 独立新人高畑正明氏近作水絵展開催 天城画廊 絵葉書:出品作品「海」 1-719
昭和11年9月5日 洋画近作小品展覧会開催 案内/三越にて 九夏会 718と同一 1-720
昭和11年9月7日 会設立につき、懇親会案内 池袋美術家クラブ 佐波甫 事務所:佐藤英男方 1-721
昭和11年9月11日 南画鑑賞会存続の連絡 南画鑑賞会   1-722
昭和11年9月12日 招待いただいた二科展、おじ様にお目にかかりました/萬様ご退院、ご通学、おめでとうございます 森村みつゑ (1)宛名:熊谷秀子 (2)「おじ様、おば様」とあり 1-723
昭和11年9月12日 第2回展覧会開催 案内/資生堂にて 四行会   1-724
昭和11年9月14日 滞欧作並びに近作展覧会開催 案内/上野公園内、日本美術協会列品館 名井萬亀 目録あり(ただし、これは郵送にあらず) 1-725
昭和11年9月15日 故佐分真遺作展覧会開催 案内/松坂屋 故佐分真遺作展世話人   1-726
昭和11年9月15日 中原清隆近作個人展覧会開催 案内/ラテン画廊にて 中原清隆個人展覧会後援会 中原清隆:本名 隆次郎 1-727
昭和11年9月16日 故佐分真遺作展覧会開催 案内/松坂屋 故佐分真遺作展世話人 726と同一 1-728
昭和11年9月17日 第1回池袋美術家クラブ展覧会開催 案内 池袋美術家クラブ   1-729
昭和11年9月17日 藤井達吉先生作画展観 案内 白木屋美術部   1-730
昭和11年9月18日 美術部主任西川武郎退職、独立開業の知らせ 三昧堂 堀越震六   1-731
昭和11年9月21日 「最上川上流」「雨乞い山」展示承諾の伺い/金沢、大阪展覧会にて 二科会   1-732
昭和11年9月22日 寺田竹雄帰朝第1回個人展覧会開催 案内/青樹社画廊にて 寺田竹雄   1-733
昭和11年9月30日 三浦義武のコーヒーを楽しむ会開催 白木屋 食堂   1-734
昭和11年9月 脇田和氏、長谷川利行氏個人展覧会目録 天城画廊   1-735
昭和11年9月 長谷川利行氏個人展覧会目録 天城画廊 735と同一 1-736
昭和11年9月 仏蘭西民衆版画展覧会開催/9月20日から24日まで、日動画廊にて 日動画廊 9月20日(日曜日)は6,11,17年から11年と推定 1-737
昭和11年9月 昭和11年文部省美術展覧会への出品伺い 文部省専門学務局学芸課 「招待出品申込書」あり 1-738
昭和11年9月 原精一、森芳雄、立石鉄臣、矢橋六郎氏個人展覧会目録 天城画廊   1-739
昭和11年9月 14回黒色洋画展/紀伊国屋ギャラリーにて (差出人不明) 野原隆平外5人 1-740
昭和11年9月 山本直武氏個人展覧会目録 天城画廊 二科会新人、黒色展同人 1-741
昭和11年10月3日 女艸会秋季展/紀伊国屋にて 女艸会   1-742
昭和11年10月5日 『三共薬事通信 第34号』 三共株式会社   1-743
昭和11年10月8日 伊藤廉画伯個人展覧会開催/三昧堂ギャラリーにて 西川武郎   1-744
昭和11年10月14日 第2回佐々木永秀作品展覧会開催/三昧堂ギャラリーにて 佐々木永秀 絵葉書:出品作品「月下清談」 あり 1-745
昭和11年10月15日 伸草社第3回展開催/伊東屋にて 伸草社同人 同人:昭和10年女子美術専門学校日本画、西洋画卒業生 1-746
昭和11年10月21日 第3回洋画展開催/開店第3周年 三昧堂 目録あり 1-747
昭和11年10月 故岸田劉生画伯第2回遺作回顧展開催 天城画廊 絵葉書:「鵠沼風景」 1-748
昭和11年10月 和漢洋総合 古書大即売展/松坂屋にて 第一古書連合会 封筒欠 1-749
昭和11年10月 汎展開催 目録 天城画廊 郵便外 1-750
昭和11年12月10日 「雨乞山」写生御高覧の御礼 川嶋浪速 (1)宛名:熊谷秀子 (2)絵葉書:下呂温泉 1-751
昭和11年12月12日 伊豆三津滞在の知らせ 明石哲三 絵葉書:「三津浜風景」明石画 1-752
昭和11年 額縁特価販売案内 マツモト額縁店 昭和11年の分類中にあり 1-753
昭和11年 新作家同盟設立並びに第1回新作発表会開催/三共ギャラリーにて 新作家同盟   1-754
昭和12年3月 物故十二画家遺作回顧展開催 天城画廊 絵葉書:「水郷」森田恒友画 1-755
昭和12年5月1日 手紙、切符頂きました/4月は、四国巡り、北陸旅行と多忙にて 江見恒三郎 絵葉書:室生寺 如意輪観世音菩薩 1-756
昭和12年8月 二科第24回美術展覧会開催 案内 二科会 招待券2枚あり 1-757
昭和13年5月7日 東京を出て2週間、何にも煩わされない生活/先生も喜んでいる 竹谷富士雄 絵葉書:沖縄円覚寺 1-758
昭和13年5月10日 転居通知 山口順吉   1-759
昭和13年5月15日   濱田葆光 中身欠 1-760
昭和13年5月23日 今月末にお越しのこと、大塚さんから知りました/昨年の楽しい時も、もう一年前となり 江見あさ子 宛名:熊谷秀子 1-761
昭和13年5月26日 お出でを、山本、大塚氏とともに待っています/(1)山本発次郎氏は30日を明けているとのこと (2)是非、遅くとも28日中にはお越しを 江見恒三郎   1-762
昭和13年5月28日 召集の命により部隊に入隊、お知らせ 木村辰彦   1-763
昭和13年5月29日 約束の10号以上の大作、お願いします/日本画も合わせて見せていただきたく 田村謹寿   1-764
昭和13年5月 陸海軍病院への美術作品寄贈(傷痍軍人慰問美術家連盟)/寄贈依頼(二科会) 文部省専門学務局学芸課   1-765
昭和13年6月6日 おじさんが汽車から帽子を振るのが見えました/秋にお越しになるのを楽しみにしております(あさ子) 江見其道 江見其道(4年):恒三郎の子ども 1-766
昭和13年6月10日 同封の葉書来信、小生のお得意さんにて/(1)近日開催の神戸三越展でお求めをと、紹介 (2)会社用の作品1枚、代金10円送金 江見恒三郎 (1)阪急日本画展、神戸三越展が昭和13年から推定 (2)768:6月10日付 1-767-1
昭和13年6月 大阪の個展、最終日5日に観覧/ほとんど売約済みの中、「百合」をお譲り頂きたく 岸本理三郎 宛名:江見恒三郎 1-767-2
昭和13年6月10日 会社用の作品1枚、代金送付/12日までのが済んでからで結構 江見恒三郎 767から昭和13年と推定 1-768
昭和13年6月10日 理研コンツェルン新報 アルマイト研究号 角和商会理研株専門部   1-769
昭和13年6月12日 宅にある横臥裸婦と昨年二科展出品の裸婦との交換依頼/日本画拝見の依頼、大作作成の希望 田村謹寿   1-770
昭和13年6月13日 牡丹の図2枚代金50円送金/(1)志賀さんより揮毫の礼 (2)別車博資氏、大阪展覧会に感心、神戸開催も見込みあり (3)阪急で使用した貴兄自画像の銅版、神戸でも使用 濱田葆光   1-771
昭和13年6月14日 表装したため、額に入れる作品不足、お送り下さい/(1)神戸展開催が楽しみ (2)江見氏へも三越より案内状が行くよう手配 濱田葆光   1-772
昭和13年6月14日 鉄道便にて作品到着 濱田葆光   1-773
昭和13年6月15日 第2回海洋美術展覧会出陳御礼 海軍協会   1-774
昭和13年6月17日 傷病将士慰問名士書画即売会趣意書 愛国婦人会   1-775
昭和13年6月18日 端書の件、野間君に問い合わせ致し/野間君の返事次第日動へも回答するよう取り計らい 藤田嗣治   1-776
昭和13年6月20日 弟柳次出征に付、兄覚郎所在お探し下されたくお願い 由井勇吉   1-777
昭和13年6月20日 神戸展の準備状況、展示会の予定について/日動での熊谷、藤田の展覧会、誠に結構にて 濱田葆光   1-778
昭和13年6月21日 先日の来訪、作画承諾の御礼 山本発次郎   1-779
昭和13年6月22日   画室社 山本廣洋 中身欠 1-780
昭和13年6月24日 召集令を受け、25日早朝入隊 榎倉省吾   1-781
昭和13年6月24日 神戸展、1日目に約半数を売約/(1)神戸展出品画の内12点を撮影、画室社の雑誌に使用 (2)三越で世話になった人のために2,3枚花の絵を 濱田葆光   1-782
昭和13年6月25日 郷里への電報の御礼/大阪の連隊に出向き、昨夜弟との面会なる 由井覚郎   1-783
昭和13年6月26日 傷病将士慰問名士書画即売会 出品伺い 愛国婦人会   1-784
昭和13年6月27日 神戸展、盛会裏に終了、作品売約もさらに6点/(1)画室社山本氏、江見様も日々来場 (2)村上華岳氏も来場、蛙子の色紙を購入 濱田葆光   1-785
昭和13年6月29日 御預かり作品2点売約、代金を送付 晴潮社 藤井輝夫   1-786
昭和13年7月1日 先般の展覧会の売り上げを送金/阪急百貨店、神戸三越より受け取り 濱田葆光   1-787
昭和13年7月3日 先般展覧会への配慮、力添えの御礼/先生よりの御礼金への御礼 画室発行所 山本廣洋   1-788
昭和13年7月3日 水害見舞 荻野康児   1-789
昭和13年7月4日 水害見舞 杉本 寿   1-790
昭和13年7月4日 阪急、三越店収支連絡/日動画廊にて藤田君達との展覧会も近づきました 濱田葆光   1-791
