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加藤素毛の遺品[かとうそもうのいひん]

分類 重要有形民俗文化財
指定別
所在地 下呂市金山町下原町
所有者 下呂市教育委員会
指定年月日 昭和48年6月13日

加藤素毛の遺品

 加藤素毛は、益田郡下原村(現在の下呂市金山町内)の人で、庄屋の子息として生まれた。名は雅英、通称は藤平・十郎、号は素毛・周海・米行子など多い。彼は幕末の嘉永年間(1848〜1854)には、飛騨郡代の公用人となって高山に移ったが、その後江戸に出た。
江戸幕府は安政5年(1858)に調印した日米通商条約批准書交換の使節として、万延元年(1860)外国奉行兼神奈川奉行新見正興を正使とする81名をアメリカ合衆国に派遣した。素毛はこの使節団に随行し、飛騨人として初めて海外渡航を経験したのである。帰国した後、高山に戻ったが、珍しいこともあって方々に招かれ、アメリカ渡航の見聞談を吹聴して回ったとのことである。その後、素毛は諸国を旅行し多くの文化人と交流するとともに、俳句・絵画・和歌に興じて余生を送った。この素毛の遺品類は、現在金山郷土館に収蔵されている。主なものを次に示す。

  • 矢立・印籠・定規・写真原版(素毛肖像)・周海日記(4冊)
  • 米国ハドソン河アルバム(石版刷)・北亜絶景之図・帰朝記念版画
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