昭和13年7月5日 早速表装を頼み、10日日動に届ける予定/(1)本日の来訪、もてなしもせず失礼 (2)10日か11日に日動にてお目にかかりたく連絡を待つ 藤田嗣治   1-792
昭和13年7月6日 昨夏8月応召、最近無事復員/お邪魔いたしたく、御都合伺い 大谷幸一   1-793
昭和13年7月8日 奥様からのお便り、涙が出るほどうれしく/夜の遅い画室、先生、奥様が懐かしい ゆき子 宛名:熊谷秀子 1-794
昭和13年7月8日 関西地方の豪雨、一同無事にて 江見恒三郎   1-795
昭和13年7月8日 お問い合せしながら、急用にて2,3日お邪魔不能に 大谷幸一   1-796
昭和13年7月9日 水害見舞御礼 庄司乙吉   1-797
昭和13年7月9日 「ミナブジアリガト」 エキ   1-798
昭和13年7月10日 水害見舞御礼 伊藤継郎   1-799
昭和13年7月10日 水害見舞御礼 小河清太郎   1-800
昭和13年7月10日 水害見舞御礼 神戸画廊 大塚銀次郎   1-801
昭和13年7月11日 水害伺い、季少々送付の連絡 深谷彦之助   1-802
昭和13年7月11日 水害見舞御礼/庄司さんも被害なし 田村孝之介   1-803
昭和13年7月11日 水害見舞御礼 山本発次郎   1-804
昭和13年7月11日 水害見舞御礼 画室社 山本廣洋   1-805
昭和13年8月1日 転居通知 野尻貞一   1-806
昭和13年8月8日 例会開催通知 二科会   1-807
昭和13年8月8日 『近代風景』9月号随筆寄稿依頼 月光荘文芸局 『近代風景』   1-808
昭和13年8月15日 残暑見舞/出品作完成、何卒よろしく 田中 修   1-809
昭和8年~13. 9.1 第2回新造型秋季展開催/9月11日から15日まで、青樹社にて 新造型美術協会 宛先住所から8~14年と推定 1-810
昭和13年10月13日 奈良の展覧会に付、色紙送付依頼/名古屋展の作品もよろしく 濱田葆光 絵葉書:「三笠山」濱田葆光画 1-811
昭和13年11月3日   河合敏雄 (1)中身欠 (2)「写真在中」とあり 1-812
昭和13年11月8日 出発に際し見送り、御礼/(1)漢口陥落の日、漢口入り、弾の下を潜る (2)4日無事帰京 藤田嗣治 絵葉書:上海神社 1-813
昭和13年12月29日 名古屋新聞にて叔父上の個人展覧会の記事を見る/小生の子どもの書いたクレヨン画を同封 熊谷鋭太郎 熊谷文雄のクレヨン画3枚 1-814
昭和8年~13.12 朝鮮古陶器、日本最初ノ洋風絵画展覧会開催 冨士美瞭 宛先住所から8~14年と推定 1-815
昭和14年3月9日 絵4点購入に付、箱書を依頼/(1)昨年、当地丸善画廊での個展にて4点購入 (2)2尺位の横もの4点、金魚の色紙の依頼 (3)個展開催の節は通知を 木村定三   1-816
昭和14年3月9日 青山義雄画伯個展案内 求龍堂 石原龍一、兜屋 西川武郎 中身欠 1-817
昭和14年3月17日 (謄写版絵)「常夏○○島亜熱帯」蘇順泉 松島 順 ○○島:海南島 1-818
昭和14年3月28日 (謄写版絵)「兵装の一部」 松島 順   1-819
昭和14年3月28日 (謄写版絵)「現地の女性」 松島 順   1-820
昭和14年3月29日 戦地海南島便り 松島 順   1-821
昭和8年~14.3 塾展開催に付、ご来塾を乞う/3月25日作品持ち寄りに付、来塾 番衆技塾 (1)郵送にあらず (2)宛先住所から8~18年と推定 (3)番衆技塾は昭和14年まで 1-822
昭和14年4月5日 (謄写版絵)「稲みのる頃 三毛作」 松島 順   1-823
昭和14年4月12日 お便り拝見、今年の二科展へ出品予定/野間氏も帰還、(謄写版絵) 松島 順   1-824
昭和14年4月15日 第21回展覧会開催 案内/白木屋にて 朱葉会 顧問:岡田三郎助、安井曽太郎、藤田嗣治、有島生馬 1-825
昭和14年4月25日 二科展へ出品の予定 松島 順 (鉛筆画)椰子の実から芽 1-826
昭和14年5月2日 宮崎童安氏御来銚の際、中里介山氏と共に訪問予定/3人で会合する機会をお作りいただきたく 明石哲三   1-827
昭和14年5月7日   松島 順 中身欠 1-828
昭和14年5月8日 私の人生は、絵筆によって慰められて 松島 順 (版画)海南島風景 1-829
昭和14年5月8日 展覧会出品、半紙でよろしいか/野間さんはどうしているか 松島 順 (版画) 1-830
昭和14年5月11日 先日依頼の絵4点、その確認と代金送金/菖蒲、杜若、あやめ、観音様の絵、お願いいたしたく 木村定三   1-831
昭和14年5月11日 (2色刷版画)海南島風景 松島 順 宛先住所から昭和14年と推定 1-832
昭和14年5月24日 送金受け取りの確認/本日より丸善にて大沢海蔵氏個展あり 木村定三   1-833
昭和14年5月31日   松島 順 (1)中身欠 (2)宛先住所から昭和14年と推定 1-834
昭和14年6月2日   中村大三郎画塾 中身欠 1-835
昭和14年6月6日 非公開     1-836
昭和14年6月14日 (版画)パイナップル 松島 順   1-838
昭和14年6月20日 友人高藤君、エゴタ彫刻研究所へ通所に付、住居御世話方依頼 熊谷朋助 宛名:秀子も併記 1-839
昭和14年.~6 (謄写版絵)南国の風景 松島 順 宛先住所から昭和14年~6月、842の前と推定 1-840
昭和14年.~6 (謄写版絵)南国の風景 松島 順 宛先住所から昭和14年~6月、842の前と推定 1-841
昭和14年6月21日 ○○島を後に3度目の○○市訪問/ここに野間氏もいるか 松島 順 (1)(版画)椰子 (2)飯田部隊から昭和14年と推定 (3)○○は伏字 1-842
昭和14年6月22日   杉崎 愛 中身欠 1-843
昭和14年6月22日   (差出人不明) (1)差出人住所氏名なし (2)中身欠 1-844
昭和14年6月29日 上京、渡支、個展の予定/個展の紹介文を先生と藤田先生にお願いしたい 旭 亮弘 藤田:「外国に居る」とあり 1-845
昭和14年6月29日 (版画)榔風椰雨、筆の人生 松島 順 飯田部隊から昭和14年と推定 1-846
昭和14年6月29日 暑中見舞、(版画)椰子 松島 順 飯田部隊から昭和14年と推定 1-847
昭和14年7月1日 蟻と汗の島/上野聖戦展へ出品 松島 順 (1)(版画)南ノ島 (2)飯田部隊から昭和14年と推定 1-848
昭和14年7月4日 「玉椿」売却代金送付/(1)昨年の大和路散策、懐かしく (2)二科展出品作準備中 濱田葆光   1-849
昭和14年7月6日 異国の地にあっては全てを犠牲に、/(1)おそらく藤田氏も野間氏も (2)二科展へは油絵を出品 松島 順 (1)「陸軍軍医見習士官 松島 順」とあり (2)飯田部隊から昭和14年と推定 1-850
昭和14年7月17日   関西二科系美育家協会 中身欠 1-851
昭和14年7月18日 海南島風景画10枚 松島 順 (1)封筒欠 (2)葉書、半紙 1-852
昭和14年7月23日 お預かりの「ニンフ」金100円にて売却/手数料3割頂きたく、如何か 画楽里 吉田勝蔵   1-853
昭和14年7月24日 (版画)「絵筆」「淡々的吹来海面的秋風」 松島 順   1-854
昭和14年7月31日 先日の絵売却の件、諾否返答を待つ 画楽里 吉田勝蔵   1-855
昭和14年~.8月4日 蛭田時彦君を紹介、御面会を願う/(紹介状) 坂本繁二郎 (1)紹介状に付、郵送にあらず (2)蛭田時彦名刺あり 1-856
昭和14年8月7日 「理髪屋の店頭所見」/(水墨画)海南島にて 松島 順 飯田部隊から昭和14年と推定 1-857
昭和14年8月9日 最近、小川芋銭の絶筆に近い作品を入手/今春お願いの絵、お描きいただきたく 木村定三   1-858
昭和14年8月19日 約束の不動様、如何なりましたか/二科展出品作、拝見いたしたく 田村謹寿   1-859
昭和14年8月23日 二科展出品作、買約致さず/不動様の完成を待つ、今の内に大作を是非 田村謹寿   1-860
昭和14年8月25日 柿の絵を描いていただきたく、お願い/「蝦蟇と蟻」は兄より貰って日夕座右に 木村四郎 木村四郎:木村定三の弟 1-861
昭和~14年9月12日 イクチを干し上げて送付/(1)小生明日8日出発、名古屋岐阜から或いは大阪へ向かう (2)茸の連絡は名古屋の三尾太伝次方へ 牧野彦太郎 (1)宛名:熊谷秀子 (2)郵送にあらず (3)牧野彦太郎:15年7月に死去 1-862
昭和14年9月17日 軍靴のように丈夫で勤務 松島 順 (1)(版画)軍靴 (2)馬渕部隊から昭和14年と推定 1-863
昭和14年~.10月11日 御陰様にて淳一君夫妻も新出発/御揮毫拝領、感謝 古川 久 宛先住所から14年以降と推定 1-864
昭和14年11月7日 直彦の墓建立のため、絵を2枚お描き願いたく/(1)亡夫直彦の一周忌も迫り、墓を別院に建てるべく (2)牧野氏の御世話により、交渉を 熊谷敏子 (1)宛名:秀子も併記 (2)867と関連あり 1-865
昭和14年11月24日 (版画)裏街小景 松島 順 後藤部隊から昭和14年と推定 1-866
昭和14年11月25日 敏子さん希望の建墓のため、絵2枚を/愚策遂行のため、西別院本田氏へ絵をお送り下されたく 牧野彦太郎 (1)封筒欠 (2)865と関連あり 1-867
昭和14年~.12月12日 落合長崎郵便局の小包み配達確認 大江季子 宛先住所から14年以降と推定 1-868
昭和14年12月30日 無涯社展、岡田、東郷氏の3点だけ売約/(1)「高原の秋」高評なれど未だ売約ならず (2)来春、藤田、猪熊氏の肝煎りで土浦氏設計にて画廊改築 (3)改築後には先生の個展開催を予定 日動画廊 長谷川仁 (1)郵送にあらず、「金子在中」 (2)画廊改築から昭和14年と推定 1-869
昭和15年1月14日 (画:中国女性)/汕頭(SWATOW)にて、松島見習士官 松島 順   1-870
昭和15年1月19日 木村定三氏買上の「金魚」、箱書依頼/(1)「冨士にヒルカホ」外2点も御所望 (2)木村氏より直接注文の日本画、いつ頃完成か 丸善名古屋支店美術係 木内憲次   1-871
昭和15年1月20日 第4回海洋美術展覧会開催 趣旨書/出品依頼、規定 海軍協会   1-872
昭和15年1月22日 転居挨拶 竹谷富士雄、孝子 絵葉書:崇元寺 1-873
昭和15年1月 一至会第1回洋画展開催 案内/三昧堂画廊にて 一至会   1-874
昭和15年2月2日 暖かい南国にて絵を描く毎日/2月下旬に帰京の予定 か冶屋隆二、ふじ枝 絵葉書:首里 1-875
昭和15年2月2日 汗を流し、真っ黒になって描いています 赤松俊子   1-876
昭和15年2月6日 箱書と色紙の御礼、代金送付/木村定三氏、先生の展覧会の開催を鶴首 丸善名古屋支店美術係 木内憲次   1-877
昭和15年2月8日 画廊改築が遅れて1ヶ月ほど休業/(1)強羅ホテルの日本室用に、先生の作4,5枚頂きたく (2)先生の個展、4,5月頃がよいかと 日動画廊 長谷川仁 「個展4,5月頃」の記載から昭和15年と推定 1-878
昭和15年2月10日 こちらは冬でも暖かく/(挿し絵)裸足の健康美人 松島 順 宛先住所と後藤部隊から昭和15年と推定 1-879
昭和15年2月13日 郷里の土佐にて、2週間ほど写生/(1)阪急百貨店での毛筆画展、5月に開催 (2)昨年描いていただいた龍虎の画、屏風に仕立てる 濱田葆光   1-880
昭和15年2月13日 転居通知/研究所通い、石膏、油絵の毎日 谷口清子   1-881
昭和15年2月19日 個展、3月11日から14日に決定/長谷川氏、17日に帰京 日動画廊 清野   1-882
昭和15年2月21日 帰郷挨拶 飯田三吾、明子 宛名:秀子も併記 1-883
昭和15年2月22日 (水墨画)漁村付近 松島 順 宛先住所と後藤部隊から昭和15年と推定 1-884
昭和15年2月22日 払出通知票(金16円) 丸善株式会社名古屋支社 落合長崎郵便局の封筒にあり 1-885
昭和15年2月27日 第5回京都市美術展覧会、日本画総合展覧会への出品依頼 京都市長 市村慶三   1-886
昭和15年2月29日 毛筆画展と同時に油絵展も如何か/日動画廊での油絵展開催、敬服いたし 濱田葆光   1-887
昭和15年2月29日 3月2日より2泊の旅行につき、連絡/昨日杉本様より、先生が行かれる由承りました 鈴木國威   1-888
昭和15年2月 第5回京都市美術展覧会 出品依頼/計画要項 京都市長 市村慶三   1-889
昭和15年3月1日 ビクターのポスターも描く/野間氏によろしく、住所お知らせ下さい 松島 順 (1)絵葉書:南支 廣東 (2)宛先住所と後藤部隊から昭和15年と推定 1-890
昭和15年3月3日 小さな島に島民も日本人も一所に生活/絵を描くより遊ぶ方が多い毎日 赤松俊子 宛名:秀子も併記 1-891
昭和15年3月3日 約束の日本画不動様は如何なりしか/小生は先月中旬から体調不良 田村謹寿   1-892
昭和15年3月5日 応召入隊通知 大江正夫   1-893
昭和15年3月6日 第36回展覧会開催 案内/上野公園 府美術館にて 太平洋画会 小林森次   1-894
昭和15年3月9日 2600年奉祝展についての決定、保留/昨夜、不参加との決定、一応保留、この件内密に 二科会 宛先住所と奉祝展開催から昭和15年と推定 1-895
昭和15年3月10日 『人生道場』第28号 伊福部隆彦編集 人生道場社   1-896
昭和15年3月10日 第6回西人社展覧会開催/出品目録、3月13日から17日まで、県公会堂にて 西人社同人 郵送にあらず 1-897
昭和15年3月11日 伊豆・房州への写生旅行、収穫多きことと拝察/(1)東京での油絵展、盛況を祈ります (2)毛筆画への努力を願う 濱田葆光   1-898
昭和15年3月12日 油絵もだいぶ描きました 松島 順 (1)絵葉書:街のスケッチ (2)宛先住所と竹内部隊から昭和15年と推定 1-899
昭和15年3月12日 今冬の作品6点、批評を頂きたく、御都合伺い/3月下旬から4月上旬の御都合は如何か 旭 亮弘   1-900
昭和15年3月17日 在京中は御世話になりました/田舎にて眠っているような暮らしで絵も描けない 飯田 明 絵葉書:千葉県習志野高津東廠舎表門 1-901
昭和15年3月18日 展覧会への案内、御礼/明火曜日御出張御指導の際、午後は古谷が卒業制作のためアトリエ使用に付、お含みおき願いたく 小林源太郎   1-902
昭和15年3月18日 連袖会第3回展覧会案内、出品目録/青樹社画廊にて 連袖会   1-903
昭和15年3月18日 新院第3回展覧会案内/上野公園 府美術館にて 新興美術院 招待券5枚あり 1-904
昭和15年3月19日 第5回京都市美術展覧会 出品確認 京都市長 市村慶三   1-905
昭和15年3月29日 1日早朝、東京駅にて打ち合わせたく、お出かけを願う/なお、時刻については電報にて 大野新吉   1-906
昭和15年3月29日 魚御恵送への御礼/今夏、鋭太郎も墓参のため帰京の予定 熊谷ふさ   1-907
昭和15年3月29日 手紙拝見、30日か31日に参上 旭 亮弘   1-908
昭和15年3月29日 尚刻会第1回展開催 案内、目録/紀伊国屋ギャラリーにて 尚刻会 尚刻会:東京美術学校木彫部 石本光輝外8人 1-909
昭和15年3月30日 山内氏へ申し込みの個展開催日決定/5月21日から25日までの5日間 阪急百貨店美術部   1-910
昭和15年3月30日 第22回朱葉会展覧会開催 案内/白木屋にて 女史洋画朱葉会 顧問:辻永、安井曽太郎、藤田嗣治、有島生馬 1-911
昭和15年3月31日 2600年奉祝展参加連立展について/三越札幌支店での二科会員小品展への出品依頼 二科会 安部治郎吉   1-912
昭和15年3月31日 出発日は4月4,5日に変更/東京駅着時刻は打電にて 大野新吉   1-913
昭和15年3月31日 28日夜行にて当地着、のどかな温泉場にて 河合敏雄   1-914
昭和15年3月 第7回くろも会展覧会開催/資生堂にて くろも会 くろも会:木下寿々子外9人 1-915
昭和15年.~3 春季二科展開催通知/4月10日から14日まで、日本橋高島屋にて 二科会 春季二科展の期日、会場から昭和15年と推定 1-916
昭和15年4月3日 二科会出品の絵を送付、手続きをよろしく/(1)こちらはよいところです、内地に帰る気にならない (2)野間氏の住所お教え下さい 松島 順 宛先住所と竹内部隊から昭和15年と推定 1-917
昭和15年4月4日 来訪の志賀様より、貴兄個展盛況の由伺う/(1)毛筆画展の出品作品、送付のお願い (2)小生、二科春季展出品の予定 濱田葆光   1-918
昭和15年4月4日 手紙投函後、作品到着、山内君へも連絡/作品は全体に渾然とした大味のものに 濱田葆光   1-919
昭和15年4月4日 上京の予定一時取りやめ、改めて連絡 大野新吉   1-920
昭和15年4月5日 電話呼出 (差出人不明)   1-921
昭和15年4月6日 総会開催通知 二科会   1-922
昭和15年4月6日 9年ぶりに作品発表個展を開催/日動画廊にて 矢部友衛   1-923
昭和15年4月6日 『阪急美術』への執筆依頼/(1)5月21日より当店にて個展開催につき、執筆依頼 (2)洋画家として日本画を描く感想など 『阪急美術』編集部 石井太郎   1-924
昭和15年4月10日 庫田画伯近作油画個人展覧会/三昧堂ギャラリーにて 求龍堂 石原龍一、兜屋 西川武郎   1-925
昭和15年4月11日 須田國太郎氏油絵小品展/資生堂画廊にて 飯國二郎   1-926
昭和15年4月12日 会場に集合の連絡/4月14日11時、高島屋にて 二科会   1-927
昭和15年4月12日 第13回構造社展覧会 招待状/上野公園 府美術館にて 構造社   1-928
昭和15年4月13日 作品受付4月15日より 京都市長 市村慶三   1-929
昭和15年4月13日 出品作品、運送店への引き渡しのお願い 大禮記念京都美術館 京都市美術展覧会 預かり証「鵜原 4号」あり 1-930
昭和15年4月14日 転勤通知 林 一郎   1-931
昭和15年4月14日 6日夜四国着、20日迄には帰宅の予定/阪急の宣伝用写真撮影のため、3点ほど届ける予定 濱田葆光   1-932
昭和15年4月15日 第5回京都市美術展覧会陳列品目録/5月1日から15日まで開催 京都市美術展覧会   1-933
昭和15年4月15日 第10回素顔社洋画展覧会開催/紀伊国屋画廊にて 素顔社   1-934
昭和15年4月16日 日本水彩展 招待状/府美術館にて 日本水彩画会   1-935
昭和15年4月17日 『阪急美術』掲載に付、回答依頼/濱田氏からの斡旋にて第2回日本画展開催、感謝 『阪急美術』編集部 山内金三郎   1-936
昭和15年4月19日 近作油絵素描をもって展覧会開催/資生堂画廊にて 伊藤継郎、服部正一郎   1-937
昭和15年4月20日 第3回遠山陽子個展開催/青樹社にて 青樹社   1-938
昭和15年4月20日 佐藤敬画伯近作個人展覧会開催/三昧堂ギャラリーにて 兜屋 西川武郎   1-939
昭和15年4月21日 第27回二科美術展覧会開催日の連絡 二科会   1-940
昭和15年4月21日 出品の件、二科春季展の作品にて結構/阪急での日本画展、楽しみにしております 黒田重太郎   1-941
昭和15年4月22日 画集その他送付、感謝/来月阪急にて個展の由、お出でを待つ 江見恒三郎 「坊主尋常六年」から昭和15年と推定 1-942
昭和15年4月22日 糸満へ向かうが、期待した程の土地でなし/(1)米の配給が1日2合のため、どこの宿屋も3日以上お断り (2)竹屋さんが世話になった大越さんに頼みどうにか落ち着く 玉井安武   1-943
昭和15年4月23日 雑誌、案内状掲載の写真撮影終了/(1)19日作品搬入前に来寧、箱書きをお願い (2)あと2枚横物を描いていただきたく 濱田葆光   1-944
昭和15年4月23日 日本橋三越にて個展明日まで開催/閉会後、有島、中川、野間氏と会食の予定、参加を乞う 東郷青児   1-945
昭和15年4月25日 出品作品「鵜原」到着連絡 京都市美術展覧会   1-946
昭和15年4月25日 昨夜表装の裂地を選定/昨夏頂いた羊歯の緑が鮮やか 濱田葆光   1-947
昭和15年4月25日 27日夜行にて上京、28日早朝の都合は如何か/(1)28日徳富先生宅訪問、千葉で一泊後、荊妻実家を訪問 (2)東京着の時刻は打電する 大野新吉   1-948
昭和15年4月26日 名古屋丸善での展覧会の件 お伺い/阪急閉会後の6月中は如何か 濱田葆光   1-949
昭和15年4月26日 27日水上打湯桧曽塚田別荘に出発 河合敏雄   1-950
昭和15年4月26日 佐々木一郎個展案内/資生堂ギャラリーにて (差出人不明) 紹介文:外山卯三郎 1-951
昭和15年4月26日 第5回京都市美術展覧会開催 案内/一般公開に先立ち、30日に御招待 京都市長 市村慶三 特別観覧券1枚、招待券2枚あり 1-952
昭和15年4月26日   芸艸堂 中身欠 1-953
昭和15年4月27日 アスアサ七ジハンツク 大野新吉 948の関連 1-954
昭和15年4月29日 28日朝、湯桧曽に着、29日上牧に移る/上牧は、この間、河合が行ったところ 北條   1-955
昭和15年4月29日 三ジリョウゴクエキツク 大野新吉 948,954の関連 1-956
昭和15年4月30日 在京中世話になった御礼/(1)口に向くような食料品あれば、何なりと連絡を (2)大阪行きの時、あつらえることにいたし、待っています 大野新吉   1-957
昭和10年・15.4 青丹会第3回絵画展覧会開催/紀伊国屋画廊にて 青丹会 (1)青丹会同人:千葉明外9人 (2)4月15日が月曜日は10,15年から推定 1-958
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昭和15年4月 総陳列替えに付、作品出品伺い 李王家美術館委員会 返信用速達葉書あり 1-959
昭和15年4月 造型新現実第2回展覧会 招待状/紀伊国屋画廊にて 造型新現実協会 開催日時より4月と推定 1-960
昭和15年4月 第2回石山貞勝洋画新作個人展開催/紀伊国屋ギャラリーにて 石山貞勝   1-961
昭和15年4月 春季二科会開催 案内/日本橋高島屋にて 二科会、青樹社 2枚あり 1-962
昭和15年~.4 阿部清定個人展覧会開催/4月2日から4日まで、三昧堂ギャラリーにて 阿部清定 (1)郵送にあらず (2)宛先住所から15年以降と推定 1-963
昭和15年5月2日 奉祝展出品画選考方法について 二科会   1-964
昭和15年5月2日 第3回目の絵、昨日到着、早速表装に/阪急搬入前に、お越しの上、箱書をお願いいたしたく 濱田葆光   1-965
昭和15年5月2日 老夫婦の近状報告/イクチ乾物発見、このような野趣品入用か否か連絡を乞う 牧野彦太郎   1-966
昭和15年5月3日 明後日は汕頭に帰る予定/内地を捨て、汕頭で支那の生活をする 松島 順   1-967
昭和15年5月3日 第3回六萌会展開催 案内/三昧堂画廊にて 鳥羽宗雄 鳥羽宗雄外6人 1-968
昭和15年5月3日 第5回麦陽展開催 案内/紀伊国屋ギャラリーにて 麦陽展 碇井優子外10人 1-969
昭和15年5月4日 安井曽太郎肖像画集 造形芸術5月特集 造形芸術社 「長與博士像素描」安井曽太郎画 1-970
昭和15年5月7日 第1回七洋美術会展覧会開催 案内/新宿三越にて 七洋美術会 竹内英雄外6人 1-971
昭和15年5月7日 春季展覧会開催 案内、目録/青樹社画廊にて 一水会 有島生馬外10人 1-972
昭和15年5月8日 店頭工芸展開催 案内 光玄居 松木喜之七   1-973
昭和15年5月9日 阪急での画会に合わせ、下阪なさっては如何か/(1)21日朝から家内と2人で宮島見物に (2)信時氏の弟子の方に古本屋で探して貰いたいものあり 江見恒三郎 サダメ(恒三郎の娘)の稽古本のメモ 1-974
昭和15年5月9日 白鳳会結成、第1回洋画展覧会開催/青樹社画廊にて 白鳳会 井上 慎外10人 1-975
昭和15年5月10日 第3回杉芽会展開催 案内/紀伊国屋画廊にて 杉芽会 井出祐子外14人 1-976
昭和15年5月13日 18日奈良へのお出で、お待ちしています/サダメの記念として、信時氏のサイン入り原稿が欲しい 江見恒三郎 「21日の晩留守番」と974から昭和15年と推定 1-977
昭和15年5月13日 毛筆画10点御恵送、感謝/21日より阪急にて毛筆画個展開催の由、23日に拝見 木村定三 (1)994へと続く (2)994より昭和15年と推定 1-978
昭和15年5月13日 川俣渓谷にてハイキング 鈴木國威外4人 橋本光雄、杉本孝一、徳永秀夫、森 1-979
昭和15年5月14日 18日来寧の旨、拝承/最後の分も表装が終わり、17日に届く予定 濱田葆光 第2回の阪急展から昭和15年と推定 1-980
昭和15年5月14日 『日本美術年鑑』への記載内容確認/美術研究所編纂出版物 美術研究所   1-981
昭和15年5月15日 第5回京都市美術展覧会開催に関して御礼 京都市長 市村慶三   1-982
昭和15年5月15日 日高昌克第3回個人展覧会開催 案内/作品目録 美術工芸学院 (1)宛名:なし (2)封筒欠 (3)絵葉書:「尾長鳥」日高昌克画 1-983
昭和15年5月17日 野口彌太郎氏近作個人展覧会開催 案内/資生堂ギャラリーにて 求龍堂 石原龍一、兜屋 西川武郎 絵葉書:「摩周湖」野口彌太郎画 1-984
昭和15年5月20日 奥様の病中、最も会心なる物、送付します/夏みかんに砂糖をかけて多量に食したところ、天罰あり 牧野彦太郎   1-985
昭和15年5月20日 第9回五月会油絵展覧会開催/青樹社画廊にて 五月会 飯島一次外6人 1-986
昭和15年5月21日 世界児童画名作展開催/高島屋にて 久保貞次郎 海軍協会、輝ク部隊、読売新聞社連名 1-987
昭和15年5月23日 元気で毎日絵を描き、支那の生活を送る 松島 順 (1)絵葉書:「南支東江下流峡口夕景」長谷川春子画 (2)宛先住所と竹内部隊から昭和15年と推定 1-988
昭和15年5月23日 新自然派協会春季展覧会開催/菊屋ギャラリーにて 新自然派協会   1-989
昭和15年5月24日 小誌「芸園」への回答依頼 芸園社   1-990
昭和15年5月24日 第2回個人展覧会開催/資生堂ギャラリーにて 熊谷九壽   1-991
昭和15年5月28日 無事御帰京のことと拝察/(1)岩本氏宅の群鳥図に負けないものが欲しい (2)画の代金は精算の上、報告 濱田葆光   1-992
昭和15年5月28日 (版画)暑中見舞/汕頭(SWATOW)、陸軍軍医少尉 松島 順 松島 順 宛先住所と竹内部隊から昭和15年と推定 1-993
昭和15年5月30日 阪急にて個展拝見/(1)名古屋丸善にて、11月頃に先生の個展を依頼 (2)九州の坂本繁二郎氏に6号ほどの馬の絵を頼んで欲しい 木村定三   1-994
昭和15年5月30日 現代美術代表作展示のため御支援を乞う 京都市長 市村慶三   1-995
昭和15年5月31日 加治屋隆二琉球作品発表展開催/日動画廊にて 日動画廊   1-996
昭和10年・15.5 律動第4回展開催/紀伊国屋画廊にて 律動展事務所 5月14日が火曜日は昭和10年、 15年から推定 1-997
昭和15年5月 第5回京都市美術展覧会への出品御礼 第五回京都市美術展覧会審査委員会 大橋孝吉外5人 1-998
昭和15年5月 佐々木宗一郎・藤田久子結婚披露宴招待状 佐々木トメ、藤田實雄・静葉 (1)媒酌人:田口省吾 (2)郵送にあらず 1-999
昭和15年5月   二六新報社文芸部 清水憲太郎 (1)「記事掲載」の印あり (2)中身欠 1-1000
昭和15年5月 第2回熊谷守一画伯日本画展開催/5月21日から25日まで 阪急百貨店 (1)宛名:なし (2)案内状 1-1001
昭和15年5月 スタンドバー開店の案内 スタンドバー壹番館 石野二郎 宛先住所と5月14日が火曜日から昭和15年と推定 1-1002
昭和15年5月 第4回海洋美術展覧会 招待状 海洋美術界、海軍協会、朝日新聞社 東郷元帥景仰講演会入場券あり 1-1003
昭和15年5月 小林徳三郎画伯近作油絵展覧会開催/三昧堂ギャラリーにて 三昧堂美術部   1-1004
昭和15年5月 塑人会結成、第1回展開催/紀伊国屋ギャラリーにて 塑人会   1-1005
昭和15年5月 野間仁根画伯個展開催/5月14日から17日まで 日動画廊 長谷川仁 1010と関連(千早町)、5月14日が火曜日から昭和15年と推定 1-1006
昭和15年5月 第3回同人展開催/紀伊国屋にて 烏事務所 同人:越智正人外11人 1-1007
昭和15年5月 紀元2600年奉祝日本画大展覧会開催/府美術館にて 東京日日新聞社 招待券3枚あり 1-1008
昭和15年5月 留加会第10回展覧会開催/上野松坂屋にて 留加会   1-1009
昭和15年5月 (表:野間仁根画伯個展 日動画廊) 野間仁根 (1)中身欠 (2)1006と関連、宛先住所から昭和15年と推定 1-1010
昭和15年6月1日 紀元2600年奉祝美術展覧会出品依頼 文部省専門学務局学芸課内第二部準備委員 有島生馬外8人 委員:有島、石井、梅原、小杉、中澤、藤島、南、安井、山下 1-1011
昭和15年6月2日 結婚通知 山本直武 宛名:秀子も併記 1-1012
昭和15年6月4日 奉祝展二科氏名出品者氏名 二科会 中野安治郎外37人、その外、会友、会員、受賞者、合計110人 1-1013
昭和15年6月5日 松平康南滞欧作品展覧会開催 青樹社画廊 小林萬吾の紹介文あり 1-1014
昭和15年6月8日 清里にて1週間ほど滞在予定/小林君が先生を誘いに行くやも知れず 杉本孝一   1-1015
昭和15年6月9日 題材を求めて満州を旅、近く帰京/先日ロシア菓子、少々送付 野村守夫 (1)康徳7年:昭和15年 (2)絵葉書:大同公園内 1-1016
昭和15年6月10日 畑作、武徳会、野球外近況報告/(1)少年武徳会の会歌、信時氏に依頼 (2)信時氏の作曲の草紙頂戴の件もよろしく 江見恒三郎   1-1017
昭和15年6月12日 今夏、南洋への絵画制作旅行を計画/(1)個展にて、費用調達いたしたく、賛助の名前拝借お願い (2)7月20日頃先生宅を訪問の予定 水野富三 現賛助員名:愛知県愛国神社社司 野々山彬氏外4名 1-1018
昭和15年6月12日 (絵葉書在中) 松島 順 宛先住所と竹内部隊から昭和15年と推定 1-1019
昭和15年6月13日 国枝君の個展を拝見、頗る盛況にて/(1)安井氏と阪急の紅梅2枚、郵送をお願い (2)過日の画帳の御礼が届いたので、送付 濱田葆光 1031の紅梅の画から昭和15年と推定 1-1020
昭和15年6月14日 洋画新作展覧会開催/白木屋美術部にて 沼田一郎   1-1021
昭和15年6月15日 払出通知票(二科会 安部治郎吉より)/春季展売約金150円-45円(手数料)=105円 二科会 安部治郎吉   1-1022
昭和15年6月17日 音楽の本到着、代金同封/少年武徳会の会歌、信時氏にお頼みお願い 江見恒三郎   1-1023
昭和15年6月19日 信時氏より少年武徳会会歌頂きました 江見恒三郎   1-1024
昭和15年6月21日 (絵葉書在中)茘枝の実 松島 順 封筒欠 1-1025
昭和15年6月22日 (絵葉書在中) 松島 順 宛先住所と竹内部隊から昭和15年と推定 1-1026
昭和15年6月22日 帰郷後、御指導を生かし全力で制作中/藤田先生、御帰朝とのこと、住所を知りたい 旭 亮弘   1-1027
昭和15年6月24日 (絵葉書在中)枝豆の季節となりました 松島 順 宛先住所と竹内部隊から昭和15年と推定 1-1028
昭和15年6月26日 今夏水不足、親族の火事にてお宿され御見舞/(1)子ども、大兄の鍾馗の噂を時々する (2)表具師より紅梅図のことで尋ね参る 濱田葆光   1-1029
昭和15年6月28日   二科会 中身欠 1-1030
昭和15年6月28日 本日、紅梅その他作品到着、御礼/(1)群鳥の図は岩本氏のものとはまた違う趣 (2)紅梅の図は表装の上、安井氏と阪急百貨店に届ける予定 濱田葆光   1-1031
昭和15年6月28日 木村定三氏希望の雀の画、承知/待望の雨にて、田植え風景、最近外米3割食始まる 坂本繁二郎   1-1032
昭和15年6月29日 送金御案内状(6月分御支払) 阪急百貨店帳簿係   1-1033
昭和15年6月 第1回二六会 展覧会開催招待状/紀伊国屋にて 二六会事務所 細小路真外11人 1-1034
昭和15年7月1日 研究所、7~8月休業に付連絡/9月より御指導、お願いいたしたく 小林源太郎   1-1035
昭和15年7月7日 藤田氏帰京の連絡/明日8日、冨士号にて、東京駅午後3時25分着 二科会   1-1036
昭和15年7月10日 上京の折お願いの紙本半折2点至急御揮毫 尚古堂画廊 有賀宮一郎   1-1037
昭和15年7月11日 訃報(夫牧野彦太郎死去) 牧野たか、三尾太伝次 宛名:秀子も併記 1-1038
昭和15年7月11日 個展の砌、追加1点、その後顧客より音沙汰なく/追加(紅梅=扇面の分) 阪急百貨店美術部 松浦   1-1039
昭和15年7月15日 7月20日石打行、是非御参加を/夜10時35分上野発、同勢約5,6人 河合敏雄   1-1040
昭和15年7月15日 応召入隊通知 鈴木十五郎   1-1041
昭和15年7月15日 先生の好きな山芋を送ります 旭 亮弘   1-1042
昭和15年7月18日 先日の訪問の御礼、拙宅へのお越しを待つ 小川勝蔵   1-1043
昭和15年7月19日 暑中見舞 岩村 博   1-1044
昭和15年7月20日 特殊郵便物受領証 熊谷守一 宛名:有賀宮一郎 1-1045
昭和15年7月22日 暑中見舞 林 一郎、愛枝   1-1046
昭和15年7月23日 『画室』後援誌代として6円振込お願い 画室社 山本廣洋   1-1047
昭和15年7月24日 紅梅図表装終わり、阪急と安井氏へ持参/(1)小生も日々制作 (2)阪急の分の代金は、阪急より御届けにて 濱田葆光   1-1048
昭和15年7月27日 6月初旬東京発、満州へ/新京、ハルピン、承徳へと巡る 富樫寅平 (1)康徳7年:昭和15年 (2)絵葉書:承徳 1-1049
昭和15年7月29日 昨日、野間さんから絵について注意いただく/二科会も近くなってきました 松島 順 (1)竹内部隊から昭和15年と推定 (2)絵葉書:汕頭 1-1050
昭和15年8月1日 二科名古屋展覧会開催決定の通知/10月11日より鶴舞公園公會堂にて 大阪朝日新聞社名古屋支社   1-1051
昭和15年8月1日 作品3点完成、8月5日頃上京の上、御指導を乞う/春の上京の際の御指導を生かし制作 旭 亮弘   1-1052
昭和15年8月2日 暑中見舞 上田 暁   1-1053
昭和15年8月4日 奥さんの体の調子、如何か/過日の訪問の御礼 大野新吉   1-1054
昭和15年8月4日 結婚挨拶 伊藤成一、キヨ 宛名:秀子も併記 1-1055
昭和15年8月5日 昨日の訪問の御礼/突然、武谷氏と訪問いたし 梨本正太郎 絵葉書:「午後の花畠」梨本正太郎画 1-1056
昭和15年8月5日 藤田嗣治・東郷青児氏顧問辞退に付通知 九室会   1-1057
昭和15年8月5日 展覧会日定予定表、総会通知 二科会 1059も同封(一括)してあった 1-1058
昭和15年8月5日 本日、古い会員達の集いあり/正宗氏より重大な申し出あり 野村金三、黒田重太郎 1058に同封(一括)してあった 1-1059
昭和15年8月6日 8月8日に訪問、御指導のほどお願い/作品を持ってお伺いの上、 福原俊二   1-1060
昭和15年8月7日 暑中見舞、長崎から壱岐に/故郷で絵を描く毎日、1年あまりで上京の予定 山口幹雄   1-1061
昭和15年8月7日 暑中見舞 画楽里 吉田勝蔵   1-1062
昭和15年8月8日 二科展出品作品3点送付、御高配を乞う/本年は二科会福岡開催の風聞を聞き、努力 田中太郎   1-1063
昭和15年8月9日 二科展に3点出品、会場にて御指導を乞う/昨年の御批評を目標にして1年間努力 田中優紀子   1-1064
昭和15年8月12日 島民をモデルに制作中/赤松氏もここに滞在していたとのこと 水野富三 (1)宛名:秀子も併記 (2)絵葉書:ヤップ島部落の男女 1-1065
昭和15年8月13日 まだ疲労感激しく、手紙も書けない状態/(1)四国を10日ほど旅行するも制作できず (2)御見舞の小包を送る、手に入らぬ食物は御連絡を 由井覚郎 宛名:秀子も併記 1-1066
昭和15年8月13日 二科会より兄作ランプ出品の勧誘あり、承諾/荷造りの箱出来次第発送、絵は額縁なしにて 櫛田利雄   1-1067
昭和15年8月13日 生誕60年記念展に当たり、所蔵品出陳を承諾/二科会よりは「烏」「富士山」を指定、他も遠慮なく 山本発次郎   1-1068
昭和15年8月14日 暑中見舞 雑賀文子 絵葉書:「罌粟」雑賀富美子画 1-1069
昭和15年8月14日 還暦記念陳列の画、仙台から送付/昨年より当地に居住、留守番のものに送付させる 竹添いち子   1-1070
昭和15年8月15日 さだめ、帰りにお寄りせず失礼しました/昨日(二科会に)絵を送る 江見あさ子   1-1071
昭和15年8月15日 還暦記念陳列の画、所在不明にて/二科会にも出品不能の回答をする 岡 四郎   1-1072
昭和15年8月16日 還暦記念展の拝借品、20点を超し盛会に 二科会 安部治郎吉   1-1073
昭和15年8月16日 会田、高島氏、都合附かず/8号の作品、1905年の年号あり、額縁を付ける 石川確治   1-1074
昭和15年8月17日 小生帰郷のため、作品搬入は友人にて/10日ほど山の方へ 福原俊二   1-1075
昭和15年8月18日 平市に帰り、絵の勉強中/会への搬入依頼も済みました 高瀬勝男   1-1076
昭和15年8月18日 二科出品の風景画、値段連絡を/(1)デッサン風の裸、頂く予定 (2)出陳作を取りに出掛ける日時、決まったら連絡を 田村謹寿   1-1077
昭和15年8月18日 問い合わせの画、旧作、当方には在らず/5,6年前の「横たわる裸婦」在り、取りに来るように (差出人不明)   1-1078
昭和15年8月21日 先生宅への訪問の御礼/トウモロコシを送付、今からまた明年の出品作制作 旭 亮弘   1-1079
昭和15年8月21日 本夕、鉄道便にて鮎一匹送付/残暑中、病人の静養を願う 大野新吉   1-1080
昭和15年8月22日 今後、二科展出品を中止/新たな方向より精進の所存 廣幡 憲   1-1081
昭和15年8月23日 日記代わりのスケッチをする毎日 松島 順 (1)竹内部隊から昭和15年と推定 (2)絵葉書:汕頭中山公園 1-1082
昭和15年8月23日 日本画、洋画の無涯社展開催計画中/(1)大阪「美術と趣味」社の高山辰三氏と共催 (2)先生の御快諾を得たい 日動画廊 長谷川仁   1-1083
昭和15年8月25日 二科展に2点入選の御礼/27日から始業、明日学校へ帰る予定 旭 亮弘   1-1084
昭和15年8月27日 牧野彦太郎死去に際し、弔慰御礼 牧野たか   1-1085
昭和15年8月28日 指導のお願い/(1)一面識もない者から大変失礼ながら (2)官庁に勤務する傍らに絵の勉強、二科展落選の経験あり 福村友吉 内容から1131に関連、昭和15年と推定 1-1086
昭和15年8月29日 スケッチを重ねる内に支那の実生活の味をつかむことでしょう/言葉もほとんど習ったので、中国人の友達もいる 松島 順 絵葉書:汕頭 外馬路 1-1087
昭和15年8月29日 お尋ねの「雨乞山」は友人に贈呈/(1)中学時代の友人、坂村養三氏に贈呈 (2)入用ならば、二科より交渉してください 信時 潔 宛名:秀子も併記 1-1088
昭和15年8月29日 風景と立裸婦を250円で如何か/(1)それでよろしければ御持参下さい (2)二科も新体制とかでゴタゴタしているようですが 田村謹寿   1-1089
昭和15年8月30日 愚作への御後援、御配慮の御礼/還暦の御祝い 峰岸義 596に「峰岸義一」あり 1-1090
昭和15年9月2日 新毛筆画展開催の件、如何か/木村氏も希望、御都合連絡を乞う 名古屋丸善支店美術部 市内   1-1091
昭和15年9月2日 二科展招待券送付の御礼/(1)7月に北アルプスへ、8月に東北の山へ登山 (2)だいぶ、山の絵を描く 内野 猛 絵葉書:槍ヶ岳写真 1-1092
昭和15年9月3日 二科展並びに還暦祝賀展拝見の予定/丸善での日本画個展、今から楽しみに 木村定三 還暦祝賀展、丸善個展から昭和15年と推定 1-1093
昭和15年9月5日 兄上の還暦、御祝い/(1)直彦の碑を建てたく、揮毫お願い(母と同寸法) (2)たまには慰問状を下さい 熊谷敏子 絵葉書:大日岳トンネル 1-1094
昭和15年9月6日 突然の参上と御指導に対する御礼/煙草、数が揃いましたら送付します 矢田部 艶   1-1095
昭和15年9月6日 新体制についての講演会開催案内/陸軍情報部 鈴木庫三少佐講演 新日本美術連盟   1-1096
昭和15年9月7日 非公開     1-1097
昭和15年9月8日 二科会の切符送付、御礼/兄は7月から2ヶ月ほど、北支に慰問へ 日置昭子 「叔母」とあり 1-1098
昭和15年9月9日 12日に府美術館にてお目にかかりたく 木村定三 (1)1108へと続く (2)1108より昭和15年と推定 1-1099
昭和15年9月9日 海軍従軍美術展覧会開催 案内/日本橋白木屋にて、東京日日新聞社共催 海軍協会、東京日日新聞   1-1100
昭和15年9月9日 お申し越しの件、承知/主人に代わり、挨拶 小河清太郎内   1-1101
昭和15年9月10日 6日晩当地着、1ヶ月ほどで帰京予定/西田は1ヶ月したら帰京するようにと言って、昨夜帰京 佐藤美代子 (1)宛名:秀子も併記 (2)西田:西田義郎か (3)「西田美代子」の手紙あり 1-1102
昭和15年9月10日 名古屋の毛筆画展、必要なら手伝いを/(1)先般の阪急展覧会の表装代、お目にかけます (2)二科会の紛糾、上に立つ者の難しきこと痛感 濱田葆光 名古屋丸善での個展から昭和15年に推定 1-1103
昭和15年9月10日 東京の家、何ら差し支えなく、御用渡の上、返送 庄司乙吉   1-1104
昭和15年9月14日 突然の参上にも関わらず、御厚情を賜り感謝 小笠原吉郎   1-1105
昭和15年9月14日 紀元2600年奉祝美術展覧会、出品申込書 二科会 未使用 1-1106
昭和15年9月17日 陸軍の嘱託として北支方面に従軍/2ヶ月ほど北京を中心に活動し、帰国の予定 宮本三郎   1-1107
昭和15年9月18日 二科展、院展、新制作展等案内、御礼/(1)今年の院展より名作を求むるは難事 (2)先生の秋の個人展に皆期待 木村定三 秋の個人展より昭和15年と推定 1-1108
昭和15年9月20日 貴兄の記念展拝見いたしたく、昨日上京/有島氏所蔵の「女の顔」譲っていただきたく、依頼 山本発次郎 1144と関連 1-1109
昭和15年9月23日 昨日二科より貴作15点返送/(1)内、藤井君より貰った裸婦「海」は貴兄へ返却 (2)記念展出陳の風景は、見せていただきたく 田村謹寿   1-1110
昭和15年9月23日 転居通知(36年間在住の天草を引き払い) 高木 巌   1-1111
昭和15年9月24日 紀元2600年奉祝展覧会開催/三越にて 旺玄社   1-1112
昭和15年9月25日 名士寄贈書画即売会開催に付、揮毫依頼 大阪毎日新聞社、東京日日新聞社   1-1113
昭和15年9月27日 近作個人展覧会開催/銀座資生堂にて 雑賀文子   1-1114
昭和15年9月27日 貴下出品の作品陳列の決定連絡/奉祝美術展覧会委員長 細川護立 紀元2600年奉祝会 文部大臣:橋田邦彦、奉祝会長:近衛文麿 1-1115
昭和15年9月27日 本校設置記念式典挙行の案内/併せて森井、八代両教授25年勤続祝賀式挙行 東京美術学校長 澤田源一   1-1116
昭和15年9月28日 奉祝展への出品取り下げについて連絡/会員、会友外で出品者の内19点について 二科会 封筒欠 1-1117
昭和15年9月28日 第2回展「立型」開催/三昧堂にて 松島正人 劉 啓祥外4人 1-1118
昭和15年9月28日   (差出人不明) 中身欠 1-1119
昭和15年9月29日 奉祝展への出品取り下げについて連絡/会員、会友外で出品者の内19点について 二科会 1117と同一 1-1120
昭和15年9月30日 主人、南洋へ出掛け、未だ帰らず/東京にいるようでしたら、連絡を乞う 水野しず 主人:水野富三 1-1121
昭和15年9月30日 大阪の展覧会、来阪をお待ちしています/(1)川上兄も演奏旅行のため来阪、打出で会見は如何か (2)川上全次君応召、何か消息、お聞きでしたか (3)信時氏、吉川君は如何ですか 江見恒三郎   1-1122
昭和15年9月 第2回一星会油画展覧会開催 美交社 封筒欠 1-1123
昭和15年10月2日 丸善(新毛筆画展)の画は如何か/(1)奉祝展での二科の作品、厳選のようですが如何か (2)奉祝展観覧のため上京、併せてお邪魔の予定 濱田葆光   1-1124
昭和15年10月2日 二科会の招待券、送付の御礼/7月末より支那にて行軍の慰問、昨30日帰宅 日置 静 (1)絵葉書:芝罘の刺繍 (2)妹:日置昭子 1-1125
昭和15年10月3日 画集の進行は如何か/(1)写真はあまり芳しくない出来ですが、御覧下さい (2)今日、朝鮮に発ち、11月下旬に帰京の予定 栗原 信   1-1126
昭和15年10月3日 「ランプ」確かに受け取りました/額縁が附いてきたが、如何取り計らったらよろしいか 櫛田利雄   1-1127
昭和15年10月7日 内藤■(金+辰)策氏の歌絵展開催/内藤■(金+辰)策、藤原竹汀個展目録 小林源太郎   1-1128
昭和15年10月7日 100号5点、50号2点制作中/3月末に上京して、指導を仰ぎたい 旭 亮弘   1-1129
昭和15年10月8日 個人展開催 案内 石川真五郎   1-1130
昭和15年10月9日 指導承諾の返事に対する御礼/近く上京の予定 福村友吉   1-1131
昭和15年10月10日 墓石への揮毫承諾に対し御礼/(1)帰りに西野町の小母様に会う (2)牧野多阿様もお一人にて寂しくお暮らしのこと 熊谷敏子 (1)牧野多阿:牧野多香のことか (2)封筒表に「熊谷家之墓」と墨書 1-1132
昭和15年10月11日 「奉祝展号」発刊に際し、作品撮影の許可願い 朝日新聞東京本社 出版局編集部   1-1133
昭和15年10月12日 阿部さん宅での先生の御祝いの会、欠席お詫び/山中湖にて写生中、帰宅後知る 小川勝蔵   1-1134
昭和15年10月14日 第8回秋香会展覧会開催/紀伊国屋にて 秋香会同人   1-1135
昭和15年10月14日 柏舟社第2回展覧会開催/資生堂画廊にて 柏舟社 伊藤仁三郎外5人 1-1136
昭和15年10月14日 清里写生旅行の件、連絡/杉本君がお伺いしたはずですが、念のため 鈴木國威 参加予定:安部、梅原、佐々木、小林、杉本、鈴木 1-1137
昭和15年10月14日 大阪二科小品絵画展 出品要項 二科会 出品目録用紙あり 1-1138
昭和15年10月14日 葉書拝見、今年は還暦展を開催され/(1)小生2年続けて二科への出品御無沙汰 (2)名古屋木村氏の件、失礼を重ねておりよろしく 坂本繁二郎   1-1139
昭和15年10月14日 新水彩協会展第2回開催 出品お願い/菊屋ギャラリーにて 新水彩協会   1-1140
昭和15年10月15日 書画恵与快諾に対し、御礼/御揮毫用紙を別便にて送付 大阪毎日新聞社、東京日日新聞社   1-1141
昭和15年10月17日 大阪高島屋小品展中止の連絡 二科会   1-1142
昭和15年10月18日 南洋旅行、御世話になり御礼/(1)2600年奉祝展拝見、展示作品への批評 (2)南洋作品展、丸善にて開催予定 水野富三 復信:展覧会の感想を希望 1-1143
昭和15年10月19日 美意子さんの肖像、山本氏への売却確認/(1)阪急の山田金三郎氏を通して神戸の山本氏依頼 (2)熊谷は相変わらず貧乏にて、500円で交渉 有島生馬 (1)1109の件 (2)裏書「僕の「肖像」ハ未だ届かない」とあり 1-1144
昭和15年10月20日 牧野虎雄画伯近作展覧会開催/三昧堂ギャラリーにて 西川武郎   1-1145
昭和15年10月20日 非公開     1-1146
昭和15年10月20日 16日に当地着、相当描くところ在り/21日に帰る予定 河合敏雄 絵葉書:夏の新鹿沢風景 1-1147
昭和15年10月21日 池田淑人作品発表展/自宅にて 池田淑人 封筒裏に「雨田」の朱印あり 1-1148
昭和15年10月21日 冬の鮮満支を1ヶ月写生したく出発 沼田一郎   1-1149
昭和15年10月21日 松茸少々送付、御賞味下されたく/名古屋の二科展、今から楽しみに 大野新吉   1-1150
昭和15年10月22日 第2回六芸会展開催 案内/資生堂ギャラリーにて 六芸会事務所 『六芸会』同封 1-1151
昭和15年10月22日 先日の写生旅行の御礼/美しの森で撮った写真送付 佐々木宗一郎 (1)封筒欠 (2)1137から昭和15年と推定 1-1152
昭和15年10月24日 みづゑが「ひまわり」「富士」を借りに来た/(1)今度お出での時は、箱書をお願いしたい (2)奉祝展出陳の「畝傍山」について、貴兄の評価を聞きたい 田村謹寿 みづゑ:出版社(小石川区) 1-1153
昭和15年10月24日 第27回二科美術展覧会、小出楢重遺作展覧会開催 大阪市立美術館長 市川 寛 優待券1枚、招待券5枚あり 1-1154
昭和15年10月25日 安部治郎吉油絵展覧会開催/菊屋ギャラリーにて 安部治郎吉   1-1155
昭和15年10月25日 奉祝美術展覧会京都陳列会前・後期案内 京都市長 加賀谷朝蔵 特別観覧券1枚、招待券2枚あり 1-1156
昭和15年10月26日 第2回展覧会開催/三昧堂画廊にて 国土会 国土会:伊東 種外8人 1-1157
昭和15年10月28日 『改造』12月号の扉絵と目次カットの依頼 改造社『改造』編集部 山村一平   1-1158
昭和15年10月28日 丸善での個展、12月3日より5日間に決定/個展とは別に、不動、仏の画を希望 木村定三   1-1159
昭和15年10月28日 畝傍山、5,60円で譲ってくれませんか/徳富蘇峰先生の詩と共に家宝としたい 大野新吉   1-1160
昭和15年10月29日 毛筆画展、12月3日よりに変更の連絡/木村様に非常に御助力を頂いている 丸善美術部 木内憲次   1-1161
昭和15年10月29日 中井宗太郎氏講演会開催/『奈良朝藤原より鎌倉に至る美術に就いて』 新日本美術連盟   1-1162
昭和15年10月29日 第1回個人展開催 佐藤一章   1-1163
昭和15年10月29日 先日お願いした墓碑揮毫、よろしく/来る8日に法要、お越し頂けるならお知らせ下さい 熊谷敏子 宛名:秀子も併記 1-1164
昭和15年10月29日 還暦を祝う会開催/11月5日開催 熊谷氏祝賀会発起人一同 添え書きあり「小品5点売れる」 1-1165
昭和15年10月29日 思い立って先月末から鮮満旅行中/画題として別段興味を引くものはなし 森 繁 (1)絵葉書:ハルピン街 (2)康徳7年:昭和15年 1-1166
昭和15年10月30日 17日京城駅着、売れる絵を5点描きたい/粟原信氏が、こちらで仕事をしているそうです 玉井安武 宛名:秀子も併記 1-1167
昭和15年10月30日 第2回展覧会開催/紀伊国屋にて 美萌社事務所 矢田部艶 美萌社:伊澤二二子外26人 1-1168
昭和15年10月31日 更生キャンバス部新設の通知 精美社 船岡廣炊   1-1169
昭和15年10月 紀元2600年奉祝美術展覧会後期開催/規則、出品申込書、出品預かり証 紀元二千六百年奉祝美術展覧会事務所   1-1170
昭和15年11月1日 甲斐巳八郎日本画個人展覧会開催/菊屋ギャラリーにて 甲斐巳八郎   1-1171
昭和15年11月1日 紀元2600年記念正倉院御物特別展開催 帝室博物館 博物館総長:渡辺 信 1-1172
昭和15年11月3日 移転通知 高橋迪章 1829と関連 1-1173
昭和15年11月5日 直土会更新声明並びに趣旨 直土会事務所 直土会会員:建畠大夢外 1-1174
昭和15年11月5日 日本パステル作家協会結成 日本パステル作家協会   1-1175
昭和15年11月5日 長尾嶽陽翁頒徳碑建碑式挙行案内 嶽陽会 返信用葉書あり 1-1176
昭和15年11月5日 「センゼノカンレキヲイワフ」(先生の還暦を祝う) タマ 熊谷氏還暦祝賀会に関連 1-1177
昭和15年11月6日 大阪二科展開催、9日に出品者の懇親会/(1)懇親会には鍋井、正宗、東郷氏ら参加予定 (2)丸善の毛筆画展、木村氏の助力を得て慶賀 (3)京都で奉祝展を見て、鍋井、黒田、国枝氏と会う予定 濱田葆光   1-1178
昭和15年11月6日 日本パステル作家協会展開催/銀座松坂屋にて 日本パステル作家協会 飯島誠二郎外6人 1-1179
昭和15年11月8日 歳末厚生週間開催に付、揮毫お願い 朝日新聞社会事業団 名古屋支部   1-1180
昭和15年11月10日   東京朝日新聞社会事業団 歳末厚生週間係 中身欠 1-1181
昭和15年11月10日 第1回研究会展覧会開催/紀伊国屋にて 研究会 岩橋英遠外13人 1-1182
昭和15年11月10日 第2回漆絵展覧会開催/上野松坂屋にて 日本漆絵協会 片山佳吉外6人 1-1183
昭和15年11月11日 第2回新水彩展開催/菊屋ギャラリーにて 新水彩協会 石野 隆外18人 1-1184
昭和15年11月11日 画集は12月中にまとめたく/表紙を今月20日までに、写真もお送り下さい みづゑ 大下正男   1-1185
昭和15年11月12日 長澤昇 洋画第1回展開催 長澤 昇   1-1186
昭和15年11月12日 原稿の件でお騒がせ、お詫び/速達便の原稿を発見、新たに頂いた方を12月号に、前のは新年号に掲載の予定 改造社 山村一平   1-1187
昭和15年11月13日   (差出人不明) 中身欠 1-1188
昭和15年11月15日 12日送付の毛筆画24点未だ届かず/丸善木内君、個展目録早めに知りたい由 木村定三   1-1189
昭和15年11月15日 上京の際、訪問いたし、感謝/(1)来年春、作品持参の上、上京の予定 (2)奉祝美術展優待券の返送、金沢名物の送付 福村友吉   1-1190
昭和15年11月16日 先日お邪魔いたし、感謝/明石君、柏崎氏デザインによる琉球濤器展開催中 今井完樹、明石哲三   1-1191
昭和15年11月17日 12日付小包、本日到着/木内君によれば、展覧会は丸善にて3日から7日に開催の予定 木村定三 1189と関連、昭和15年と推定 1-1192
昭和15年11月17日 在京中、御世話になり御礼/先日無事帰郷 崔性?   1-1193
昭和15年11月17日 奉祝美術展覧会への御協力、御礼 京都市長 加賀谷朝蔵   1-1194
昭和15年11月18日 東京毎夕新聞社、退職挨拶 田澤良夫   1-1195
昭和15年11月21日 第4回着彩写真展覧会開催/日本カラーグラフ同好会 レートン絵具株式会社 東京出張所   1-1196
昭和15年11月21日 移転通知 津田周平   1-1197
昭和15年11月21日   美術文化協会 中身欠 1-1198
昭和15年11月22日 先日朝よりお邪魔いたし、感謝/21日柿少々、鉄道便にて送付 高瀬勝男   1-1199
昭和15年11月23日 展覧会間近、御下名はいつ頃か/新聞社方面の招待日など連絡を請う 丸善名古屋支店美術部 木内憲次 「陳列可能壁面図」あり 1-1200
昭和15年11月23日   求龍堂 石原龍一、兜屋 西川武部 (1)中身欠 (2)表書「油絵展観図録在中」とあり 1-1201
昭和15年11月24日 旅館案内/写生に、避寒に、釣りに 真崎屋旅館 岩崎彦左衛門   1-1202
昭和15年11月24日 16日は失礼をして申し訳なく/博物館にて、作品を拝見 小笠原吉郎   1-1203
昭和15年11月25日   美交社 (1)中身欠 (2)表書「石井柏亭近作展覧会目録」とあり 1-1204
昭和15年11月25日 山の油絵展覧会開催/三昧堂ギャラリーにて 内野 猛(碧山)   1-1205
昭和15年11月25日 ニタ・マリー・サンチラン(上永井正夫人)油画個人展覧会開催 ニタ・マリー・サンチラン油画個人展覧会   1-1206
昭和15年11月26日 火災保険契約満期通知 明治火災海上保険株式会社   1-1207
昭和15年11月26日 奉祝展出品画、売って欲しいとの連絡在り/目下個展準備中に付、多忙 石川確治 添え書き「返信を先方に」とあり 1-1208
昭和15年11月26日 美意子さんの肖像、山本氏へ送付/(1)いずれ金500円送金あるはず (2)仲介は阪急百貨店山内金三郎氏にて 有島生馬   1-1209
昭和15年11月26日 ニタ・マリー・サンチラン(上永井正夫人)油画個人展覧会開催/青樹社画廊にて 藤田嗣治   1-1210
昭和15年11月27日 展覧会目録、到着したので早速手配/(1)木村氏方に送付の作品、出来上がった由 (2)下名の際、宿所の手配は如何に (3)12月2日夜、新聞社の招待を予定 丸善株式会社 木内憲次   1-1211
昭和15年11月27日   水彩連盟 中身欠 1-1212
昭和15年11月28日 先日突然お邪魔いたし、感謝 美交社 美津島一   1-1213
昭和15年11月28日 物故洋画家叢書発刊に付、人選依頼 アトリエ社   1-1214
昭和15年11月30日 表紙と写真、落手、「みづゑ」は明日送付 みづゑ 大下正男 絵葉書:「向日葵」八藤勅人画 1-1215
昭和15年11月30日 歳末厚生週間の揮毫承諾への御礼 朝日新聞社会事業団 名古屋支部   1-1216
昭和15年11月 歳末厚生週間への御揮毫お願い 東京朝日新聞社会事業団 封筒欠 1-1217
昭和15年11月 第2回二六会洋画展開催/紀伊国屋にて 二六会 細小路 真外11人 1-1218
昭和15年11月 材料別送連絡 大阪朝日新聞社会事業団 歳末厚生週間係 封筒欠 1-1219
昭和15年11月 紀元2600年奉祝美術展覧会図録刊行案内 審美書院 予約申込書あり 1-1220
昭和15年12月1日 歳末厚生週間に御寄贈の色紙、受領 東京朝日新聞社会事業団 歳末厚生週間係   1-1221
昭和15年12月2日 訃報(妻澄子死去) 北澤定一 康徳7年:昭和15年 1-1222
昭和15年12月2日 火災保険引き続き契約に付、御礼/同封の振替用紙にて送金のお願い 明治火災保険株式会社 峰田八良 封筒欠 1-1223
昭和15年12月2日 信時潔氏の住所、知りたし 大下正男 「みづゑ」 1-1224
昭和15年12月2日 第2回鈴木信太郎油絵個人展覧会開催 高島屋美術部   1-1225
昭和15年12月3日 御寄贈品御請書一色紙 1点 大阪朝日新聞社会事業団   1-1226
昭和15年12月4日 奉祝展出陳「畝傍山」、購入者在り/まだ手元にあらば、値段明記の上、作品の送付を乞う 神戸画廊 大塚銀次郎 1228も同封してあった 1-1227
昭和15年12月15日 「オテガミハイケンウネビヤマオオクリオコフ」 神戸画廊 大塚銀次郎 1227に同封してあった 1-1228
昭和15年12月4日 研究所改更を勝手にいたし、お詫び/10日過ぎには参上して、申し上げたく 小林源太郎   1-1229
昭和15年12月6日 歳末義金運動への揮毫恵与方御礼/名士寄贈書画即売会開催にて 大阪毎日新聞社、東京日日新聞社   1-1230
昭和15年12月9日 訃報(父石原留吉死亡) 石原秀隆外3人   1-1231
昭和15年12月9日 木村様へ猫の画送付の件、承知/(1)旅に出られてお疲れのことと拝察 (2)今度の不動尊、大いに感心、私にも描いていただきたい 濱田葆光   1-1232
昭和15年12月9日 石川確治氏個人展覧会目録 石川確治   1-1233
昭和15年12月10日 2601年元旦の記念号への揮毫お願い 岐阜日日新聞社   1-1234
昭和15年12月10日   笠原油絵展覧会 中身欠 1-1235
昭和15年12月10日   法文社 中身欠 1-1236
昭和15年12月11日 第5回朔日会展覧会開催/資生堂ギャラリーにて 朔日会 同人:羽藤馬佐夫外10人 1-1237
昭和15年12月12日 毛筆画展反響大きく、小生も8点購入/更に3人より絵の希望在り、小生も4点希望 木村定三   1-1238
昭和15年12月12日 『日本美術新聞』継続購読の伺い 日本美術新報社   1-1239
昭和15年12月15日 異動通知 熊谷鋭太郎   1-1240
昭和15年12月15日 『阪急美術』新年号への回答依頼/テーマ:新体制下に迎える新年の御床飾りと趣味の計画 『阪急美術』編集部   1-1241
昭和15年12月15日 『美術の友』第24号 美術の友社   1-1242
昭和15年12月16日 会葬御礼(石原留吉死去) 石原秀隆外3人   1-1243
昭和15年12月17日 山本氏希望の絵の件、御礼に預かり恐縮/阪急での第3回日本画展を念じております 阪急百貨店 山内金三郎   1-1244
昭和15年12月17日 題字揮毫の御礼/弟夫婦と柴を40把も拾いました 熊谷敏子 宛名:秀子も併記 1-1245
昭和15年12月17日 本日は唐紙をたくさん頂き、感謝/展覧会も意外の好成績にてお慶び申し上げます 横井礼市   1-1246
昭和15年12月17日 二科展にお貸しした2点、未だ1点返送されず/2点の運送賃は当方で支払い済み 小河清太郎内   1-1247
昭和15年12月18日 田澤良夫君東京毎夕新聞社退社記念会開催 田澤良夫君記念会 世話方:遠山 孝外5人 1-1248
昭和15年12月20日   創元会 中身欠 1-1249
昭和15年12月21日 継続保険料領収証 明治火災保険株式会社   1-1250
昭和15年12月21日 貴作所蔵者の住所、氏名承りたく 大禮記念京都美術館   1-1251
昭和15年12月21日 妻澄子、三七回忌納骨相済み通知 北澤定一   1-1252
昭和15年12月21日 湯桧槽、絵の届け先について指示を乞う/旅から8日に帰京した、阪本氏とも九州で会う 安部治郎吉   1-1253
昭和15年12月21日 御揮毫受領、御礼 岐阜日日新聞社   1-1254
昭和15年12月21日 熊谷さんの金80円送付/受取の連絡を大阪市住吉区藤木正一氏へ 笹川慎一 (1)宛名:石川確治 (2)後欠 1-1255
昭和15年12月21日 大川武司第1回個人展覧会開催/三昧堂にて 大川武司   1-1256
昭和15年12月22日 26日夜、訪問したく、都合如何か 小笠原吉郎   1-1257
昭和15年12月22日 訃報(母さだ死去 秋田県角館町にて) 田口省吾   1-1258
昭和15年12月23日 二科展とみづゑに貸した貴作、未だ届かず/(1)約束の10号以上の「雪景」、力作をお願いします (2)日本画の箱書き2点、今度お出での際によろしく 田村謹寿   1-1259
昭和15年12月24日 先般の個展の金、小切手にて送金/(1)唐紙は、横井先生に10枚、先生に40枚 (2)来春、お預かりの作品と共に送付 丸善株式会社名古屋支社 木内憲次   1-1260
昭和15年12月25日 昨日、二科展とみづゑに貸した3点、受取/(1)お出での際に、箱書きの蓋2つ、額縁をお渡しします (2)雪、裸、会心の作をお願いします 田村謹寿 封筒表に鉛筆書きのメモあり:「雪」「裸」「小村氏毛筆」外 1-1261
昭和15年12月27日 歳末厚生週間即売会への揮毫御礼 東京朝日新聞社会事業団 歳末厚生週間係   1-1262
昭和15年12月27日 一昨日「畝傍山」着、代金420円送金 神戸画廊 大塚銀次郎   1-1263
昭和15年12月29日 年賀 金宗燦   1-1264
昭和15年12月30日 年賀 森 繁 宛名:一同も併記 1-1265
昭和15年12月30日 年賀 林 一郎   1-1266
昭和15年12月30日 会葬御礼(母さだ葬儀) 田口省吾   1-1267
昭和15年12月31日 東京毎夕新聞社退社記念会開催の御礼 田澤良夫   1-1268
昭和15年12月31日 年賀 菊屋ギャラリー   1-1269
昭和15年12月31日 年賀 荻野康児   1-1270
昭和15年12月31日 年賀 伊東静尾   1-1271
昭和15年12月31日 年賀 牧田正雄   1-1272
昭和10年・15.12 向井潤吉画伯豆絵展覧会開催/12月15日から19日まで 三昧堂美術部 12月15日が日曜日は昭和10年,15年から推定 1-1273
昭和15年12月 石川寅治画伯個人展覧会目録/12月9日から13日まで 美交社   1-1274
昭和15年 「宗達伊勢物語図帖」原色版複製頒布 造形芸術社   1-1275
昭和15年   二六○○年会 (1)中身欠 (2)2600年から15年と推定 1-1276

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